【読書85】 王国への道   (遠藤 周作 著、 新潮文庫)        2004/5/27


 「アユタヤの暑夜には、魔物が潜む」…。 王位を簒奪しようとするオークヤ・カラホームの野望を打ち砕いて、孤高の皇女ヨタティープ王女と日本人町にひとり生きる薄倖の娘ふきを守り、シャムに所領を拝して日本人が暮らしていける国をつくるために、オークヤ・セナピモック…山田長政は、この夜、日本人の軍に出動を命じた。
 「私と弟を救ってほしい」。王女の嘆願を受けて、摂政オークヤ・カラホームの屋敷に攻め入った長政は待ち伏せを受けて囲まれ、衝撃の言葉を耳にする。
 「貴下は、王女からこの私を倒せという頼みを受けたであろう。その王女のお言葉を信じたゆえ、貴下はこの屋敷に攻め入ってきたのだろうが、日本人とはよくよく信じやすい者たちだな。だが、王女もまたこのアユタヤの暑夜の中で生きていくためには、人を罠にかけるお知恵をお持ちなのだ」。
 愕然とする長政に、部下の角兵衛の裏切りが追い討ちをかける。「貴下を裏切ったその手柄で、この男は今日から貴下に代って日本人兵の隊長に任じられる」と、摂政オークヤ・カラホームは冷たく笑う。
 味方の3分の2を失い、深い手傷を負いながら、死地を切り開き、日本人町へ逃れた長政は、精鋭の日本人兵と戦いに弱いシャムの兵を比べてみても、自分がこのまま敗れるとは考えられなかった。
 「俺は負けぬ、必ず盛り返す。ふき、酒をくれ」。ふきの無表情には嘘がないと思う。もとは、このふきの父親が日本人町の棟梁であった。やむをえないこととはいえ、その父を倒した男の世話を受けるふき…。幸せ薄いゆえか、ほとんど感情を見せない彼女の顔は、あの摂政の偽りの微笑、ヨタティープ王女の偽りの涙にだまされた長政には、最も安心のできる顔に思えた。
 ふきはいつものように黙って杯に酒を注ぐ。… 今はひととき、何もかも忘れたい。ふきの乳房を手のひらの中に揉みながら、長政は杯を一気にあおった。
 おかしい、舌から…指先が痺れる。「ふき…俺は毒を…飲んだ」。ふきの口もとに、初めて…長政が見る初めての微笑が浮かんだ。「毒を…お前が」。


 この一編には、長政と同じ船で日本を出るペドロ岐部というキリシタン青年が登場し、長政が目指した日本人町という王国とともに、神の王国を目指す生き様を描いている。「沈黙」に示された個人とイエスとのかかわりから、この書は教会とか組織とかいった集団との問題に始点を広げていく、遠藤周作の精神史上の過渡期の作品と解説はいうが、私にはむしろ、アユタヤの暑気に秘められた権謀術数に翻弄され、か弱き女の涙を信じて欺かれる長政の男のもろさが、今の日本の国際社会での脆弱さに重なって哀れである。


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