【136】 京都の秋 2007 −高尾・清滝・大覚寺・上賀茂神社・貴船−   2007.11.17


 「高尾の紅葉が見ごろを迎えています」とテレビのニュースが伝えています。
 天気よし…、午前4時30分出発。

 京都の紅葉は、町中では色づき始めたところで、全体的には30%といったところでしょうか。
 ただ、洛西の三尾と名高い栂尾・槇尾・高尾では、見ごろのあでやかな秋に出会うことができました。


         神護寺参詣道の茶店にて 【拡大】 →


 4時30分、出発。これならば渋滞にかからずに、7時までに市内を抜けることが出来るだろうとの計画だったのですが、順調すぎて、午前6時50分、栂尾高山寺駐車場へ到着しました。
 すでに4〜5台の車か待機中…。高台寺の開門は午前8時30分からと描かれていました。


← 駐車場前のモミジはすでに色づいていました。【拡大】
  ただ、山間の地なので朝日が届くのが遅く、日陰の写真で
 色が薄くなってしまいました。



 開門まで1時間40分。持っていったおやつをかじり、午後の紅茶を飲み、車にいつも積んである渋滞用の本を読みながら、ゆっくりと待ちました。しばし、ウツラウツラとひと眠り…。


 栂尾山高山寺
 

 8時10分、他の車の人たちが、次々と高山寺へ向かい始めました。「あれっ、もういいのかな」と僕も裏参道を登っていくと、入山券を売る受付にはすでに男の子が座っていました。ハイシーズンの土曜日だから、開山を早くしたのでしょうね。


          裏参道の階段途中から獲ったモミジ →


  

   石段を登ったところのすぐ右手にある「石水院(国
  宝)」。 中興開山の明恵上人が、後鳥羽上皇の別邸を
  移築して学究の居宅としたものとか。       →


  


 客殿で受付を済ませ、石水院へと渡ります。


← 渡り廊下の先に、小さな童子の像が立っていて、訪れる客を
 出迎えてくれる。「善財童子(ぜんざいどうじ)」です。



 童子は、『華厳経入法界品』に登場する、インドの長者の子。ある日、仏教に目覚め、文殊菩薩のお導きにより、様々な指導者(善智識)を訪ね歩いて仏教の修行を積ンでいきます。最後に普賢菩薩のもとで悟りを開くという、菩薩行の理想者として描かれています。


            廊下で踏ん張っている前財童子 →


 前財童子の話。『 …。文殊菩薩はんが、「池にひっそり咲いてる蓮の花上にも、仏さんが居やはりますのや」と言わはった。
 善財は、ほんまにびっくりした。池に走っていって、蓮の花を見たけれど、花の上に仏さんなんか見つからへん。
 善財は、文殊はんに、「どないしたら、私にも蓮の花の上の仏さんが見えますやろか」尋ねた。文殊はんは、「偉い人のとこ行って、どないしたらえーか、丁寧にお聞きやして、教せてもろたことを一所懸命気張って身につけ、世の中の人の為に働けるよーに成らんなん。南の方においやす、クドクウンてゆーお坊さんにお聞きなはれ。」て、教せてくれはった。
 善財は、それを聞いて喜び、南の国への旅に出てくことにしたんや。… (以下省略です)』


← 石水院の縁側


 紅葉の盛りには、ここへ座り込んで呆然と紅(くれない)に染まった山を見上げている人たちであふれます。

 








  開山堂、金堂を経て、表参道へ回りました。


      さまざまな写真集でも見る、
       高山寺表参道の石畳です【拡大】 →


 でも、まだ紅葉は50%…。
 全山が真っ赤に染まると形容される、このあたり一帯の紅葉の盛りは、来週あたりなのでしょう。


 表参道から下の道へ出て、西明寺へ向かいました。


 槇尾山西明寺 



← 西明寺へ渡る錦橋のあたりは、見ごろの紅葉でした。






  坂道を少し登ると
 山門です。    →



 
  


← 境内の紅葉も、ちょうど見ごろ…【拡大】

 
    客殿の前の大モミジも、見ごろを迎えて
   いました。最盛期の頃には、もっと赤みを
   増すのでしょうか。 ↓

 













 庫裏の前を抜けて、神護寺を目指しました。




 高尾山神護寺
  

← 神護寺下の紅葉…【拡大】


 写真右下の階段から登っていきますが、その数は350段。ほとんどの人は、途中で一息入れることになります。












         登り始め。まだ、緑のモミジも
             数多く見かけられました。→



 高尾山神護寺は、平安京の設計者である和気清麻呂の建立による、国家護持を司るお寺です。
 最澄も空海も このお寺で学究修行をしていますから、平安仏教発祥のお寺であるともいえます。




