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金沢紀行  その⑤ 那谷寺日本海さかな街   2014.06.13-15

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 金沢3日目、最終日、今日帰宅します。「那谷寺」を拝観したあと、敦賀の「日本海さかな街」へ寄って夕食の肴を買っていく予定です。

 午前9時、金沢の「東横イン香林坊」を出て、今日も「北陸道」を走って、片山津ICで降ります。
 

 10時10分、「那谷寺」へ着きました。










 

 高野山真言宗別格本山「那谷寺(なたでら)」は、奈良時代、粟津温泉ゆかりの泰澄法師が、千手観音を岩窟に安置したのにはじまるといわれる、美しい岩山と四季の草花に囲まれた、歴史あるお寺です。(那谷寺パンフより)
 寺名の由来は、平安時代に花山法皇が参詣された際、西国33ヶ所の霊場はまさにこの一山にありとされ、第1番の那智山の那と第33番の谷汲山の谷をとって、「那谷寺」と名付けられたとの伝承があります。
 平安中期には、温容寺、栄谷寺とともに白山3ヶ寺の1つとして、寺領も多く、僧兵もいましたが、中世末期の一向一揆ですっかり荒廃してしまいました。これを1640(寛永17)年に前田利常が復興しました。現存の本堂、三重塔、護摩堂、鐘楼、書院および庫裡は重要文化財です。

 拝観券を買って山門をくぐると、すぐ左手に那谷寺の仏事祈祷は全てここで行なうという「金堂華王殿」と「庫裡書院」それに名勝「三尊石・琉美園」があります。

← 「金堂華王殿」

 金堂は平成二年に六百五十年ぶりに総桧造りにて再建されました。正面に、ご本尊丈六の十一面千手観音がデデーンと立ってみえます。

 その横の「書院」(重文)は天正の戦乱(室町末期)で諸堂伽藍が焼失した後、仮の御堂として建てられたものです。寛永十七年には前田利常が書院として改造、「御成りの間」として、常利が訪問したときに座る間がありました。 


  書院の裏には、名勝指定の「寺院茶庭」があります。

  書院の横を抜けて、池に架けられた小さな橋を渡ると、
  「三尊石流美園」と名づけられた大庭園が現れます。
 

← 「三尊石流美園」 


 小山のような巨大な石があり、太く苔むした大木が見られます。







← この岸壁が、三尊石の由来です。

 3つに割れた大岸壁は、仏の三尊像に重ねられ、大きなスケールを以って、見るものを圧倒します。

 
植え込みの間を清流が流れています。↓














← 大岸壁に「伎芸天」が彫られていました。

  
岸壁をくりぬいて、流美園か
 ら金堂へと抜ける隧道が掘り抜
 かれています。      →


 隋道の中ほどにさらに祠が掘られていて、水子地蔵尊が祀られていました。暗闇の中に浮かぶ、胎臓界での水子供養のようで、生々しい厳かさを感じました。

 隋道を抜けると、金堂の十一面千手観音像の前に出ます。


← 木立の中の参道を「本堂」へと
 向かいました。











              
参道の左手に、池が現れました。→


← 池の対岸に目をやると、大岩がそびえて
 います。「奇岩遊仙境」です。


 岩の表面には階段状に道が造られていて、
上り下りしている人の姿がありました。
 岩の間の洞窟には、仏像が置かれています。

 大岩の前を行き過ぎると、左手に門が見え、それを入ると「本殿」へと上る石段がありました。↓


 左に見えている赤い鳥居の下をくぐると、大岩に刻まれた石段の歩道へいくことができます。少し上ってみたのですが、高所恐怖症の章くん、帰りには手すりも何もない岸壁の石段を降りてくるには、足がすくんでレスキューの出動を要請しなくてはならなくなるのではないかと危惧して、数m登ったところで引き返しました(苦笑)。

      
石段を上ったところ、右手が「本殿」です。→

 開山「泰澄禅師」は、夢に見た十一面千手観音菩薩の像を自ら作り、この本殿のある岩山の洞窟内に安置しました。ここにお堂を建てられたのがこの本殿の前身であり、那谷寺の始まりです。今も、御本尊は岩窟内に祀られています。
 本殿奥には御堂を取り巻いて一周する洞窟があり、これを「胎内くぐり」と呼んでいますが、もともとここは魂の輪廻転生゜胎内くぐり」の聖地であり、そこの岩窟内に本殿を設け、新しい自分に生まれ変わることを祈る場所であったわけです。

 本殿参拝の後は、石段を降りることなく、右手の小道をたどると、寺の背後にある大きな池のほとりを経て、「三重塔」に至ります。

← 「三重塔」(重文)と高所の伽藍を巡る「楓月橋」

 山上「鎮守堂」からの「奇岩遊仙境」の眺めです。↓









 観音浄土「補陀落山(ふだらくせん)」わ思わせる「奇岩遊仙境」は、まさに天下の奇観…。
 この岩山は、太古の海中噴火によって現出した岩々であり、長い年月の間波に洗われて今日の奇岩の形になったとか。



 下の参道に戻り、帰路につきます。

← 左手に芭蕉が「奥の細道」の旅の途中、この寺を訪れて詠んだ
 
「石山の 石より白し 秋の風」の句碑がありました。


 章くん、実は30年ほど前に、この那谷寺を訪れています。そのときにプレーした「芦原CC」のラウンドの記憶はあるのですが、この寺がこれほどの美園・奇観を有する寺だったとは、ついぞ覚えがないです。
 『人は、見たいものしか見ない』というカエサルの指摘は、このことを言うのでしょう(苦笑)。



 午後0時30分、那谷寺を後にして、福井県敦賀へと
向かいます。


 午後2時、「日本海さかな街」に着きました。→




← 日曜日の今日は、さすがにたいへんな人出です。

    
ここまで、お昼を食べずに走ってきたのは、
     この「焼きサバ」がお目当てだったのです。↓





  店先で焼かれていたサバを、生姜醤油でいただきます。






← 丸一尾をペロリ!



 観光客相手が主流となっている金沢「近江町市場」よりも、ここのほうが品数は多く、新鮮で、安いように思います。
 まぐろの中トロ、明太子を買い込んで、午後3時20分、敦賀ICから北陸道へ乗りました。
 米原JCで名神に入り、「八日市IC」で降りて、国道307・1号を走り、午後6時20分、帰宅しました。

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