【189】 2010年 新春の北京              2010.01.01-06


 1月1日出発。新春を迎えた北京へ行ってきました。初めての北京なので、手軽なツアーに申し込みました。お定まりのコースを巡り、いろいろな制約があったりするツアーですが、どこか得体の知れない北京! その定番を一通り回ってくれますから、初訪問にはこれが一番いいかなと思いました。
 万里の長城、頤和園、紫禁城…、夜は王府井へもこっそりと足を伸ばし、3日には40年ぶりという北京の大雪を体験して、なかなかに楽しい旅行でした。


 それでは、ことの顛末をご報告いたします。
【以下の各項目は、日程の順にはなっていません。
 また、写真にカーソルを当てたとき、手の形に変わったら、大きい写真にリンクしています】


 
① 中部国際空港~北京


 午前4時30分起床。なぎさ町港から6時の連絡船始発便に乗り、6時45分、中部国際空港へ到着したときには、まだ夜は明けていませんでした。コーヒーを飲んで、初日の出を待ちました。


      
午前7時52分、雲の上に2010年の初日が
     顔を覗かせました。             →



     
明けまして、おめでとうございます。


 午前9時50分、中部国際空港を飛び立った日航機は、ほぼまっすぐに天津を目指し、日本列島を横断したのち、鳥取上空から朝鮮半島を通って、黄海から天津へ入ります。天津からは、バスで北京へ向かう予定です。


← 午後1時05分(現地時間 0時05分、以降は全て現地時間)、天津空港に到着しました。3時間15分のフライトでした。


 
天津空港は、北京オリンピックのときに開港した空港たということです。空港の広さに比べて、あまり大きくない建物ですが、入国手続きなどはそれほど時間はかからずスムーズでした。ここからバスに乗り込んで、高速道路で北京へ向います。


 北京までは、高速道路を使ってバスで2時間少々、新幹線では40分です。


 天津~北京間の、バスの車窓からの景色です。
一帯は平原・沼地で、
大きな木は一本もありません。

【追①、下参照】
川や池には氷が張りつめて
いました。
【追②】

高速道路の料金所です。

前のトラック、扉が開いて
きたのでしょうか。

【追③】
 
公安(警察)が立っていました。
【追④】

 モダンな橋が見えてきて、
「北京堺」の看板がありました。
【追⑤】 

北京の町中に入ってきました。
【追⑥】
これ、1台のバスですよ。
【追⑦】 
東三条通りに入ってきました。
 ホテルはもうすぐです。


【追①】高速道路沿いの木々は、道路建設時に植えられたものです。
    この季節、天津・北京のあたりは、冷気が立ち込めて靄(もや)がかかったような
   毎日が続くそうです。太陽の光も靄にさえぎられて、地表に届きません。
【追②】スケートをしたり、穴を空けて釣りをしたりしていました。
   人影が見えますか。拡大して見てください。
【追③】料金所で、後ろへ回って直していました。後続の車が数珠繋ぎに待っていますが、
    ノンプロブレムです。
【追④】さすがは中国の公安、微動だにしません。
【追⑤】北京市内に入りました。(画面の上が青いのは、バスの前面のガラスの色です。)
【追⑥】
現在、北京市の人口は1900万人。(戸籍人口は1,538万人(2005年末)ですが、
   他に公安機関(警察)に一時住居登録している流動人口が364.9万人いるとのことです)。
    人口では、重慶、上海に次ぐ第3位ですが、中国の首都として政治・経済の中心で
   あることに間違いはありません。
【追⑦】連結バスはヨーロッパでも見ましたが、ここまで長いのは…。ほぼ、2台分の長さが
   あります。これだけ大きくしないと、13億人は運べないのかな。



 午後3時30分、ホテルへ着きました。


     
北京の5泊を託す、「シェラトン北京」です。 →


フロントです 部屋は、キングサイズベッドのツイン

 僕はいつもの調子で、ホテルなんて寝られればいいと言ったのですが、友人は「冬の北京で、暖房の壊れているホテルだったらどーするんだ」などと言って、5ツ星ホテルを選んでいました。
 まぁ、シェラトンですから超一流とはいきませんが、今回の旅では、パサパサの朝食にも、赤茶けた風呂の水にも、お目にかからなくて済みました。ホントは、そこにこそ旅の醍醐味があるのに…と僕は思っているのですが。


 部屋に荷物を置いたあと、このツアー、食事に出ました。このツアー、食事はシェラトンホテル内ではなく、バスで20分ほど走ったところのレストランでとります。

      
第1日目の今夜は、広東料理だとか。→


 1テーブル10人が、次々と運ばれてくる料理をつつきあう形式で、これからあとの昼・夕食は北京料理・四川料理などの違いはありましたが、すべてこの円卓方式でした。


 ホテルへ戻ったあと、周辺を歩いてみました。


← 近所にあった、ハードロック・カフェです。


 中に入らなかったので、どんなものなのかは解りませんが、表のネオンは中国を再認識させる派手さです。
 毛沢東が生きていれば、これを見て何と言うでしょうね。「即刻閉鎖! 再開、文化大革命!」かな。


 ショッピングセンターに入ってみました。


 お値打ちな中国製品が並んでいるかと思ったのですが、日本のデパートに劣らない、キレイで明るい店内に並んでいる商品は、カッターシャツ2000元=28,000円、婦人用ドレス47000元=65,000円といった高級品ばかり。日本のデパートよりも高いものばかりでした。中国の富裕層、恐るべしですね。


