◆ 満開! 醍醐寺の桜 (2003.4.2)【物見遊山45】三宝院 枝垂れ桜


「世の中に絶えて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし」と詠んだ在原業平も、このような心持ちだったのだろうか。この季節、どうも桜が気になって落ち着かない。インターネットで天気予報を見ると、東海地方は一日中雨の予報だけれど、近畿地方は曇り一時雨。さらに桜情報を検索すると「醍醐寺、満開」。
 途中、喫茶店へ寄って、トーストとコーヒーで少し早い目のお昼を済ませ、醍醐寺へ着いたのは12時半過ぎ醍醐寺内 宝蔵院境内
 駐車場から境内へ一歩を踏み入れると、まず修験道場前の枝垂れ桜が迎えてくれる。この4年間、毎年、ここ醍醐へ通っている。だから、ピンクの小さな花びらをつけるこの枝垂れとは、すっかり顔なじみだ。
 その隣にある宝蔵院。今年は特別展を開いていると書かれた案内板に招かれ、その境内へ一歩を踏み入れて目を見張った。あふれるばかりの桜の花である。
 中でも、最奥部にある一本の枝垂れの見事宝蔵院の枝垂れ桜 これで1本の木であるさは、筆舌に尽くしがたい。1.5mはあろうかと思われる幹から延びた無数の枝に、紅色の花が咲き零れている。

 昨夜の名古屋城の桜も、花を一杯につけてそれぞれ咲き誇っていたが、京都の桜はどこかにえもいわれぬ趣きがある。千年の古都という背景がかもし出す情緒なのか、都人の誇りが桜を見せる工夫を培ってきたものか、京都の桜はどこかをかしい。



お馴染み三宝院の枝垂れ桜
 三宝院の枝垂れ桜は、相変わらずの華やかさであった。
 でも、醍醐の花見で知られている豊臣秀吉ゆかりの庭園内に植えられている枝垂れ桜はまだつぼみ。この桜も、心憎いほど自分が咲くべき時期を知っている。外の大木の桜たちが威容を見せるこの時期に、いくら豊臣家の興亡を伝えて咲こうとも、見る人たちの感慨を留めることはできない。全山の桜たちが葉桜になって花を落とした頃、ひっそりと庭先で咲く姿にこそ、そこはかとない美しさがあるというものだろう。

平等院
 午後3時、南へ下って、平等院へ寄ってみた。 
ここの桜はまだ少し早くて、境内の2・3本が花をつけているだけであった。
 新しく記念館が造られていて、この寺が建てられた当時の華やかな極彩色の壁画や天井・柱などの文様を再現して展示している。極楽浄土をこの世に現したという平等院は、源氏物語の世界の雅やかな哀歓を漂わせながら、藤原氏の菩提寺としての煌(きら)びやかさを、今に伝えている。
 阿弥陀堂の壁面に掲げられている伎天の幾つかが、記念館に移されて展示されていた。楽器を奏で、謡い踊るその表情がいかにも楽しげで、躍動感にあふれていた。




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