明治より昭和初期に生き、自由律俳句を沢山残した山頭火(種田山頭火)は、曹洞宗熊本報恩寺住職望月義庵師の得度を受け、「解くすべもない惑ひを背負うて、行乞流転の旅に出づ」と西日本を中心に各地行脚して、句作を続けた。独特のリズムで漂泊、生活、自然、心情を切り取った句は今も人々を魅了して止まない。
山頭火は永平寺にも宿泊していて、「水音のたえずして 御仏とあり」→
「 てふてふひらひらいらかをこえた」、「生死の中の雪降りしきる」の3句の碑が建っている。
永平寺は、道元が自ら身をもって示した、ひたすら坐禅に打ち込む「只管打坐(しかんたざ)」を具現する道場であった。ちょうど訪問時に、寺のあちこちから木槌を打って合図しあう僧の姿を見ることができた。
寺号の由来は中国に初めて仏法が伝来した後漢の明帝のときの元号「永平」からであり、意味は「永久の和平」であるという。
午後2時30分、永平寺を辞して粟津温泉「法師」へと向かう。
物見遊山トッブへ