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吉野山 春満開
− 2007年 桜便り第4弾 −
2007.04.10
吉野に着いたのは、午前9時を少し回ったころ。名にしおう吉野だから横浜や福岡ナンバーなど遠くから来た車も見受けられるが、まだ台数も少ない。ただ、このシーズンは下千本から中千本への町中の道は通行止。まずは、中千本へと通じる外周道路を登っていった。
← 中千本への外周道路…。 ↑
両側の桜もしっかりと開花している
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吉野の桜は、吉野町の小中学生が卒業するとき、それぞれ1本ずつの苗木を山に植えると聞いたことがあって、人々の手厚い世話が加えられていることがうかがえるが、圧倒的に多いのはシロヤマザクラと呼ばれる文字通りの山桜である。
だから、花と一緒に紅色の葉芽を出し、満開時には山全体が赤味を帯びる。
なぜ、吉野山には桜の木がかくも多いのか。それは、修験道信仰と深くかかわっている。1300年前、吉野に分け入って修行を積んだ役小角は、感得した蔵王権現の姿を山上が岳の桜の幹に刻んだとある。以来、桜の木はご神木として修験道信仰とともに、吉野の山へ献木植樹されてきたのだ。
(吉野町ホームページより抜粋)
中千本の駐車場に車を入れて、「竹林院」を訪ねた。この小房は
吉野朝時代、第100代後小松天皇の勅命で「竹林院」と号し、当時は金峯山律寺4院のひとつに数えられていたが、吉野朝以後は、真言宗豊山(ぶざん)派、廃寺、天台宗と変転して、現在は修験宗の単立寺院である。
「群芳(ぐんぽう)園」
と呼ばれる中庭は、
「当麻寺 中の坊」、大和小泉 「慈光院」の
庭と共に、大和三庭園のひとつに数えられて
いる。
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中千本界隈を歩いてみた。展望ポイントから上千本を仰ぎ見ると、山肌一面が桜色に染まっている。
↑ 山肌一面の桜
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上千本を仰ぎ見ると…
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もうずいぶんと昔、中学生のころ…、近鉄電車の駅に貼られていた山一面の桜に染まった吉野のポスターを見て、「いつかはこの景色を見に行かなくては…」と思い続けてきた。
ここ数年、5〜6回は訪ねて来ているけれど、いつもちょっと早いか遅いかで、これが吉野の桜かと唸(うな)るような景色には ついぞお目にかかったことがなかった。
しかし 今年のこの展望…、まさにあのポスター写真の風景が目の前に広がっていた。
蔵王堂へ降りる道の途中に、葛きりを生産販売している「八十吉」がある。店の一部にテーブルと椅子を置いて、抹茶と葛きりを供している。
平うちの葛きりを黒みつでいただく。結構な勾配の坂道をたどりながら、ここまで小1時間、歩いてきた。火照った体に、冷たい葛きりがありがたい。その滑らかな喉ごしと、しっかりとしたコシに 思わずお替り…。
金峯山寺 蔵王堂(きんぷせんじ ざおうどう)は、役小角の開山により、平安時代に聖宝理源大師が蔵王権現像を安置したといわれている。
その威容は、東大寺大仏殿に次ぐ大きさの木造建築物として知られていて、現在の建物は1591(天正19)年に再建された室町末期を代表する建造物である。
春の会式が営まれていた
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関西地方に春を呼ぶと言われる東大寺の法要『修二会』…またの名を『お水取り』は、十一面観音に懺悔する法要だが、その中で日本国の神々の名前を呼び上げ、二月堂に勧請する『神名帳』なる作法がある。この中で一番初めに呼ばれるのが『金峯大菩薩』…、すなわち、吉野大峰の『蔵王権現』だ。
蔵王堂の左手の急な石段を下ると、南朝妙法殿がある。
桜の雲の中に浮かぶこの舎殿は、南朝四帝と南北朝時代以後の戦乱によって死亡した多くの霊を祭るため、昭和38年に建立されたものである。
← 花の雲の中に浮かぶ「南朝妙法殿」
駐車場に戻って車に乗り、奥千本の金峰神社を回ってみた。まだ、花はちらほら…。車で通り過ぎて、上千本の「花之倉展望台」へ立ち寄った。
ここからの俯瞰は、まさに一望千里…。中千本から下千本へと続く桜の群生を眼下に納め、かなたには奥大和から紀伊の山々が幾重にも重なり合っている。
一目千本とうたわれた吉野の桜とは
まさにこの光景か。
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上から垂れ下がった枝の右の花芽が、蔵王堂と重なっている。
展望台を少し下ると、中千本の群生する桜林の中へ踏み込む。
← 桜の間から、蔵王堂が見えている。
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↑ 中千本の桜
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この花矢倉付近一帯の桜群を「滝桜」と呼ぶ。花の盛りに中千本から見上げると、満開の桜花が滝の水がたぎり落ちるような壮観を呈するので、この名前がつけられたとか。
細い道の両側を、大勢の観光客が歩いている。車は、当然ながらノロノロ運転だ。
午後1時30分、花に染まる吉野をあとにして、次の目的地「大和郡山城址」へ向かった。
ふもとへ下る道の途中、車の中から
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山笑う…と表現される春の光景。まさに、今年の吉野は、全山が笑うがごとき 桜に覆われた錦絵だった。
これで吉野を卒業できたかな…という思いであった。
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