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【49】 逆説の日本史 10巻  −天下布武と信長− (井沢元彦著、小学館)(10.6)

 日本の価値観を変えた天才「織田信長」は、仏教・儒教、そしてヤソ教をもその内に包含した神殿「安土城」を建立し、神になろうとした。アマテラスの子孫「天皇家」と石山本願寺の生き仏「顕如」を抑えなければ、旧体制の打破は完成しないからである。豊臣秀吉は豊国大明神として祀られ、徳川家康は東照大権現として関八州の守護神となったが、彼らの政治を含めて、全て信長のパクリだという。
 室町幕府や朝廷の権威を利用しながら天下統一を進めた信長であったが、しかしその体制の中の一員となろうとはしなかった。足利義昭が勧めた副将軍を断り、正親町天皇から関白や征夷大将軍などの官位を受けようとはしなかった。それらに就任すれば、権威を認めて過去の繰り返しとなり、問題を先送りするだけで根本的な解決とならず、それでは日本を改革することはできないことを知っていたからである。
 もし、本能寺で信長が死んでいなかったら、天下統一はその1〜2年のうちに成し遂げられ、朝鮮・台湾、さらに中国への遠征が行われて、秀吉の朝鮮出兵の何倍かの戦果をあげたことだろう…という。
 また、信長は、比叡山焼き討ちや長島一揆の殲滅、石山本願寺の解体など宗教団体との熾烈な戦いを繰り返しているが、現代でも宗教的対立を背景として、ユダヤ教のイスラエルやキリスト教のアメリカとイスラム世界との抗争が繰り返されている。ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も、元をただせば同じ神であり、しかも「神はただひとつ」とする一神教である。同じキリスト教の中でも、カトリックとプロテスタントが殺し合ったように、宗教観が違えば激しく対立するのが宗教である。
 日本国内でも宗教抗争は、「法華宗21本山による山科本願寺焼き討ち事件」「比叡山僧兵の法華寺襲撃(天文法華の乱)」など、応仁の乱を上回る家屋炎上・死傷被害を繰り返し起こしている。これら、武力を持つ宗門と「進めば極楽浄土、退けば無間地獄」を唱える門徒らとの戦いの中で、信長は抵抗する宗教勢力を徹底的に鎮圧し(戦った宗派に対しても禁教令は一度も布いていない)、以後、日本には宗教戦争は生じていない(島原の乱は、禁教に対する政治権力との戦いである)。日本で宗教が政治に口を挟まない、空気のような存在になったのは、信長以降である。
 新しい世界を築くためには旧体制の徹底的な破壊が必要であり、破壊のあとには新しい世界が生まれるが、その世界が古くなれば、また破壊が必要となる。いつの時代も、ある部分の歴史は繰り返す。


【48】「祇園の教訓」 (岩崎峰子 著、幻冬舎)        (9.10)


 表紙につられて買ってしまった。日本髪に黒紋付きの芸妓姿で、凛として座っている写真にである。内容は、5歳から祇園で生きた筆者が、舞妓・芸妓の目を通して見た、花柳界の様子や人の生き方を綴っている。
 目を引いた内容を2つ。ひとつは、「一流の人は子どもの教育に熱心だ」という話。子どもたちが何をするかは別問題なのだろうが、それらの人たちが一生懸命に子どもに説いて語る姿が忘れられないという。
 東方大遠征のアレキサンダー大王の父フィリップ2世は、紀元前700年に興ったギリシャの小国マケドニア王国を、ギリシャ全体を統一する大国に築き上げたが、息子アレキサンダーの家庭教師としてアリストテレスをあて、世の中の森羅万象を学ばせたという話を思い出した。
 もうひとつは、「稽古とは、自分の個性を消してしまって、師匠の真似をすることから始まる」という。師匠がカラスは白いと言えば心底からそう思って励んでこそ身につくもので、どこかで本当は黒いと思う自分が居る間は稽古に身が入らないというのである。
 さらに、そうして身につけた一芸は、同じ師匠を真似たとしても、それぞれの弟子はふたりとして同じかたちの舞を舞うものはいない。それが個性だ…と。現代の個性化教育に警鐘を鳴らす話ではないか。


