◆「唐招提寺 宝蔵開扉」と「大和郡山のフレンチ ル・ベンケイ     (10.30)
【物見遊山60】


唐招提寺 山門
 鑑真和上ゆかりの古刹「唐招提寺」の宝蔵が、34年ぶりに公開された。金堂が解体修理中で、ジュラルミンの館にすっぽり入って化粧直しされていて、平成21年に新装なった姿を見せる。金堂の柱は修理中なので、堀辰雄のいうエンタシスのふくらみを、南大門の柱に見ようと目を細めてみた。上にいくほど少し細くなっている古びた柱に、シルクロードを越えてきた天平のギリシャ様式を見た思いであった。
 境内に入ってすぐ右に折れて、宝蔵・経蔵に向かう。ともに天平期の校倉造り、特に右側の経蔵は唐招提寺創建(唐招提寺 校倉造の経蔵759)以前の遺構で、東大寺の正倉院よりも古いという。
 今回の開扉は宝蔵で、懐中電灯を貸してもらって特設の階段を上がり蔵内に入ると、暗さに目が慣れるまで何も見えない。やっと目が慣れてくると、ガラスケースの中に収められた、経典やそれを収納する文庫などが見えてきた。それでも薄暗い蔵内の隅に置かれたケースの中の展示だから、目を凝らしても書かれた文字などは読めない。電池が乏しくて光りが赤い懐中電灯のありがたさが理解できコスモス咲く大和路た。
 右奥のケースの上段に無造作に置かれた鉄のお椀に目を奪われた。鑑真和上ご愛用の托鉢碗である。細かい模様の施された鉄製のこの容器を抱えて、和上は大和の路を歩まれたのであろうか。
 日本仏教に戒壇を整えられ、位階・制度の礎を築かれた和上の御恩は計り知れず、五度に及ぶ遭難…失明を乗り越えて東征された御心を思えば、今日の日本仏教のみならず、わが国にとって大恩ある御方と言わねばならない。
 その和上の愛用された托鉢碗を前に、えもいえないありがたさを感じた。何で奈良まで茶碗を見に行くのや…と言われそうだが、古い鉄の茶碗が語る世界を見に行ったのである。

ル・ベンケイ 石畳の玄関 夕方、食事をしようと思い、去年ある会合で立ち寄ったフランス料理店ル・ベンケイが近くにあることを思い出した。
 前回は70名ほどの大勢だったからか、味も概ね大味で、子牛の肉の味が馴染んでいなくてしかも冷たくなっていたり、サラダももう一手抜けているような大きな切り菜の盛り合わせであった。
 さらに、問題はサービスで、厨房の入り口でこちらから見えるところに立っていたメートルやギャルソンたちは、ついぞこちらの手招きに気づかなかった。ダイニングから完全に姿を消すこともあって、客が立ってギャルソンを呼びに行くという、およそフランス料理店としては考えられないサービス体制だった。
 門を入るとヨ−ロッパ風の石畳の庭。玄関のドアを開けると大理石のフロアが続き、その奥がレストランダイニングだ。
 今夜は、15000円のパリコースを頼んだ。アミューズ2皿、前菜2皿、魚料理、グラニテ、肉料理、デザート、お茶。食材にこだわり、フランスから取り寄せるほか、野菜は契約農家でつくらせたり、自家農園でも栽培しているという。
 魚料理がおいしく、海老のクネルも新鮮な車エビを使っているからだろう、自然の甘みが豊かだった。薄造りの平目とシャキッとしたクレソンを合わせた一皿は新鮮だった。それだけに、肉料理の味の単調さが惜しい。素材に自信があって、手を加えないところが工夫なのかもしれないが、なおフレンチらしいおいしさの引き出し方があってもよいのではないかと思った。デザートが丁寧に作られており、これなどパティシエの仕事として高く評価できる。
 お酒の飲めない僕は、人生の楽しみの大半を損している。これで酒まで飲んだら、生かしておくわけにはいかん…と言われているのだから、下戸で幸せなのかもしれないが、ワインの講釈ができないのと、酒に馴染む食材の味を極められないのが残念である。




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