← 階段途中…(250段ぐらいかな)の
 高尾茶屋【拡大】



 350段もある階段ですから、このあたりで誰でも休憩したくなります。
 
 それにしても、見事な紅葉です。






   ぜんざい 600円、 コーヒー 420円。 →

   もちろん 食事もできます。

 








 途中、2度の小休止と1度の大休止(コーヒー)をとりながら、350段の石段を登りきりました。


← 山門前の 覆いかぶさるようなモミジです。【拡大】
  
 





 
         山門を入ったところの境内 →
 










← 金堂にいたる階段


 「まだ登れと言うンかい!」

 
 
 

  
          境内最西端、地蔵堂前のモミジ林 →


  ようやく空高く上がった陽光を浴びて、輝いていました。

 




← 地蔵堂前の庭から眺めた清滝川…、このあたりは「
 雲峡
」と呼ばれるモミジの名所です。【拡大】

 この千尋の渓谷へ向けて、素焼きの陶器を投げる「かわらけ投げ」の場があります。
 2皿100円。 遠くへ飛べば願いがかなうとか言われていますが、僕は300円6皿も買ったのに、1枚も遠くへは飛ばず、すぐ下へヘナヘナと落ちるばかり。

 こりゃぁ、当分 願いはかなわないなぁ。
  
  
  


   11時過ぎ、登ってきた石段を下ります。 →




 石段の途中にあった「硯石亭」に入りました。
                【拡大】 ↓

















  
  
  上下前後左右…紅葉のオープンテラスで、朝昼兼用食
 「湯どうふ御前」を食べました。      【拡大】


  紅葉に囲まれてつつく湯豆腐も、また格別です。
 







← 名物は「もみじ餅」 【拡大】


 道明寺餅の上に自家製のあんをのせて作った一口サイズのお菓子です。 630円。
 


 
 高尾〜清滝 東海自然道



 




       神護寺下の「東海自然道」入り口 →


  ここから、約3.5Kmの清滝川に沿ったトレイル
 コースが始まります
 
 





← 清滝川の流れは澄み切った清らかさで、色づいたモミジの影を写していました。












    道は、時に河原を歩き、時には山を登る、
         結構ワイルドなコースです。【拡大】 →



 日頃の不摂生のたたりか、子供連れの家族、お年寄りのペア、おじさんおばさんの一団…など、何組の人たちに抜かれたことか(苦笑)。
 
 


← ところどころに 鮮やかな紅葉が見られました。


      錦 雲 峡
 
 
 










  
  
     途中の紅葉の名所「錦雲峡」【拡大】


 ハイキングの人たちが、お弁当を広げていました。





← 木漏れ日の下で 憩いを取る人たち【拡大】


 
 

















   そして道はまた 岩山の続く山道に… →
 
 



← 小さな滝(?)がありました。


 
 









   清 滝




  歩くこと1時間30分、清滝に出ました。→


 市内から遠くはなれた 京都の隠れ里は、あでやかな錦に包まれていました。
 
 


← 赤い橋は、愛宕山登山道の入り口「渡猿橋」です
















  河原へ降りてみると、両岸の紅葉は
 覆いかぶさるような迫力でした【拡大】



 高尾から、「ええい、歩いてみよう」と思いつきで清滝まで歩いてきたけれど、車を置いてきているから、高尾へ戻らなくてはなりません。
 「タクシーは…?」と探したけれど、1台もいない。しばらく歩くと、京都バスの始発停留所があって、バスが止まっています。
 「高尾へ行くには、どこで乗り継げばいいの」と聞くと、「高尾は嵐山を越えて市内へ戻り、今出川あたりで高尾行きに乗ることですなぁ」と言う。
 バスを待っている人たちが、口々に「高尾やったら、川沿いに歩いていったらええよ」「4Kmぐらいやから、バスを乗り継いどるよりも早いよ」と教えてくれます。
 「僕はその道を歩いてきたンです。もう歩いて帰るのはゴメンだ」と説明すると、「清滝へ空で来るタクシーは1台も居りまへんで…。」「嵐山までバスで出て、そこからタクシーを拾いはったらよろしいがな」と知恵を出してくれました。
 

 バスに揺られて嵐山に向かったところ、途中で「大覚寺前」のコールを聞いて下車…。どこまでも、行き当たりばったりです(苦笑)。


          バス停から大覚寺まで歩いた畑中の道に、
              柿木がたくさんの実をつけていました。→



 大覚寺


 
← この写真は JRの「そうだ京都行こう」のポスター、
 大沢池から見た大覚寺が、真っ赤な紅葉の中に写されて
 います。

 




