【151】 貴 船 川 床  〜 蛍になりたい 貴船川 〜      2008.08.12


 立秋も過ぎたというのに、少しも暑さが治まらない。一服の涼をと思い立って、京都へ走っていった。貴船の川床で昼食でも…という算段である。
 
 午前9時を少し回った頃に家を出て、途中でコーヒーを飲んだりしながら京都の友人宅に着いたのが11時過ぎ…。新名神の開通で、京都はずいぶんと近くなった。そのまま友人を乗せて、貴船へ向かう。
 叡山電車鞍馬線の貴船口駅を過ぎると数分で、貴船の旅館街が見えてくる。川沿いに軒を並べる料理旅館の各店がそれぞれに貴船川の上に床を張り、客席をしつらえていた。
 友人が無理を言って取ってくれた予約は午後1時…。店の駐車場に車を入れてからまだ小一時間ほどあったので、貴船神社へお参りすることにした。このお宮は、全国に500社も点在する貴船神社の総本宮である。


 朱塗りの鳥居をくぐって、春日灯篭の並ぶ石段を登ると、やがて神社の表門が見えてくる。
 社伝によると、神武天皇の母后「玉依姫」が大坂湾から黄色の船で淀川をさかのぼり,賀茂川からさらに水源を求めてこの地に到着して社を建てたので、ここを「黄船」というとある。
 本堂は最近改修され新しくなっている。ご祭神は「高おかみの神」といわれ,水を司ることから,日照りや長雨の祈祷を受ける神事が多い。
 本堂のそばの岩から湧き水が出ている。ご神水といわれ,弱アルカリの良水で,汲み置きしても1年は味が変らないとか。
 この神社のおみくじは「水占(みずうら)」といって、みくじの紙を水に浮かべ、濡れると浮かび上がる文字を読む。水の神様だから、おみくじも水で浮かび上がる趣向で、なにやらゆかしい。


← 貴船神社のおみくじ「水占(みずうら)」
 
 
 昨年秋に2度もお参りしたから奥の院は失礼して、店へと取って返した。予約の時間に少し早くて、控えで少し待った。
 京都市内の気温は今日の予報では36℃、ここまで来ると気持ち涼しい…。料理を運んでくれた仲居さんは、「市内とは確実に5〜6℃は違います。時には10℃ほども…。」と言う。う〜ん、床下を流れる清流の瀬音にも涼しさが感じられる風情を加味して、やっぱり貴船は爽やかな涼感の漂う、京の離れ座敷という存在なのだ。

 先付けに続いて、八寸は川えび素揚げ・焼目栗・唐墨など、造りは氷鉢に鮪・鱧梅肉添え、吸い物は鱧の骨から出汁をとった潮汁、夏野菜の冷し鉢、焼き物は鮎の塩焼きを大笊から取り分けてくれる。
 一息入れて強肴に殻付ずわい蟹と雲丹。強肴が付くということは後で抹茶のおもてなしがあるかも…。
 お凌ぎはもち米の鰻・穴子添え蒸し、季節の野菜にアマゴの唐揚げをあしらった揚げ物のあとは、箸洗いの吸い物。
 ご飯をいただいたあと、「冷たいお抹茶、いかがどす」と聞かれ、有り難く頂戴してきた。
 今日の料理は茶懐石のコース…、突然の訪問にも心づくしのもてなしをしてくれる接待の爽やかさも、貴船の涼感のひとつなのだろう。


 今は涼しげな水音を立てて床下を流れている貴船の清流だが、まとまった雨が降った後などは川があふれて、この旅館街も過去何度か家屋を流される被害に遭っているという話を聞いてきた。
 貴船川はこの旅館街から5kmほど登った芹生峠から流れる出る短い川なのだが、多くの枝谷があって、集中豪雨にあうと一気にこの川が増水するのだそうだ。昭和34年の水害では、流木が川を堰き止めて水があふれ、たくさんの旅館が流される被害に遭ったとか。


 そして、貴船といえば平安の昔から幾たびも歌や物語に登場した歌枕の地でもある。
 旅館街を後にして貴船路を下ってくると、叡電「貴船口」の手前に赤い柵で囲われた大きな岩がある。「蛍岩」と呼ばれ、傍の説明板によると、平安の女流歌人「和泉式部」が貴船神社に参詣して恋の成就を祈り、「もの思へば沢の蛍もわが身よりあくがれ出づる魂かとぞ見る」と詠んだのが、この蛍岩の近辺であったらしい。
 蛍の盛りは6月半ばの入梅から7月7日の貴船水まつりの頃。昔は蛍岩から貴船神社にかけて、川沿いのどこででも蛍の乱舞を見ることができたそうだが、最近はめっきり数が減っているという。


 僕は今、カラオケで「貴船川(きぶねがわ)」(歌、三代沙也可)という歌を、持ち歌のひとつとして歌っています。この歌、知ってますか?
 『 あなた ほら あなた 蛍です … 待って 待って 一年待って 思いを遂げる夜だから 蛍になりたい 貴船川 』と女心を切々と歌った歌詞なのですが、この歌に魂を入れて完成させるためにも、来年はホタルを見に来なくてはいけませんね。 ン…、その前に一緒に来る人を探さなきゃ…。



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