野宮神社
【154】 往く秋 厭離庵・直指庵     2008.12.02


 今朝は珍しく早起きしたので(と言っても8時前だったけれど)、9時ごろから京都の紅葉へ出発…。
 草津インターで朝昼兼用の食事をとって、嵐山に着いたのは12時を少し過ぎた頃だった。市営駐車場に車を置いて、嵯峨野を歩いてみた。天竜寺の前を通り過ぎ、竹林を抜けて源氏物語千年紀ゆかりの野宮神社へお参り。今日は常寂光寺や祇王寺などポピューラーな寺院は失礼して、まずは清涼寺の横にある「厭離庵(えんりあん)」を目指した。
 
 「厭離庵」は小倉百人一首を編んだ歌聖「藤原定家」の山荘「時雨亭」があったと伝えられるところ。「時雨亭」の所在地については、他にも2ケ所ほどの候補地があるのだが、定家はその庵で歌を詠み、百人一首を選定し、80歳の天寿を全うした。
 その後は荒廃していたが、江戸時代、歌道に秀でた零元法皇によって「厭離庵」の名称を賜り、臨済宗の庵寺として再興された。明治になって山岡鉄舟の娘が尼として入り、以後、尼寺として今に至っている。



 苔むす庭園の上に落ち葉が降り積もって、紅と緑の対比が色鮮やかであった。嵯峨野の住宅街の裏手にひっそりとたたずむこの庵は、知る人ぞ知る名園である。


← 桂離宮を模した四畳向切の茶席「時雨亭」の内部


 普段は非公開。11〜12月の紅葉の時季だけ、一般に公開されている。
 
 
 厭離庵をあとにして、清涼寺の北の小道を東へ歩くと、やがて大覚寺だ。今日は、その屋根を東に見ながら左に折れ、畑中の道をゆっくりと北へ歩く。農家の庭先の柿の木が、たわわに実をつけてていた。
 大覚寺からゆっくりと歩いて10分足らず、やがて細道は北嵯峨野の竹林のなかに入り、竹薮のトンネルの先に小さな庵が出迎えてくれる。

 境内は、鮮やかな紅葉であった。



 
 
 「直指庵」は、江戸初期に南禅寺の禅僧「独照」がこの地に庵を編んだのが起源である。江戸後期には荒廃していたのを、幕末、NHK大河ドラマ「篤姫」にも登場した、近衛家の老女「村岡局」によって再興され、浄土宗の庵寺となった。
 村岡は、西郷隆盛らの討幕運動を助けたため、安政の大獄のとき捕縛され、江戸に送られて拷問を受けたりするが、30日間の押し込み(拘禁)ののち京に帰されている。帰郷して後も討幕運動にかかわって再逮捕されたりしたというから、かなり積極的な女の人だったのだろう。晩年はこの庵に住んで、近所の子女に手習いなどを教えて慕われ、88歳で没したとある。
 
 
威容を誇る山門

 帰り道、「清涼寺(嵯峨釈迦堂)」に寄ってみた。
この寺、去年も寄ったので、往きには素通りを決め込んだのだが、去年は拝観しなかった庭が素晴らしいと聞いて、まだ時間があったのでのぞいてみることにしたのである。
 この寺は嵯峨野でも有数の古刹で、五台山清涼寺と号する大寺である。源氏物語の光源氏のモデルとされる平安貴族の源融(みなもとのとおる)の別荘を、寺に改修したもので、本尊の三国伝来の釈迦仏は、霊験あらたかな御仏として人々に崇拝されている。
 
 
 
← 庭は、小堀遠州の作


  江戸期の島原「扇屋」の名
 妓「夕霧太夫」(のち大阪の
 新町に移る)が分骨してこの
 寺に眠る。姿が美しく、また
 芸事に秀でた名妓で、若くして病没すると、大坂中がその死を悼んだという。享年は22とも27とも伝えられるが、彼女の命日2月27日は「夕霧忌」として、俳句の季語にもなっている。
 初代中村雁次郎は大阪新町の「扇屋」の生まれだが、その娘「中村芳子」はその縁で「夕霧太夫」を襲名し、嶋原の太夫として活躍した。
毎年11月の第2日曜日にこの清涼寺で「夕霧供養祭」を行ってきた(彼女の死後は現役の太夫が行事を引継いでいる)。清凉寺境内に、彼女の歌碑が建てられている。

造り 明石鯛の薄造りと
近海鮪・車えび
炊き合わせ

 『あでやかに 太夫となりて 我死なん
   六十路過ぎにし 霧はかなくも
』(昭和62年、逝去)


 夕食は、たん熊北店のおまかせ。予約時間よりも早く着いてしまったけれど、「どうぞ、どうぞ」と迎えてもらった。
 谷崎潤一郎はこの店が贔屓で、席はいつもカウンターの奥の一角。板前さんに声の届くところが、お気に入りだったのだろう。今日は、僕もカウンターだ。まぁ、おまかせコースだから声をかける必要もないのだが、料理を造る手元を見ることができるのと、あれこれ聞きながら食べるというのはいいものである。


  右の写真の造りの鯛は2.5キロの明石ものの薄づくりで、紅葉
 おろしとポン酢でいただく。近海鮪と車海老は醤油で…。
  炊き合わせはホッとする温かさ。鯛の子とフキに、削りたての
 鰹節が添えられ、木の芽の香りがたちのぼる。



 二汁八品で満腹…。そのあとは木屋町筋を歩いて居酒屋をのぞいたりしたて、10時過ぎに帰途に就いた。
                                  物見遊山トッブへ