やっと 仁王門が見えてきました →
この門をくぐると本堂が鎮座していますが、この一帯の紅葉はまだまだです。
← 本堂と千年菩提樹
鎌倉時代には「天台別院」と称され、中枢部の300坊に加えて総計1000坊、1300余人を擁する大寺院となりましたが、室町・戦国時代には度重なる兵火をこうむり、特に天正元年4月11日に信長の焼討を受けて壊滅的な打撃を受けました。ルイス・フロイスはこの寺の繁栄を『地上の天国:Facusangi一千坊』と呼び、その消失を惜しんでいます。
江戸初期になって、井伊家、春日局、甲良豊後守等の寄進を得て現在の本堂・仁王門・山門等が再建されました。往時の姿は、「石垣参道」、棚田のような「一千坊跡群」、本堂横の「千年菩提樹」などから偲ぶことが出来ます。
参道を、本坊へ戻ります →
← 本坊裏の庭園は
紅葉真っ盛りでし
た。
この庭は東の山を借景に山腹を利用し、大きな池と変化に富む巨岩を配した、豪華な池泉廻遊式ならびに観賞式の庭園です。
本坊裏手の池を、飛び石伝いに巡ります→
← おっと 池に落ちないようにね。【拡大】
僧坊の縁側から見た築山 【拡大】→
← 東の裏山に続く築山も見事です。【拡大】
聖徳太子の願文に「一宿を経るの輩は必ず一浄土に生る」とありますが、これにちなんでこの庭も東の山には弥陀観音勢至の三尊をはじめ各菩薩に見たてて石を配しております。
これらの巨石は旧本坊庭園とさらに百済寺山内の谷川から集められたものを組み合せて作庭されました。【パンフより】
裏山へ登っていく途中、
紅葉の間から本坊をパチリ 【拡大】→
← 東山の高台からは、遠く琵琶湖も望まれ、この庭園は、別名「天下遠望の名園」と称されています。【拡大】
西方の借景は琵琶湖をかすめて、55km先の比叡山で、広大なパノラマ展望を望むことができます。さらに西方、880km先には、往時の「百済国」がありました。百済からの渡来人は、母国を偲んで、この「遠望台」に立ったことでしょう。
境内の紅葉は、ますます鮮やかでした 【拡大】→
帰途、夕日が比叡の山に沈んでいきました。やがて、近江盆地に夜の帳りが垂れ込めます。
はるか西の空に望郷の思いを馳せた、百済人の気持ちがちょっと解ったような気がしました。
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