 筆者は29才で芸妓をやめて結婚・出産、現在は祇園甲部でお店を出しながら、日本文化としての花柳界の姿を世界に紹介するために、世界各国を回って歩いてもいるという。


 ただ、芸妓は人生を縦に生きると言われるように(平岩弓枝の表現)、各界のトップレベルの人たちと交わり、特に祇園甲部という日本を代表する花街に生きた彼女の人生は余人にうかがわれない体験の連続であったと思われるが、その経験を除けば、彼女の人間観や人生観は薄っぺらい。並べられている事柄はみんな、世間話程度の出来事の羅列にしか過ぎない。それが祇園甲部に起こったということだけが、本になった理由でしかない。
 近々、また何かの続編を出すような企画があるようだが、もはや読むほどの意味があるとは思えない。




【47】石原慎太郎総理を検証する (福田和也 編著、小学館)      (9.8)


 評論家 福田和也の編集による、上智大学名誉教授 渡部昇一、ハドソン研究所 日高義樹、明治大学教授 入江隆則、国際未来科学研究所 浜田和幸、柘植大学客員教授 遠藤浩一氏ら、石原慎太郎シンパ…乃至は石原総理待望論者の集大成本(寄せ集めの本)である。
 今まさに大きく世界と日本が変わろうとしているとき、深い歴史に対する認識と国家戦略を持った石原慎太郎を、この国の総理にしなければならないと説く。
 今、日本の国のかたちと日本人の心の持ち様を転換させるときであること。朝鮮併合は植民地支配ではなく、東京裁判は国際法に基づく正当な裁判ではなかったこと。日本に主権のなかった時期に定められた日本国憲法は、本質的に無効であること。アメリカの一極支配の下で、真のパートナーとして、正しいことを決然と言える日本とそのリーダーが求められること。内政論、外交論、経済論、防衛論など、個々の提案・解説も具体的で良く分かる。そして、この時代、卓越した構想力・説得力・実行力を持った石原慎太郎は。日本の指導者にとどまらず、国際的なリーダーとしての資質を備えている…と結ぶ。


 石原慎太郎が総理になるには、小泉改革の挫折・崩壊による政界再編が行われ、「時」という最も重要な要素がどのように動くかが、最大のポイントだろうと思う。




【46】「論語」(貝塚茂樹 訳注、中公文庫)、「論語」(金谷 治訳注、岩波文庫)
   「人生における論語」(谷沢永一・渡部昇一 監修、PHP文庫)   (9.6)


 「子曰(のたまわ)く、学んで時(ここ)に習う、亦(また)説(よろこ)ばしからずや。有朋(とも)、遠きより方(なら)び来る、亦楽しからずや。人知らずして慍(いか)らず、亦君子ならずや。」から始まって、「巧言令色、鮮(すく)なし仁。」と言われるとお喋りはいけないなと思い、「君子、重からざれば則(すなわ)ち威あらず、学べば則ち固ならず。過てば則ち改むるに憚ることなかれ。」を見ると、おっちょこちょいでは威厳を失うし、学問をしてもしっかりとしないと反省させられる。
 この書の中から、いくつかの言葉をそらんじて覚え、折りに触れて使ったりしているのに、この書に面と向かって読み通すことがなかった。今回、志(こころざし)は全編を精読してわが身に照らすつもりであったけれど、一読した程度で、中身の意味を確かめたとはとても言いがたい。「市民講座 論語」といった機会があれば、是非参加して一語一句の内容を尋ね、孔子の思想や時代にも詳しく触れてみたいと思っている。
 が、孔子は「吾(われ)嘗(かつ)て終日食らわず、終日寝(い)ねず、以って思う。益なし。」と言われているから、もっと呑気に…読み物として…時に応じて紐解けばよいということだろうと、勝手な解釈をしている。


 今回の一読で、新しい出会いを得た。
 その1は、君子とはどういう人か。「以って六尺の弧(こ)を託すべく、以って百里の命を寄すべく、大節に臨みて奪うべからず」(幼い孤児を託すことができ、百里四方の国家の政治を任せることができ、重大な局面で志を変えさせることができない)人だという。
 司馬遼太郎著「関が原」に、石田光成が前田利家を説得する、こんな一場面があった。「失礼ながら、大老は、誠の武士(もののふ)とはどのような男をいうかご存知か」
「若いころから戦場一筋で、学問はトンとのぉ」
「論語に、『以って六尺の弧(こ)を託すべし』とあります。秀吉公は秀頼様を託すのに、前田様のみを頼みとされておられました」
と迫り、家康の大阪城入場を阻止させる。利家亡き後、日ならずして大阪夏の陣が始まる…。
 百里の命は身に余るかも知れないが、「俺の子どもを頼む」といわれる男にはなりたいと思う。


