【11】 俳聖芭蕉をしのぶ「蓑虫庵」大山田の「新大仏寺」   (7.8)


 「みの虫の音を聞きにこよ草の庵」…。


 芭蕉の弟子で上野市の豪商服部土芳の草庵開きに、芭蕉が送った句である。『蓑虫庵』の命名はこの句による蓑虫庵
 上野市での仕事が2時過ぎに終わったので、俳聖ゆかりの庵を訪ねてみた。街中の一角にポツンとある。受付のおばさんが「これお持ちください」と蚊取り線香を貸してくれた。木々の間に佇む庵は、やぶ蚊が多い。この庵が俳句を詠む人たちの聖地のひとつなのだ。奥の茶室は、全国から句会開催の申し込みがあるという。古池や…の句碑
 『蓑虫庵』はこの地の文化の象徴である。伊賀上野の人々は意識の根底に五七五の17音を持っている。地域の文化的土壌がこのような形で整備されているとは、うらやましい話である。 


     
句碑「古池や かわず飛び込む 水の音」の句が彫られていた→


 名阪国道が集中工事で渋滞しているので、帰り道は大山田村から河内ダムへ抜ける林道を走ってみた。
 途中、大山田の猿野「新大仏寺」に、日本三大仏のひとつ『阿波の大仏』が鎮座する。平重衡の兵火によって消失した東大寺大仏殿の再建に奔走した重源上人ゆかりの寺であり、本尊の大仏は鎌倉時代の大仏師快慶の作で、光背を含めて二丈(約6m)というから、木彫物として日本最大の仏像である。
 芭蕉の大仏記「笈の小文」には「丈六に陽炎高し石の上」とあり、伽藍の荒れた当時の様子がしのばれる。
 江戸中期より上野城主藤堂高虎の支援を受けて復興され、大仏殿背後の岩窟に彫られた不動明王(岩屋不動・伊賀成田不動尊)への信仰とあいまって、現在に至っている。



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