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近江の古刹 湖東三山  −西明寺・金剛臨時・百済寺−  2007.11.23


 滋賀の紅葉どころはたくさんありますが、今日は湖東三山と呼ばれている、西明寺(さいみょうじ)・金剛輪寺(こんごうりんじ)・百済寺(ひゃくさいじ)を訪ねてみました。


   
西明寺の紅葉               【拡大】
    湖東平野の紅葉は、ちょうど見ごろを迎えていました。




 滋賀県は、古来から交通の要衝で、天智天皇の近江朝が開かれていたように、奈良時代よりも以前から政治や文化の中心地として栄えたところです。東西交流や伊勢参拝の交通路としても開けましたが、平安時代には佐々氏が有力となり、源頼朝の挙兵を助けたりします。戦国時代になると織田信長が姉川の戦いに浅井長政を破り、天下布武を唱えて湖東に安土城を築きました。
 江戸期には、彦根の井伊藩を初め徳川譜代の大名が配されたことからも、近江を需要視していた幕府の政策がうかがわれますが、経済的発展も目を見張るものがあり、特に近江八幡を中心として近江商人と言われる大商人を多く輩出しています。
 歴史と文化に彩られた滋賀県には、見どころがいっぱいです。


 午前8時出発。ちょっと出遅れましたね、駐車場が空いてるかどうか、心配です。


← 水口から、日野グリーンバイパスを北上します。一帯は湖東平野が広がる 江州米の産地。刈り入れを終えた田圃が、しばしの休息に入っていました。

  





           9時過ぎ、「西明寺」に到着 →


 
龍應山 西明寺 http://www.saimyouji.com/



 門前の駐車場はまだ空きがあって、駐車OK。でも、次々と観光バスが到着して、寺内はみるみる観光客であふれます。
 
← 門を入ってすぐ左、「不断桜(四季桜…10〜11月に満開と
 か)」が咲いていました。【拡大】



 紅葉に囲まれて 季節はずれに咲く桜は、花弁が1cmほどの
小さな花です。
 
 

 

 この西明寺も、他の二寺と同じく、裏山一帯に広がる広大な寺域を有しています。


   山門から本堂への参詣道は、名神高速道路の上を
   またいで、山の中へと伸びています。      →




← 参道を行くと、木漏れ日に輝く紅葉が、
 鮮やかでした。【拡大】


 
西明寺は、平安時代(承和元年、834年)に開基、織田信長の比叡山焼き討ちのとき、その戦禍をこうむりましたが、本堂・三重塔・二天門が火難を免れ、現在に至っているとか。

 
 

 
見ごろを迎えた紅葉が、
 さまざまな表情を
 見せます 【拡大】
 
  




← 階段を登っていくと、覆いかぶさるような紅葉に出会います。
 
 











      僧坊前。黄色の葉が、
         朝日を受けて、鮮やかです 【拡大】

 




← 名勝庭園
  「蓬莱庭」
  【拡大】


 さらに参道を登っていくと、階段の最上部に「二天門」
(重文、室町初期)が据えられていました。
 その手前右側に2本の杉の大木が、上でひとつになって
いて、相生の杉として祀られています。↓








 










← 二天門をくぐると、右手に三重塔(国宝、鎌倉期)
 がたたずんでいます。










   本堂(国宝、鎌倉期)の縁台から後ろを振り返ると、
   色鮮やかな紅葉を背景に、
         口漱ぎの「洗心水」が見られます。 →

 




 拝観ののち、参道を下ります。


← 参拝の人たちが、続々とやってきました。これから
 向かう寺々の混雑が恐ろしい。




 西明寺をあとにして、金剛輪寺へ向かいました。



 
 


 11時前、「金剛輪寺」に着きました。もう駐車場はいっぱいで、第3駐車場へ。徒歩10分…。





松峯山 
金剛輪寺 http://www.biwa.ne.jp/~kourei/

 





 この寺は、山門からとにかく階段と坂道で登ること…登ること…。
 途中 3〜4回は休憩しないと 素人は無理です。



← 坂道の両脇には 風車を持った 小さなお地蔵様が ずーっと並んで迎えてくれています。【拡大】








   階段を上がりきると、本堂の前に 見事な紅葉が… →


 盛りには真っ赤に色づくので、「血染めのモミジ」と呼ばれているそうです。



← 伽藍の一番奥にある三重塔は、紅葉に埋め尽くされて
 いました。【拡大】


 この金剛輪寺は、聖武天皇と行基菩薩により天平13年(741)に開山された天台のお寺で、1200年の歴史を持つとか。



   三重塔は、本堂より古いもの
  ですが、荒廃したままとなって
  いたため、昭和49年(1974)復
  元されました。      →





  逆光に、モミジの黄葉が
  照り映えています。  ↓





 
 










 
     三重塔から振り返って下を見ると、
      本堂も紅葉の中に埋もれていました →

 




← 本堂、三重塔の拝観を終えて、
 もと来た坂道を下ります。

 
 