 その2は、政治の局面でよく語られる、「民は由(よ)らしむべし、知らしむべからず」。渡部昇一氏は、「左翼勢力はこれを、『民というものに政治の真実を教えない』と曲げて解釈した」と指摘するが、貝塚版も金谷版も『人民を従わせることはできるが(大衆の信頼を勝ち得ることはできるが)、なぜ従うかの理由を解らせることは(政治の内容を知ってもらうのは)難しい(できない)』と説明している。この一句をもって、孔子の思想を封建主義・専制主義と定義するのは誤りであることが理解できよう。同時に、信頼を得る政治の、またいかに難しいことか…も。


 その3は、書き下し文を省略するが、「述而編第7・子罕編第9…天が私を滅ぼそうというつもりならば、私はここに生きてはいない。天が私をまだ必要としていれば、他人が私をどうすることができようぞ(意訳)」。
 人生を生きるものの覚悟の形を示していると思う。荒木 進著「ビルマ敗戦行記」という本の中に、「兵隊として出征するにあたって、父はいくらか有力者であったので、せめて内地勤務に回れる手づるでもないかと尋ねた。ところが父は『人間の知恵など小さいもので、何がよいかはわからない。天命を信じ、そのまま行って来い』と言われた。そのときは、ずいぶん冷たいなと恨みにも思ったけれど、あとになって父は偉大だと思った。愛児を死地に送ることを願う親は居らず、その子の顔を見てなかなかこうは言えない。」という一節がある。本の中で著者は記していないが、この父とは荒木貞夫大将だろうと思う。だとすれば、陸相・文相・関東軍司令官などを歴任した、たいへんな有力者だ。(荒木大将の治業については、当時の社会状況から文相として軍国教育を推進したことは仕方がないとしても、京大事件の陰湿な横暴さと学徒出陣の推進について、私としてはその評価を保留するものだが、ここでは治業に関係なく…)
 荒木 進の記述は、さらに続く。「復員後、福田五段という碁打ちの話を聞いた。フィリピンに派遣されたとき、「私は碁打ち。死ぬなら、私の碁は世の中に必要とされていないということで、私はこの世に不必要な人間ということだ。」と、超然と出征していったという。私は深く恥じた。大学を出、少しは人生に関する考えも持っていると思っていたのに、その覚悟は、同じ年頃の碁打ちの少年に遠く及ばなかったのである。」と。




【45】ユニバーサル新世界史資料 五訂版 (岡崎勝世 ほか 監修  帝国書院)


