【276】
金沢紀行
その②
粟津温泉
「法師」
2014.06.13-15
【写真にポインターを合わせたとき、手の形に変わったら、大きい写真にリンクしています】
午後4時、「法師」に着きました。玄関へ車をつけると、半被をまとった兄ちゃんが出迎えてくれました。「車は…?」と聞くと、玄関脇にどうぞ…と案内してくれました。
← 玄関
玄関 →
まだ時間も早いせいか、他に客の姿も見かけません。
章くん、15年ぶりぐらいの「法師」です。あの光景は面映くて苦手ですが、女将さんをはじめ仲居さんが並んで「いらっしゃいませ」と声を掛けてくれた『出迎え』も今日はない(笑)。しかし、出迎えを受けた15年前のあの時は1泊4万円10数人の団体客だったけれど、今日は1泊1万円そこそこのバックパッカー…。兄ちゃんに迎えてもらっただけでも有り難いと思わなくてはならないですね(苦笑)。
フロント
ロビー
ロビーから玄関を
それでも、玄関を上がると和服の妙齢の女の人が出迎えてくれて、「どうぞこちらへ」とロビーの奥の、庭が見える30畳ほどの広間(上の真ん中の写真、右の柱の向こうに見える部屋)に案内してくれます。到着した客をもてなす、抹茶サービスですね。妙齢のご婦人は、「先生」と呼ばれていましたから、茶道の先生なのでしょう。
小ぶりのお盆の上に菓子と抹茶を同時に乗せて運んできてくれて、「お菓子からお召し上がりください」と教えてくれました。
結構なお手前を頂戴したあとは、これまたちょっと妙齢の仲居さんが、「お部屋へ御案内しますね」と言って先導してくれます。
「建て増しに継ぐ建て増しを重ねて、館内は迷路のようになってしまって…。先日も、おじいさんのお客さんが迷ってしまって、叱られましたよ」と笑う。宿泊する階によって、乗るエレベータが決まっているのだという。「向こうのエレベータは3階は止りませんから…」といった調子だ。
← 扉が総天然色のエレベータ
古いものは、ベージュ一色の扉でスピードも遅い。
ぐるぐると廊下をめぐり、「あっ、そこのエレベータは乗らないでね」などと教えてもらいながら案内されたのは、窓の下に駐車場が広がるお部屋。それでもテレビはついている。
「お食事は何時にします。…、7時? お風呂に入ってゆっくりしてからのほうがいいもんね」と愛想はいいがタメ口だ。祝儀を出す可能性もないバックパッカーだから、丁寧にしゃべるよりも気楽なほうが良いだろうという気遣いでしょうか。
「風呂の前に庭を見てこよう」と、前回は遅い到着で歩くこともなかった中庭に出てみました。
館内の廊下は庭を取り巻いてぐるりと一周するように造られていて、廊下の数箇所から庭へ出られるように履物が置いてあります。
← この内玄関から庭へ出ました。
飛び石を踏んで、庭園をめぐります。→
← 池には錦鯉が ↓
あの小堀遠州も愛でた『法師』の庭…と、宿のパンフレットに記されている庭園は、歴史と美庭を守る人々の思いが隅々まで詰まっていました。
古木、岩石には、分厚く苔が ↓
さらに、パンフには『北国の厳しい風雪に耐えぬいてきた椎の巨木。古武士のごとき風格の中にも意外な優しさを感じさせる赤松。ひたすら真っすぐに己の行き方をつらぬくかのような杉…。名匠佐野藤右衛門の手によって一段と表情豊かになった法師の庭はその趣をさらに深めている』…とも。
小さな祠が祀られていて、その横には大黒様が →
← 石造りの藤棚に、大きな藤の木が
伸びていました。
部屋に戻って、風呂に浸かることにします。
廊下にも、枯山水の箱庭がありました。→
粟津温泉は、
北陸で遍く信仰された泰澄(たいちょう)法師が白山権現のお告げによって西暦700年ごろに発見したと伝えられる、開湯1300年に及ぶ歴史の古い温泉場です。
旅館「法師」は、粟津温泉の開湯と同時に白山開祖の泰澄法師の命によって湯治場として718年(養老2年)に開業し、「法師」の名を戴いたという。2011年2月にその座を、705年(慶雲2年)に開湯したとされる慶雲館(山梨県)に明け渡しましたが、『ギネス・ワールド・レコーズ』に「世界で最も歴史のある旅館」として登録されていました。フランスで発足した創業200年以上の歴史を持つ企業だけで構成される「エノキアン協会」に加盟していて、加盟企業内で最古の歴史を有しているとか。
館内「夏の館」1階にある男性用大浴場「豊明の湯」→
この右手に女性用大浴場「艶明の湯」があるのですが、潜入取材は不可能でした(笑)。
← 男湯と女湯の
間には、飲用泉
