【142】 結城神社の梅園  −まだ1〜2分咲き−        2008.02.16


 午前7時、僕にしては飛びっきり早くに飛び起きた。各地から梅の花の便りが届く昨今、ちょっと気になって、食事のあと、8時30分、我が家から車で10分ほどにある「結城神社」の梅園を見に行った。
 駐車場へ車を停めて本殿へ向かうと、まだ9時前、4〜5人の職員がサライや竹箒で境内を掃き清めていた。本殿前はすでに掃き清められ、玄関戸が開けられて拝殿を見渡すことが出来た。賽銭、二礼二拍手一礼!

     百花に先駆けて咲く梅の花のうちでも、
      「蝋梅」は花が早い。枝いっぱいに花をつけていた →

  
 参拝(見物)客が7〜8人、「まだ、ちょっと早いか。見ごろまでは2週間ほどかかるね」などと言いながら、境内を回っている。確かに、園内400本といわれる梅の木のほとんどは、まだチラホラと花をつけているだけ。ほとんどのつぼみは固い。
 すでに梅園は開園しているが、『咲き初めです。ご了承ください』との張り紙があった。入園料500円は、まだ払えない。


← 僕のお気に入りである、本殿右前の「鹿児島紅」も
早咲きなのだが、まだ2分の開花
  
よく咲いている一枝を選んでパチリ
  
 結城神社は、南北朝時代の南朝功臣のひとり結城宗弘を祭神としている。
 「太平記」によれば、吉野に逃れた後醍醐天皇の命を受け、1338(延元3)年、宗弘は義良(よしなが)親王や北畠親房らとともに、南朝勢力の結集を図ろうと、伊勢大湊を出帆して東国へ赴くが暴風に遭い、船は安濃津に漂着して、宗弘はこの地で病没した。
 宗弘を悼んで塚が造られ、「結城塚」とか「明神塚」とか呼ばれていたが、江戸時代になって津藩の儒者たちが忠臣宗弘の顕彰運動を行い、1824(文政7)年に神社として祀った。
 1682(明治15)年、別格官幣社に列せられたが、戦災で社殿は全焼、1956(昭和31)年に再建された。

 
 



← 全体の咲き具合は、この通りで、1〜2分咲き







 鯉も悠々と泳いでいる。
 ご神鶏は、数年前の鳥インフルエンザ騒動以来、居なくなってしまった。






   家へ帰ってから、先年に行ったときの写真を引っ張り出して見たら、日付は3月9日となっ
  ていた。まだ、3週間先か。             
2004年3月初めの梅園 ↓






 午前9時、ドンドンドンと太鼓が鳴ったので、何事かと本殿をのぞきに行ったところ、1組の若い男女がお祓いを受けていました。

今朝の結城神社











 
  9時30分、家に帰ってきて、また寝ました。


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