 本屋をのぞいていたら、世界史資料いう表題のオールカラー本を見つけた。開いてみた1ページ目に、先史時代の世界地図が描かれていて、今、世界がその一点を注目するチグリス・ユーフラティス川河口の肥沃な三角州は、人類発生以来の文明地区であったことが、改めて示されていた。この地は、人類最古の文明を生み出してからのち、いかなる変遷を重ねてきたのだろうか。
 1ページ目の地図には、大麦・小麦はこの地域が発生の地であって、周辺地域から世界へ文明のかけらをその一粒一粒に内包して広がっていったとある。この地は、メソポタミア文明以来、13世紀のモンゴルによる被征服期をはさんで、常に文明の1つの中心であった。
 紀元前3000年ごろにはシュメール人が都市国家を形成し、前2000年には古代バビロニアハンムラビ王、〜1600)、前1800年にはヒッタイト王国(鉄器の使用、〜1200)が栄え、アフリカに輝くナイルの賜物 古代エジプト王国とともに、燦然たるオリエント世界を花開かせる。
 紀元前800年頃に成立したアッシリア帝国(〜前612)から、前625年に新バビロニア王国(〜前538)が興こり、そして前5世紀には、西はエジプトやリディアを併合してアテネ(ギリシャ)に迫り、東はインダス川に至るアケメネス朝ペルシャ帝国が栄えた。全国を20余の州に分け知事を置いて統治させたこの帝国の時代、日本は大陸から稲作が伝播し、原始農耕文化(弥生時代)が始まった頃である。
 前331年、イッソスの戦い(ポンペイ出土のモザイク画で有名)でダレイオス3世を破ったマケドニアアレクサンドロス大王は、東方遠征を行いヘレニズム文化の華を咲かせる。大王の没後、領土は数カ国に分裂しこの一帯はパルティア王国(前248〜後226)が領有、西のローマ帝国と対峙する。そのあと226年に建国したササン朝ペルシャ(〜651)はイラン高原から興ったイラン人の帝国である。
 預言者ムハンマドによるイスラムの教えに導かれたアラビア半島のアラブ人は、「コーランか、死か」を合言葉にササン朝を倒し、8世紀初めまでに東は中央アジアから北アフリカを経て、西はイベリア半島に至るウマイヤ朝アラブ帝国(661〜750)を築き上げた。この大帝国の中の派閥がシーア派・スンナ派として、今日までイスラム世界で覇を争うこととなる。革命によって帝国を継いだのはアルアッパースで、アッパース朝イスラム帝国(750〜1258)が成立する。
 幾多の王朝の興亡を見たイスラム帝国の中で、北アジアに興ったトルコ人が建てた国はセルジューク朝トルコ(1038〜1194)であるが、各地に割拠したイスラム帝国の王朝は、全て蒙古(元)の騎馬集団のひずめの前にその影を消滅させる。
 1096年(第1回〜99)に始まった十字軍の遠征は、セルジューク朝がシリアに進出し、イェルサレムを支配下においてキリスト教徒の巡礼を妨害したことにあるとされる。しかし事実は、国境侵略を恐れたビザンツ(東ローマ)帝国がヨーロッパのキリスト教国にイスラムの脅威を訴え、救援を求めたことが原因であった。以後1270年の第7回十字軍まで、約200年間に渡ってイェルサレム王国を初めとする幾つかの十字軍国家が建設されたが、反十字軍の英雄サラディン(アイユーブ朝1169〜1250)によって占拠統合されていった。
 その後はチンギス・ハンの孫フラグがイラン高原に建てたイル・ハン国(1258〜1353)がしばらくこの地を統治するが、1370年、モンゴルの混乱に乗じてティムール王朝が成立。15世紀には、ビザンツ帝国(東ローマ帝国)を滅ぼしたオスマン(トルコ)帝国(1299〜1922)が台頭し、以後600有余年、アジア・ヨ−ロッパ・アフリカにまたがる大帝国としてこの地域を統治する。
 ルネッサンス・産業革命から帝国主義時代を経て、第1次世界大戦の敗戦国オスマン・トルコはイギリス・フランスなどの支配地として政治的に分割されるが、それらの地域がイエメン・アフガニスタン(1919)、イラク(1921)、エジプト(1922)、トルコ(1923)、イラン(1925)、ヒジャード・ネジド王国(=サウジ・アラビア、1926)と次々に独立し、現在の国々が出来上がったのである。


 ちょっと、このメソポタミアの地に興亡した国の名前を並べてみようと思っただけなのだが、こんなに長い話になるとは思ってもいなかった。さすがは世界史資料、調べ出すとキリが無い。


 この項を書いている横で、テレビがバクダッドの大爆撃を伝えている。夜空を赤々と焦がして、バクダッドの市街地が炎上している。この炎を、「人の命を奪う悪魔の炎」と見るか、「この地に繰り返された、時代を開く炎」と見るか、後世の歴史書はその評価をどのように綴るのであろうか。



【44】「逆説の日本史 太平記と南北朝の謎」 (井沢元彦著 小学館) (3.15)


【43】「覇王の家」    (司馬遼太郎著 新潮文庫)  


【42】「王国への道」−山田長政−   (遠藤周作著 新潮文庫)


【41】「学力崩壊」   (和田秀樹著 PHP文庫)


【40】「小沢一郎の挑戦」   (大下英治著 徳間書店)        (9.9)


 平成2年、イラクがクウェートに侵攻して、湾岸戦争の幕が切って落とされた。自衛隊の派遣をめぐって、腰の引けた海部内閣に対して、幹事長の小沢一郎は、「国連指揮下の平和維持活動に自衛隊を派遣するべきである。国連軍への参加は、同盟関係をもとにした集団的自衛権の行使ではなく、国連が武力行使を認めたものは集団的安全保障であって、これは日本国憲法に触れない。」として、アメリカから強く望まれた自衛隊の派遣を提言する。
 しかし、海外で自衛隊が活動する「平和協力法」を成立させることができなかった海部首相は、自衛隊の海外派遣を見送り、90億ドルという協力金の拠出で国際理解を得ようとしたのである。結果、世界の日本に対する評価は、戦後、クウェートが出した感謝広告に、日本の名前がなかったという一事に象徴されるものとなった。
 それでも、日本は自衛隊の派遣をするべきでなかったのかどうか…、それぞれに意見の異なるところであろうが、小沢一郎のスタンスはこのときに定められ、以後、変わっていない。


