【148】 伊賀上野城(藤堂高虎入府400年祭)と常住寺(精進料理)  2008.07.05


 藤堂高虎が、津・伊賀の城主として入府して、今年で400年を迎える。今日は、伊賀上野で会合があり、高虎が築いた上野城の解説を受けて見学、そのあと市の西郊外の小高い山のふもとに位置する常住寺で精進料理をいただいてきた。


← 400年祭記念展が開かれている上野城

           見学の前に、レク
チュアーを受けた →



 この城は、大阪夏の陣を前に大阪攻めの先鋒の城として造営、築城の名手であった高虎は30mの高石垣を持つ堅城としてこの城を造った…などは、津・上野の人ならば誰でも知っている。
 が、この日の説明で、滋賀の郷士の子であった高虎が一代で得た津藩32万石は、一国一円十二家(前田、島津、毛利、池田、蜂須賀、黒田、浅野、備前池田、山内、宗、藤堂、松江松平)に列する大大名であったことを知った。
 大宝律令に定められた国を一国丸々領地とする国持ち大名は江戸期360余の大名家でも20家しかない。主を7度も10度も変えたといわれる高虎だが、家名のため、家来のため、そして天下の平和のために家康を仰ぎ、なお、武勇・築城・経綸に並外れた才能を持っていたからこそ、32万3950石を手にしたのであろう。


← 天守閣へ上がる階段。どこの城もそうだけれど、
  上へ行くほど急傾斜になり、この階段はまるで梯子だ。



 伊賀上野城の天守閣は、築城中に暴風雨に遭って倒壊、以後、再び構築されることはなかった。
 大正4年、三重県から衆議院議員に当選した川崎 克は私財を投げ打って天守閣の再建に取り組み、昭和10年に竣成した。


      川崎 克の肖像。明治期の政治家は偉かった! →


← 天守閣から、上野の
  市内を一望。



 午後0時30分、伊賀上野城を後にして、お昼を用意いただいている「常住寺」へ向かった。
 
 
 

 上野市内を眼下に収める西の丘陵に鎮座する天台宗平野山「常住寺」は、県文化財「閻魔堂」(1660年(万治3年)藤堂藩2代藩主高次が建立)を擁している。


          前庭から上野市街を望む。
          正面に伊賀上野城が見える。 →

 

← 常住寺でいただいた精進料理。 この豆腐田楽のほか、
 蒟蒻など12品目の料理が並んでいた。



 肉や魚を一切使わず、湯葉や生麩、野菜などを具材としてつくられる精進料理。手の込んだ料理が並べられていて、質素というイメージには程遠く、鮮やかな色を添える梅干の天ぷら、干しシイタケとジャガイモの精進肉じゃがなど、居酒屋顔負けの創作料理のオンパレードでした。


 今回の設営を引き受けてもらった
 世話役さん心づくしの
               伊賀銘菓「五香(いが)の影」→

 

 胡麻・挽き茶・はったい粉・きな粉・紫蘇を上質のもち粉にまぶし、漉し餡をくるんだ菓子である。それぞれの粉の香りが、ほの甘い餡子を包み、口の中に広がる。
 文化の薫り高い地には、銘菓が作られ、伝承されている。
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