         僕が対岸から撮った写真 【拡大】


   もちろん、JRに対抗するつもりはありません。

 


← 嵯峨御所と呼ばれた頃をしのばせる女官の人形が展示されていました。




 旧嵯峨御所大覚寺門跡は、平安時代初期に在位した嵯峨天皇の離宮を、空海が宮内に五大明王を安置する堂を建てたのが起源とされます。
 鎌倉時代になると、亀山法皇や後宇多法皇が入寺し、ここで院政を行ったため「嵯峨御所」とも呼ばれました。
 皇室ゆかりの寺院であり、代々法親王が住職となった門跡寺院であるため、現在でも御所風の雰囲気が感じられます。



← 鯉にえさをやっている人たちがいました。
 そのえさを狙って、水鳥たちが集まっています。


 
 





         春には桜の花が心経宝塔を包んで
           あでやかな錦絵を描きます。 →



 門前でタクシーを拾って、高山寺駐車場へ戻りました。車に乗り換えて、「嵐山・高尾パークウエイ」を走って、再度、嵐山へ抜けました。


     高尾−嵐山パークウエイ


← パークウエイの大駐車場からは、眼の下に神護寺が望まれます。






 
  






← 保津峡展望台逆光に 保津川が銀色に光っていました。川の横を、トロッコ列車が走っているのが見えます。【拡大】
 天皇・皇后両陛下や外国元首も、車を降りて展望されたという絶景のビューポイントです。

 


 インターネットで「天竜寺ライトアップ」の情報を得ていたのですが、僕は「大徳寺」と勘違いしてしまって、天竜寺の前を走りぬけ、北大路を目指しました。門前で、勘違いにに気づきました。
 でも、もう引き返す気にもならず、近くの上賀茂神社も紅葉見ごろの表示だったのを思い出し、行ってみました。

← 上賀茂神社


 桓武天皇の御代に都が京都に遷されて以来、皇城鎮護の神、鬼門の守り神、総地主の神として崇められてきました。
 雷(いかづち)の御神威により、厄を祓いあらゆる災難を除き給う厄除(やくよけ)守護神として広く信仰されています。
 



 渉渓園(しょうけいえん)に流れる小川に杯を流し、小川のほとりで待つ歌人のもとに流れてくるまでに和歌を詠むという、王朝絵巻「賀茂曲水宴(かもきょくすいのえん)」が催されるのが、この小川です。            →




 コーヒーを飲みながら時計を見ると、午後5時30分。まだ夕食には少し早いし、この横の道を北へ走れば貴船・鞍馬に至ります。
 貴船のもみじ灯篭を訪ねることにして、上賀茂神社横の鞍馬路を北へ走りました。


    貴 船  もみじ灯篭


 貴船口駅から旅館街までの2Kmほどの夜道を、歩いている人がたくさんいました。
 観光協会駐車場へ車を停めて、ライトアップされた貴船の里を歩きました。


← 店や旅館は赤々と灯を点し、貴船神社への参詣道には訪れた人の足元を照らす露地灯篭が並べられていました。






     貴船神社への上り口            →
      ここから100段ほどの階段を登ります。


  鳥居の横の縁台に腰掛けて、おでんをつついている人が
 いますね。




← 神社の階段の途中から、貴船川をパチリ…。【拡大】



 川の中に、モニュメントが飾られているのが見えるでしょうか。






       貴船神社本殿、参拝する人が絶えません →


 貴船神社は水の神様…。水占いといって、水に浸して文字を浮かべるおみくじを引いていた人が多かったのは、若いカップルがほとんどだったからでしょうか。



 旅館街を抜けて、さらに上流の貴船神社奥の院を目指しました。
 あたりには街灯も途絶えて、灯篭の灯りだけが足元を照らし出しています。行き交う人の顔も定かでない暗さです。




 奥の院の境内では、琴・三味線の演奏が行われていました。
         【拡大】












 午後8時、 僕が車を停めた観光協会経営の駐車場から、貴船口駅行きのバスが出ていて、帰りの人たちが並んでいました。
 そろそろ店じまいを始めるところもあったけれど、まだ上ってくる人たちも多い中を、僕も帰途に就きました。市内へ戻って食事にします。



 先斗町 しば田。 電話を入れて、「8時30分を過ぎる。温かいものを…」と伝えると、鯛しゃぶを用意してくれていました。
 午後10時半、間もなく師走を迎えようとしているのに、どこか
暖かい京都をあとにして、帰途に就きました。



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