 今、民主党と自由党の合併を進める上で、「自衛隊の海外派遣は認めない」とする民主党との立場の開きを、どのように解決するのだろう。この点が、くすぶり続ける火種のようで、私には案じられる。


【39】「それ行け弧狸庵」   (遠藤周作著 文春文庫)       (10.7)
 遠藤周作は東京の西「柿生の里」に『狐狸庵』なる独居を構え、「(自然豊かな)この土地は、わが風流心を多いにくすぐり、東都に野暮用があったとて、終われば逃げるがごとく引きあげる」と書いている(本中「暗愚にアングリ」)が、俗世間大好きの氏なので、これは嘘である…と北 杜夫が書いている。この本は、その庵から夜な夜な這い出てきて俗世を徘徊した、狐狸庵先生の行状記である。


 潜入したホストクラブのナンバーワンに、女客のイヤなところはと聞くと、
「外の席から指名がかかると、ヤキモチを焼くことです」。
「そんなとき、どうするの」
「僕は、あなたにだけ甘えられるから、こうワガママを言えるけれど、向こうのお客様は親しくないから断れないんです…と。これで大丈夫です」
 これから浮気する時は、女房殿に同じように言うてはどうだろう。
「お前にだけ甘えられるからこそ、俺もこうワガママを言える。だが向こうとは、ワガママ言うほど親しくないから断れないのだ」。


 仲間内の冗談話からスタートしたシロウト劇団の出し物はシェイクスピアから「ロミオとジュリエット」、紀伊国屋ホールを借りて行われることになった。観客は身内ばかりだろうから、40人も入れば上等と思っていたところ、立ち見にも人があふれて超満員。
 もう全員の頭はカーッとして、覚えたはずの台詞も動作もどこかへ飛んでいってしまった。立ち往生のジュリエットの救いを求める眼差しに、横にいるものが台詞を教えるが、あがっている本人には聞こえない。同じ台詞を何度も繰り返すので、観客席から、
「先にすすめ」。
 出演者たちは大マジメ、真剣も真剣、必死も必死なのだが、それが余計におかしいとみえ、観客は腹をかかえて笑う。
「ロミオとジュリエットは喜劇か」
「もう、シェークスピアを見るのが、イヤになったぞォ」
「300円、かえせ」(第1回公演は、入場料300円だったンだ!)。
 悲惨にして惨めな公演に打ちのめされたみんなは、しかしその翌日には、
「来年もやりましょう。次回はハムレットということで」。
 乞食と役者は三日ったらやめられないとはこのことか。観客席から野次っていた北杜夫と瀬戸内晴美は、2年目、入団テストをパスして座員になった。』


【38】「沈 黙」   (遠藤周作著 新潮文庫)            (10.6)
 切支丹禁制のあくまでも厳しい日本に、3人のポルトガルの若い司祭が潜入する。その一人ロドリゴには、彼の恩師であり、「稀に見る神学的才能」と「不屈の信念」を持つフィレイラが、この国で激しい拷問を受けて棄教したということが信じられなかった。
 潜入を果たした日本の状況は、あまりに暗い。潜伏、貧苦、裏切り…、捕らわれてのち受ける迫害、拷問、犠牲…。人間としての体力、気力の限界を超えた苦難にもかかわらず、ついに神の救いはあらわれない。彼の必死の祈りと問いかけにもかかわらず、神はかたくなに「沈黙」を守ったままである。自分の祈りは、神に届いているのか。いや、神は本当に存在するのか。
 暗い牢獄の底で、穴吊りにかけられた信者たちのうめき声を聞いて、なすすべもなく信仰を捨てるロドリゴの心のうつろいは、信仰心の薄い私たちにとっても、魂を削られる不安な悲しみが迫る。
 転向の証として「踏み絵」を踏むロドリゴの足の下で、キリストはこれを赦していたという逆説は、神の「沈黙」に対する答ではない。けれども、岡田三右衛門として生きるロドリゴに向ける、絵の中のキリストの眼差しは、諭すように彼に語りかける。「安心して行きなさい」と…。
 何処へ? なお、答は沈黙の彼方である。


