【153】 源氏物語千年紀 「石山寺」               2008.11.30
 
 今年は紫式部が「源氏物語」を著してから1000年目にあたるとか。この寺に篭ってその構想を練ったといわれる「石山寺」を、紅葉のうちに訪れたいと思っていた。源氏物語にはひと講釈ある奈津子と、最近マンガの『源氏物語 あさきゆめみし』を読んだ真美ちゃんがが一緒に行くと言う。

 午前6時30分、奈津子の車で出発。そのほうが燃費が良いし、しかも運転してもらえる。ガソリン代と高速代は章くん持ちという契約が成り立っている。「ETCがついてないのよ」と奈津子は言うが、北海道まで行くわけでないから割引なんて知れている。「もうじき民主党が政権をとるから、今さらETCなんてつけるなよ」と章くんはどこまでも無料派だ。


← 東大門 【拡大】



 途中で朝食を食べたりしていて、石山寺へ到着したのが9時30分を過ぎた頃。でも、ほんの5分ほど待っただけで、駐車場に入ることができた。お昼過ぎの帰りがけに見ると、百台近い車が信号を2つ越えた先まで伸びていて、300〜400mほどの列を作っていたから、この人たちは少なくとも2時間以上は待たされていることだろう。『早起きは三文の得』とは、このことか。

 
    
門をくぐると、紅葉のアーチが出迎えてくれた。 →


    
夜間ライトアップも行われていて、道の両側には
    露地行灯が置かれている。
 





 参道に沿って「宝性院」「法輪院」などの僧坊や、「拾翠園」「公風園」などの庭園が並んでいて、それらを会場に、源氏物語ゆかりの品々が展示されていた。
 

← 源氏物語千年紀イベントの飾り

 
 




 
     
   境内は120%の紅葉… →

 

   









← 「淳浄館」紫式部恋歌つづり展



 源氏物語の中にある代表的な和歌を、源氏物語絵巻のそれぞれの巻の部分絵が描かれた画幅紙に書き、生け花などを添えて展示している。
 和歌それぞれの味わいもさることながら、綴られている文字の優美さにも、こころ見開かされる思いがした。
  

← 「密蔵院」 千年未来館
 

  ロボットの「MURASAKI」が、来場者に源氏物語や
 石山寺の歴史を語って聞かせる。


  
 
 


 
「明王院」
  田辺聖子源氏物語文学館 →



 源氏物語のさまざまな場面が壁紙に描かれて展示されていた。
 いちばん右の絵を見て奈津子が、「『六条御息所』ね。光源氏の愛人となるンだけれど、思い募って悶死し、正妻「葵の上」をとり殺すのよ。源氏物語の女主人公のひとりね」と解説してくれる。


 「明王院」をあとにしてさらに奥へと進むと、右上の高台の紅葉の中に本堂の屋根が見えてきた。
 

← 下の参道から見上げた、紅葉に包まれた本堂


 本堂下の急な石段をあえぎつつ登りきると、目の前に巨岩が聳えていた。 
 
 

         
【拡大】↓    【拡大】→
 
  








 











 「石山寺」は、滋賀県大津市石山町にあるお寺だからその名前がついているのだと思っていたのだが、この一帯は大きな岩山でできていて、この寺は、文字通り石山の上に築かれている。まずは「石山寺」が建てられて、そこから石山の地名が起こったということなのだ。 ←【拡大】
 この寺の開山は古い。東大寺大仏建立の発願に由来するというから、奈良時代のことだ。石山の上に仏像を置いて、大仏の体に貼る金箔の勧進を願ったところ、仏像が石山から離れなくなり、そのままここに庵を編んだと、ものの本に書かれていたように思う。  




 

← 正面の巨岩から左を向くと、手前に
 「蓮如堂」、その奥の石段を上ったと
 ころに「本堂」がある。

 
 






 
 
 
 本堂の縁から下を見下ろすと、伽藍の屋根に
 紅葉が降り積もって、錦綾なす… 【拡大】

 

 本堂の裏手を登っていくと、「多宝塔」「心経堂」「宝物館」などが並んでいる。

 
← 国宝「多宝塔」 【拡大】


 えもいわれぬ優美な姿のお堂だ。本堂下の広場から見上げたときに、巨岩の上に鎮座ましましていたのは、このお堂である。
 石山寺は戦国末期に本堂などを兵火で焼失しているが、戦災を受けていないので、たくさんの遺品・資料が残っていて、国宝も数多い。





 
 
   
逆光に映える、本堂裏手の紅葉 【拡大】


    二人のシルエットが、往く秋の中へ
   溶け込んでいった。




 ↓ 月見台左手は断崖… 【拡大】 
  




















 石山寺の月見台から見る名月は、近江八景のひとつ「石山秋月」といわれて、ひときわ美しいとされる。
 
その月見台がこれ。「玉座」と書かれていたから、天皇陛下しかこの台上には上れないのではないか。この左手は瀬田川に向けて断崖になっていて、眺望が開けている。下々のものは、この庭から月を愛でたのだろう。
 
心経堂 更に登っていくと 宝蔵

 
 





 












← 「豊浄殿」前の紅葉

 


 「豊浄殿」内に、源氏物語の主な登場人物と題する相関図が展示されていた。→
 ざっと数えて約50人…、やっぱり大作なんだ。



 


                
紫式部の直筆、写経 【拡大】


  きっちりとした文字が並んでいて、几帳面な性格だったのだろうと
 思わされた。こりゃぁ、ダンナはたいへんだなぁなんて、余計なこと
 を考えたりした。

 




← 境内の最奥部にある「紫式部像」と、うしろは「光堂」

 
 この像の紫式部は、細面の現代美人である。平安時代はお多福顔がもてはやされたということだから、ちょっと生まれてくる時代を間違ったか。まぁ、この顔が本人のものであるという保証も全くないわけで、騒ぐ必要もないかな。
 
 


 
帰り道、参道から
   仰ぎ見た本堂 →

  

 
 


 

山門へと戻る帰り道



落葉が足元でカサコソと音を立てて、往く秋への名残りを奏でていた。





                  「拾翠園」庭園 → 


  京都の「叶匠壽庵」が茶店を開いていて、抹茶をいただいて
 きた。謹製のお菓子をつけて735円は、高いか、安いか。

 

 
門前のみやげ物店がイベントに呼んだのか、舞妓さんが来ていました。なかなかにキリッとした顔立ちの別嬪さんでしたよ【拡大】


 時刻は午後1時、もう少し舞妓さんを見ていたかったのだが、なんか気恥ずかしくて、早々に車に乗ってしまった。
 この頃には駐車場に入ろうとする車が、長蛇の列を作っていた。あの車の人たちは、今日のうちに入山できただろうか。ライトアップも行われていたから、夜の部に入ったかもしれない。


 

 帰り道は瀬田川沿いに南下…、河岸の紅葉が見事だった。【拡大】
 信楽で人気のソバ屋に入って、遅い昼食をとった。

 
 














 
 
 道端の陶器店に寄って、湯飲みを買ってきた。


← かなり大ぶり。直径が
 13cmあるが、この大
 きさがいい。
  でも、とても軽くて、
 手になじむ。下の茶托も
 ついて2835円。



 奈津子は蓋つきの信楽湯飲みを、真美はセラピーの咬合を買った。


 午後5時、津へ戻って簡単に食事をして解散…。クロネコヤマトが閉まるまでに、荷物を出しに行かなくてはならなかったンだ。


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