   途中に お地蔵さんの会議室が… →


 このお地蔵さんたち、なぜ風車を持っているかと言うと、特段の意味はなくて、生花の代わりなんだとか。お掃除するのも、楽ですよね。





 山門近くの僧坊の庭園

 
 














  赤・黄・紫・緑と、さまざまに
  色づいた木々が綾なす色彩がきれいです 【拡大】

 








← それにしても この紅葉…、
 ただ 見上げるばかりです。【拡大】
 
 







 僧坊前の茶店で、山菜うどんとみたらし団子を食べました。



             山門へと下る坂道の途中… →

 










← 山門の手前に、
   また燃えるような紅葉がありました。






 午後1時30分、金剛輪寺をあとにして、百済寺へ向かいました。両寺の間は、車でものの20分ほど。でも、百済寺の近くまで来ると、駐車場が満杯で、駐車待ちの車が道に列をなして並んでいました。
 30分以上、のろのろと進みながら駐車待ちしていましたが、道端の農庭先を臨時駐車場にしている農家があり、運良く1台が出て行くところでした。入れ替わりにそこへ停めて、20分ほど坂道を登りました。

 
 
  
百済寺(ひゃくさいじ)
  http://www.hyakusaiji.or.jp/


   本坊のうしろの山の紅葉が鮮やかでした【拡大】
 

 弥生時代から拓かれていた湖東の地には、朝鮮半島から渡来した人たちが多く住み、先進文化を伝えていました。
 
百済寺は近江の最古級寺院で、今から1400年前、606年(推古14年)に、聖徳太子が百済人のために押立山(771.8m)の中腹に、百済国の「龍雲寺」を模して創建されたものです。 
 
← 本坊横の正門をくぐり、
  本堂への石段の参道を登ります。【拡大】



 学問の師であった百済博士「慧慈」とともにこの地を訪れた聖徳太子が毎夜、瑞光(目出度い兆の不思議な光)放つ杉の巨木を見つけ、根の付いたままの下半分の幹に「十一面観世音菩薩像」を彫り始められました。これが百済寺のご本尊です。


 百済寺(ひゃくさいじ)という寺名は、この寺が渡来人たちが帰依し、遠くふるさとをしのんだ寺であることからつけられた名前です。ちなみに、百済を「くだら」と読むのは日本だけで、朝鮮半島では「ハクサイ」と呼んでいたそうです。



  

        やっと 仁王門が見えてきました →


 この門をくぐると本堂が鎮座していますが、この一帯の紅葉はまだまだです。

 




← 本堂と千年菩提樹


 鎌倉時代には「天台別院」と称され、中枢部の300坊に加えて総計1000坊、1300余人を擁する大寺院となりましたが、室町・戦国時代には度重なる兵火をこうむり、特に天正元年4月11日に信長の焼討を受けて壊滅的な打撃を受けました。ルイス・フロイスはこの寺の繁栄を『地上の天国:Facusangi一千坊』と呼び、その消失を惜しんでいます。
 
 
 江戸初期になって、井伊家、春日局、甲良豊後守等の寄進を得て現在の本堂・仁王門・山門等が再建されました。往時の姿は、「石垣参道」、棚田のような「一千坊跡群」、本堂横の「千年菩提樹」などから偲ぶことが出来ます。

                 参道を、本坊へ戻ります →



 

← 本坊裏の庭園は 
 紅葉真っ盛りでし
 た。

 
 
 
 




 この庭は東の山を借景に山腹を利用し、大きな池と変化に富む巨岩を配した、豪華な池泉廻遊式ならびに観賞式の庭園です。


    本坊裏手の池を、飛び石伝いに巡ります→






← おっと 池に落ちないようにね【拡大】












 
 
     僧坊の縁側から見た築山 【拡大】

 




← 東の裏山に続く築山も見事です。【拡大】


 聖徳太子の願文に「一宿を経るの輩は必ず一浄土に生る」とありますが、これにちなんでこの庭も東の山には弥陀観音勢至の三尊をはじめ各菩薩に見たてて石を配しております。
 これらの巨石は旧本坊庭園とさらに百済寺山内の谷川から集められたものを組み合せて作庭されました。【パンフより】


      裏山へ登っていく途中、
       紅葉の間から本坊をパチリ 【拡大】


 
 













← 東山の高台からは、遠く琵琶湖も望まれ、この庭園は、別名「天下遠望の名園」と称されています。【拡大】




 西方の借景は琵琶湖をかすめて、55km先の比叡山で、広大なパノラマ展望を望むことができます。さらに西方、880km先には、往時の「百済国」がありました。百済からの渡来人は、母国を偲んで、この「遠望台」に立ったことでしょう。




   境内の紅葉は、ますます鮮やかでした 【拡大】

 
 
 
 
 


 帰途、夕日が比叡の山に沈んでいきました。やがて、近江盆地に夜の帳りが垂れ込めます。
 はるか西の空に望郷の思いを馳せた、百済人の気持ちがちょっと解ったような気がしました。


                                
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