【37】「天皇の原理」   (小室直樹著 文芸春秋社)


【36】「詳説 世界史研究」   (木下康彦・木村清二・吉田 寅著 山川出版)


【35】「本当の学力をつける本」   (蔭山英男著 文芸春秋社)


【34】「フオアー」   (夏坂 健著 新潮文庫)


 実はこの本、かなり前に読んで、今日まで報告する時間がなく、そのままにしていた。 掲載されている、珠玉のゴルフエッセイから、笑える話をひとつ…。


 イタリアだったか、アイルランドだったか(国民性に関わる話なので、国名が大切なのだが、なにぶんにもかなり前に読んだので)、フレッド・カプルスが出場したトーナメントで、パラパラッとしかいないギャラリーの一人が、たまたまカプルスのパットラインの前方に立っている。競技委員を呼んで、そのおじいさんに、「立つ位置を、少しずらして欲しい」と頼んだところ、「ここは俺の位置だ」と譲らない。譲れ、譲らないとやっていると、クラブの顧問弁護士や警察関係のものも集まってきて、「もどかせるための、法律的根拠はない」などと議論を始める始末。
 クラブの支配人が妙案を出して、従業員を狩り出し、グリーンを取り囲ませた。一人がライン前方にいると気になるものだが、大勢がぐるりっといると気にならない。カプルスは、このホールをワン・パットであがり、次のホールへ向かった。
 あのじいさんは…と見ると、競技委員に何か言っている。「騒がせて、悪かったって言ってたかね」と尋ねてみると、「何で、こんな簡単なことを、さっさとやらないんだ…と、文句を言ってたよ」。


 ン、この話、「フオァー」でなくて、夏坂さんの外の本に載ってたのかも知れない!





【33】「国民の教育」  (渡部昇二著 産経新聞社)
【32】「国民の道徳」  (西部 邁著 産経新聞社)
【31】「国民の歴史」  (西尾幹二著 産経新聞社)


【30】「政と官」   (後藤田正晴著 講談社) (10.21)
 



【29】「逆説の日本史 鎌倉仏教と元寇」 (井沢元彦著 小学館)  (10.5)

 

【28】「清富の思想」 (船井幸雄著 三笠書房)           (10.1)

 人は人徳が滲み出るように生きねばならない。そのような往き方をするかぎり、人生は決して不幸にならない。「徳」の持つ豊かさを考えれば、「清貧」ではなく「清富」と言ったほうが正しい。
 船井氏は、『「徳」のある人とはどのような人か。それは、「天地自然の理に叶った生き方をする人であり、人徳が滲み出ている人だ」と、本書をまとめてみてはっきりと言えるようになった』と書いている。
 そして、安岡正篤、中村天風、鈴木大拙、津田梅子ら25人の生き様をつづる。伝記とか偉人伝とかいった類いのものとは異なる一冊だが、このごろは偉大な先人の物語に触れることも滅多にない。青少年向けの読み物にも、熱い血をたぎらせ、苦難を乗り越えた人々の話をみることが少ない。
 無気力でどこかしらけた日本の若者たち…。今、この国は全体がどこか腑抜けたピントのボケた国になってしまった。痛烈に世の中を駆け抜けた人々の姿を、熱く語る1冊を読み聞かせることは、大きな意義があることではないだろうか。


【27】「地球ゴルフ倶楽部」 (夏坂 健著 新潮文庫) (9.18)

 世界で一番愉快なゴルフはメキシコ。この国のあるクラブには、こんな看板が立てられている。「お客様へのお願い @入り口で靴を履いてから入ること A楽器と酒を持ち込まないこと B他人のクラブ、ボールを勝手に使わないこと Cプレー以外の目的で異性を連れ込まないこと Dまだ動いているボールを拾って持ち去らないこと」。
 1958年のメキシコ・アマ選手権の3日目。チェルビスコGC2番パー5でデイビスの第2打はピンそば50p。と、いきなりコース管理のおじさんが、カップを12mも向こうへ切り直してしまった。この国の最大の公式戦で、選手がプレー中にもかかわらずカップを切り直すアバウトさ! デイビスはイーグルどころか、12mのロングパットを強いられたという。
 メキシコも、ゴルフをしに行ってみたい国のひとつになった。
 書評までを書いている時間がない。追々書き込んでいくことにして、とりあえず読んだ本の題名を並べることが多いのをお許しいただきたい。
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