【106】 晩秋の上高地  ― 惜秋の旅情漂う神垣内 ―           2006.11.02

   
 午前5時40分出発、生憎の曇り空だが、伊勢道から東名阪を抜け、東海北陸道を郡上八幡で降りて「せせらぎ街道」へ入ったのが8時、「明宝道の駅」でモーニングコーヒーを飲んだ。
 郡上八幡から西ウレ峠を越えて高山市に至るこの道は、今、紅葉の盛り…。道の両側の山肌は、赤・黄・黄金色の衣を纏っている。
  




← 「せせらぎ街道」、道の両側の紅葉 ↑

              
 10時30分、沢渡駐車場からタクシーで入った上高地は、紅葉の盛りを過ぎて、カラマツの落ち葉が地面を黄金色に染めていた。




 「河童橋」から 雲にかすむ奥穂高を望む →


 現在の河童橋は1997年に竣工した5代目、全長36.6m、幅3.6m。初代は明治の中頃に造られたハネ橋で、大正の中頃に架け替えられた2代目から吊り橋となった。
 芥川龍之介の「河童」は、この橋の周辺を舞台に書かれたとか…。


 梓川沿いの小道を歩いて、明神池を目指した。7年ぶりの上高地…、周りの山々も、瀬音を立てる清流も、梢の頂きの色づいた葉たちも、過ぎ去りし想い出を語りかける。




    「落葉松(からまつ)」 北原白秋


    一   からまつの林を過ぎて、
        からまつをしみじみと見き。
        からまつはさびしかりけり。
        たびゆくはさびしかりけり。



 ← 明神池へ向かう途中の小径。(実は、この日
  売店で買った絵葉書、10月中旬ごろとある)

  この日にはすでに、7割がた落葉していた。
                                      


 二 からまつの林を出でて、 からまつの林に入りぬ。
   からまつの林に入りて、 また細く道はつづけり。


 三 からまつの林の奥も、わが通る道はありけり。
   霧雨のかかる道なり、山風のかよふ道なり。





 河童橋から明神池までは3Km少々。ゆっくりと、いろいろな人たちに抜かれながら、1時間をかけて歩いた。


      明神池の手前で梓川を渡る。 「明神橋」 →

  

← 穂高神社奥宮。 恋人同士だろうか、若いカップルが
 おみくじを引いていた。



 明神池はこの穂高神社奥宮境内にあり、神域となっている。「かみこうち(現在の漢字表記は「上高地」だが、本来は「神垣内」)」の地名は、穂高神社とその祭神である穂高見命(ほたかみのみこと)の地であることに由来する。神社内の池なので拝観料500円がかかる。毎年10月8日に例大祭、御船神事が開催される。


 穂高神社の御神池 「明神池」 ↓                      





































                                  
                                 
                                            
 池はひょうたん型で一の池と二の池に分かれており、湖面へ映る木々が美しい。ひっそりと北アルプスの山ふところに潜む湖面は神秘的である。
 明神岳の土砂崩れで梓川支流の沢がふさがれてできたこの池は、かつては三の池もあったが、土砂災害により埋まってしまって、今は一の池・二の池が、梓川へと流れ出す清らかな水をたたえている。


  四 からまつの林の道は、
    われのみか、ひともかよひぬ。
    ほそぼそと通ふ道なり。
    さびさびといそぐ道なり。
        
五  からまつの林を過ぎて、
   ゆゑしらず歩みひそめつ。
   からまつはさびしかりけり。
   からまつとささやきにけり。


六  からまつの林を出でて、
   浅間嶺にけぶり立つ見つ。
   浅間嶺にけぶり立つ見つ。
   からまつのまたそのうへに。

   


七  からまつの林の雨は、
   さびしけどいよよしづけし。
   かんこ鳥鳴けるのみなる。
   からまつの濡るるのみなる。



← 帰り道は往路の対岸、梓川の
 穂高岳側の岸辺をたどる。

                                     


               帰路、熊笹の上を渡る歩経路 →


 河童橋の上から振り返った「岳沢カール」↓















  八 世の中よ、
      あはれなりけり。
    常なれど
      うれしかりけり。
    山川に山がはの音、
    からまつに
      からまつのかぜ。

カラマツの落ち葉を敷き詰めた遊歩道



        カラマツの落ち葉が降り積もった 黄金の道 →


 帰りのタクシーに乗ったら、大粒の雨が降り出した。焼岳の噴煙も、濃い雲の中…。紅葉のシーズンには少し遅い訪問であったが、秋の盛りの華やかさもさることながら、往く秋を惜しむ風情の漂う上高地も、一味違う旅情が感じられて格別であった。
 あと1週間すると、ここに通じる唯一の車道が閉じられ、上高地は来春まで、雪の中の深い眠りに就く。



        
 帰りは松本に出て信州そばの店「榑木野(くれきの)」へ立ち寄った。この店のそばは、全て石臼挽き手打ち生そば…、石臼で挽かれて粉となった命はやがてそば職人の手の中で一つの意志を持つ魂となる。そして、常よりも細めに切り揃えられて、野に育つ蕎麦は、透明度、つや、そして歯ごたえにさえもこだわりを感じる料理へと昇化する。


← 「榑木野」お勧めの海老天ぷらざる蕎麦
   (店のパンフレットより)


 蕎麦は粉粒の大きさによって味が異なる。粒子の細かい粉で打った蕎麦は舌触りは滑らかだが、製粉時に蕎麦は本来持っている甘味や香りが飛んで、味わいには今ひとつ乏しいきらいがある。噛むことによってしみでてくる味わいは粒子の大きな粉で打った蕎麦の方が豊かだと思う。大きな粒子を噛み砕くことによって、粉粒の中に隠されていたそばの味わいがはじけ出て口中に広がるからだ。粒子の大きさは挽き方によって調整できる。
 「蕎麦は奥歯で噛め」と言われている。噛むことで本当の蕎麦の味がわかるという意味である。俗に云う”喉越しの美味”を堪能するのも蕎麦の味わい方には違いないのだろうが、これはいわば感触による美味であって、蕎麦の持ち味を知る食べ方ではない。そば屋で「もり蕎麦」を食べるとき、先ず麺の少量をつゆをつけずに口に運び、じっくり奥歯で噛んでみるとよい。。そこにしみでてくる味わいは、粉の質と粒子の大きさを物語っている。
 「新そばは…」と尋ねると「売り切れました」との答えに、章くんは温かい「にしんそば」を頼んだ。少し濃いめのツユがニシンに滲みて、魚節のコリッとした歯ざわりとともに口の中に広がる。蕎麦は細身で歯切れが良いが、新そばの風味とコシには及ばない。


 中央道、東名、名古屋高速、東名阪、伊勢道と乗り継いで、午後11時45分に帰宅。明日はまた早朝に起きて、賢島CCへ、古閑美保ちゃん、上田桃子ちゃんの応援に行かねばならない。


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