と「『粟津八景』
の陶壁画があります。
法師の泉質は、無色透明・純度100%の芒硝泉。口に含むとほのかな塩の香りと酸味を感じます。
男性用大浴場 →
手前がゆっくりと浸かるぬるい目の湯、向こう側がやや熱い湯になっています。でも、熱いとはいっても39度ぐらいで、熱い湯が好きな章くんには全然物足りません(笑)。
粟津温泉開湯の15年後、天平5年(733年)に成ると伝えられる『出雲風土記』の中に、こんな一節があります。
「
一濯則
ち
形容端正
、
両濯則
ち
万病悉除
」(いったくすなわちけいようたんせい、りょうたくすなわちまんびょうしつじょ)『一度入ればたちまち美人、二度も入れば万病はなくなる』と。昔から温泉は人々に愛されていたのですね。
↓ 露天風呂 →
時間が早いからか…、でももう6時、浴場に人影はない。おかげで、ゆったりと手足を伸ばせました。
午後7時、夕食です。食事処の4階大広間へと向かいます。格安宿泊だから、部屋食などは望むべくもないし、加えて大広間へ行ってみると、章くんの席は入り口の一番近い席です。奥の側は、向こうの庭を下に見ながらの景観も楽しめますが、章くんの席はただ食べるしかない。思うに、この部屋で食事をとっている16人ほどの宿泊客の中でも、一番安い客であったのかな(笑)。
← それでも、テーブルに並んでいる品は、隣のものと一緒だつた(…と思う)。
あわび…だと思うンですが。7〜8cmぐらいの大きさだったから、トコブシじゃないのかと言われると、そんな気もします(笑)。
→
貝殻にあいている穴が4〜5で噴火口のように尖っているのがあわび、トコブシの穴は6~8個で滑らかな所に穴が開いていますが、怖くて貝殻を裏返すことができなかった(苦笑)。
トコブシは手で簡単に剥して取る事ができますが、アワビは吸着力が強くてアワビおこしのような道具を使わなければ通常は取る事ができません。…、そういえば、ちょっとナイフを入れたらするりと外れたぞ(大笑)。
とか何とか言いながら、美味しくいただいた夕食も終えて、館内を散策してみました。さすがは1300年の歴史を誇る老舗、さまざまに見るべきものがあります。
← 極彩色大壷、後ろのふすまも美しい。
いろいろな美術品が、廊下に飾られていました。
小川雨虹の美人画
縦2m横5mの段通
← 庭を見ながらコーヒーが飲めるラウンジ
(翌朝、撮ったものです)
カラオケ居酒屋→
遅くなってから、団体さんが入ったみたいで、歌声が聞こえてきていました。
午後9時分、外に出て近くを歩いてみました。居酒屋らしきものを2〜3軒見かけましたが、開いている店もなく、ほとんど人影を見かけません。
保養・湯治向けの湯として長く知られ、木造旅館が建ち並ぶ風情ある湯の町情緒を醸し出してきたという粟津温泉は、いわゆる温泉場によく見られる歓楽街はないと聞いていましたが、みやげ物店などもなく、ちょっと寂しい。
← 共同湯「総湯」
2008年(平成20年)、新総湯がオープンしました。
北陸温泉郷には、戦後、高度経済成長期を迎えると阪神圏を中心に団体旅行客が大量に押し寄せ、山代や山中、片山津は相次いで大規模資本によるホテルチェーンの建設や集客増を見込んだ既存旅館の増築によって、次々と路線を拡大させていきました。
その中で粟津温泉は、一部例外はあったものの、基本は地元の顧客中心であり、他温泉地に比べ安易な拡大路線を採用せず、バブル崩壊後の余波は比較的軽微であったとされています。しかしながら、全国的な宿泊客数減少により、数件の旅館で経営が圧迫され廃業の憂き目に遭い、旅館街は大きく衰退しました。それでも2000年以降、個人客中心の集客によって、近年は回復基調にあるといいます。
翌朝は7時30分起床。可もなく不可もない朝食の後、もう一度大浴場にざぶりと入り、9時30分、「法師」をあとにしました。
格安クーポンでの旅人に極上のおもてなしを施せとは決して望むものではないのですが、15年前の接客とあまりに違う様相に正直驚きました。
15年の歳月は、人をうつろわせ、社会を変転させるに十分な年月ですが、1300年の源泉を守る老舗旅館の相貌を変化させるにも余りある時間であったということでしょうか。
『近年は回復基調にあるという』とある、温泉ブログの報告に期待を抱きつつ、歴史ある温泉郷の再興を祈るばかりです。
今日も良い天気…、能登半島へ向かいます。
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