    陶器売り場で、きれいなティセットを見つけました。 →
           お値段は、7160元≒およそ100,000円。



 
漢方薬の売り場で「冬虫夏草」が売られているを見つけました→


 冬虫夏草とは昆虫に寄生するコルジリア菌の総称で、漢方の妙薬として珍重されてきました。
 中国では紀元前2000年、殷の時代から冬虫夏草の存在が知られていました。泰の始皇帝(紀元前259~紀元前210)や楊貴妃(紀元後719~756)も不老長寿の秘薬として好んだといいます。
 1722年、北京で布教活動をしていたイエズス会宣教師がヨーロッパの友人に宛てた手紙の中に、「冬虫夏草を買うにはその4倍の重さの銀が要る」と書いています。冬虫夏草がいかに高価なものであったかがわかります。
 僕は、「冬虫夏草」なる名前は知っていましたが、見るのは初めてでした。


 館内の喫茶コーナーで、コーヒーを飲み、アイスクリームを食べました。                   →
 料金は、各フロアーに集金所があって、商品を注文した客は、お買い上げ票を持って集金所へ行き、支払いをして、領収書と支払い完了伝票を貰います。その伝票を売り場へ持ち帰り、商品を受け取るという仕組みです。
 北京のショッピングセンターやみやげ物店などの多くは、この方式でした。


← 帰りがけ、ゴルフ用品店を見つけました。一番
 手前の、緑の一角が店舗です。



 間口一間で営業しているこの店ですが、ひと通りのゴルフ用品は揃っていました。
 ゼクシオのアイアンセットもありましたよ。値段は、国際価格でした。



薄靄のかかったような空にまん丸の月が

シェラトン前のイルミネーション

 夜の北京、さぞかし寒いでしょう…ですって? そうですね、冬の北京の寒さについて、ちょっと書いておきましょう。 
 -15℃の世界と聞いて、寒がり屋の僕はセーターの重ね着や耳を覆う毛糸の帽子、手袋、マフラー、衣類に貼るカイロ…、さらに、足の裏に貼るカイロまで用意して出かけました。
 でも、まず足の裏カイロは熱過ぎ…、厚手の靴下で十分です。昼間は-5℃ぐらいですが、徳利のセーターに防寒コートを着ればこれまた十分で、万里の長城や紫禁城を歩いたときには汗ばむほどでした。
 今日の昼間の気温は-4℃…。夜になって4~5℃は下がっているでしょうから、帰り道の今頃は-10℃ぐらいでしょうか。
 でも、風もない北京の夜は、防寒コートと耳を覆う帽子があれば、少しも寒くはありません。この夜、僕はマフラーを巻いて出たのですが、途中で熱くなって外し、手に持っているのも面倒なので腹に巻いていました。
 コートも着られない、寒風の中のゴルフのほうが、よほど辛いということが解りました。


 ホテルに帰りついたのは、10時30分ごろでした。


② 万里の長城


 中国へ行って、まず第一に見たかったものが、この「万里の長城」でした。「唯一、宇宙からも肉眼で見える」といわれた、人類史上最大の建造物…。中国の人たちは、有史以前の殷の時代から、営々としてこの長城を築き上げてきたのです。
 時に壊され、また築かれて、その形や位置を変えながら、中国五千年の歴史に足跡を記してきたきた長城を、今日、この足で歩いてみます。


 総延長は8000kmにも及ぼうという長城ですから、見るべき箇所はたくさんあるわけですが、今日僕たちが向かうのは、北京から北へ約60kmにある、「八達嶺」です。


   長城は山の中なので市内より気温が低く、午後の暖かい
  時間帯が良いだろうとのことで、昼食を済ませてから
  バスに乗り込み、北京市内を北へ向かって走ります。 →





 ホテルを出発してからおよそ1時間…、道路の両側に急峻な山々が姿を現しました。


← ふと見上げると、山の上に城楼が…。
  
 


    
バスの前方に、道をさえぎるようにして、
    大きな城門が現れました。        →



 「八達嶺」の15kmほど手前にある、「居庸関長城」の関所跡で、切り立った峰をぬって造営された難攻不落の九塞のひとつです。原城は紀元前5世紀に構築されていて、その後、明の光武帝の時代(1366)にモンゴル軍の侵攻に備え大増築が行われ現在の規模となったといいます。
 北京に最も近い関所で、ここを突破されると、都は陥落することになります。




← 次々と現れる城壁や城楼に、期待はいやがおうにも高まります。




 ホテルを出発してから1時間30分、「八達嶺長城」に着きました。




     駐車場から入り口の城門まで、
    5分ほど歩きます。     →


 
 万里の長城はその長大さから「宇宙から肉眼で見える唯一の建造物」と言われ、中国の教科書にも掲載されていましたが、実際には幅が細い上、周囲の色と区別が付きにくいため、視認するのはきわめて困難です。
 2003年に中国初の有人宇宙船「神舟5号」に搭乗した楊利偉飛行士が、「『万里の長城』は見えなかった」と証言したため、中国の教科書からこの説は正式に削除されました。




 別サイトに旅行記があります。よろしければ、のぞいてみてください。
 出   発 http://4travel.jp/traveler/akkiy363672/album/10416146/ 
 万里の長城 http://4travel.jp/traveler/akkiy363672/album/10416677/ 
 紫 禁 城 http://4travel.jp/traveler/akkiy363672/album/10419781/  
 王 府 井 http://4travel.jp/traveler/akkiy363672/album/10420298/ 
 頤和園など http://4travel.jp/traveler/akkiy363672/album/10421162/ 


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