◇ 「小唄 歌詞と解説集」の作成               2004.09.15【読書99】


 友人の奥方が小唄の師匠で、その社中が発表会をするから、「歌詞と解説集」を作ってくれと頼まれた。もちろん仕事には関係のない、趣味の世界のことである。
 実は 私は、はずかしながら「土筆弘章」という名前を小唄土筆流家元から頂戴している、いわゆる小唄の世界の「名取り」であって、10年来、師匠(私の師匠と、今回作成を依頼された友人の奥方とは、別の人である)の三味線に合わせて、『ウ〜ウ〜』とやっている。
 7年前に、その師匠の師籍25周年を祝う会があり、全演目の歌詞と解説集を作ったのがきっかけで、その小冊子を見た仲のよい芸子さんが、「お座敷でお客にも配るから、ポピュラーな小唄を少し加えて、1冊作って…」と言われるままに曲数を増やしながら何冊かを作り、今は収録している小唄が200曲を越えている。今回のように、ある会で使用するには、その200曲の中にすでにあるものはそのまま使用し、ないものは新しく文献やモノの本を調べて作成するわけである。


 小唄は、短い詩形の中に、男女の機微や女ごころの悲しさ、また、くらしの情緒を唄うものだから、表現が象徴的で、唄の背景や言葉の由来を理解しているのと知らないのとでは、受け取る意味はもちろん、唄い方そのものにも大きな違いが出てくる。
 例えば、『三吉野の』という小唄があるが、その歌詞は、
 「 三吉野の 色珍しい 草中へ 迷い込んだる 蝶ひとつ、
     思い染めたが 恋のもと
 たとえ 焦がれて 死すればとて
  
  鮎に愛もつ 鮨桶の しめてかためた 二世の縁、 二つ枕に 花の里
であるが、背景や由来を知らずに歌詞だけを読むと、「蝶々が恋をしたというのか…」と思うだろうし、ちょっと小唄の世界をかじった人ならば、「蝶は何かの例えだな。山里の娘の恋心を唄っているのだろう」と一歩進むけれど、「鮨桶って、何で…? 二人で鮨でも食べたのか」とチンプンカンプンである。
 それにつけた解説は、
 この唄は、歌舞伎「義経千本桜 鮨屋の場」を題材にした、いわゆる芝居小唄のひとつ。 吉野山で鮨屋を営む弥左衛門はもと平氏の武士で、屋島の陣から逃げのびてきた平 惟盛をかくまい、いつか一人娘のお里と一緒にしたいと願っている。惟盛の詮議のため梶原景時がやってくるが、弥左衛門は代人の首を差し出す。景時の取調べが厳しさを増す中、弥左衛門の息子いがみの権太は、「惟盛の首だ」と猿しばりにした首を出す。不忠の権太を弥左衛門は刺し殺すが、意外やその首は権太の息子善太のものであった。
 この小唄は、今宵祝言と楽しみにしていたお里が、手代の弥助が惟盛卿と知り、「すぎつる春のころ 色珍しい草中へ、絵にあるような殿御のお出で。 惟盛様とは露知らず、女の浅い心から、可愛らしい 愛しらしいと 思い染めしが恋の元。 父も聞こえず 母さんも、夢にも知らして下さんしたら、例え焦がれて死すればとて、雲井に近き御方へ、鮨屋の娘が惚れらりょか」と口説くところで、この芝居の義太夫の最高の聞かせどころを小唄にしたものである。
 「蝶ひとつ」は惟盛を指し、「思い染めたが〜二世の縁」までを義太夫を取り入れてたっぷりと唄い、「花の里」で余韻を持たせて吉野の里を描く。
 二世の縁は、夫婦の約束をすること。二つ枕の花は、同衾(そいね)の楽しさをいう
と書いた。
 まさか、「蝶が平氏の公達惟盛卿であり、鮨屋の手代に身を変えて、源氏の詮議の手を逃れている」のだとは、知っていなければ到底理解できないことだろう。しかし、解ってみれば、小唄の世界は粋である。同衾…などとはいわずに、「二つ枕に 花の里」と表現すれば、小唄を習う上品な奥様たちもたっぷりと歌い上げることができ、その歌声の背景に花いっぱいの吉野山と恋する男女の姿を描き出すことができるのである。


 歌の意味を理解し、そこに描かれた世界や情感を表現することが、その唄をしっかりと唄うためにも必要なことであろう。同時に、この「歌詞と解説集」を、聴きに来てくれたお客様にも配って、唄の意味や内容を理解をしてもらいつつ聴いてもらおうというのも、目的のひとつである。
 小唄・端唄・俗曲の類いの本から、能・狂言・歌舞伎や新派・新劇の解説書、江戸文化や古典芸能の文献、広辞苑・古語辞典を周囲に積み上げて、私の夜は更けていく。



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