【65】2004年春 京都の桜      (2004/ 4/ 5・6) 【物見遊山65】

毘沙門堂の桜は満開
 友人に言わせると、私は「1年のうちで20日間しか働かない」らしい。年度の替わり目の3月末から4月の半ばまでが、私の一番忙しい時期だ。すなわち、今が友人の言う「20日間」の真っ只中なのだが、春の便りに誘われて1泊2日で京都へ桜見物に出かけてきた。だから今年は、18日間しか働かないことになる。




 名神高速道路を京都東ICで降りて、すぐを右折、JR山科駅の横を過ぎて、車がすれ違うのがちょっと厳しい細い道を北へ上ると、5分ほどで天台宗五箇室門跡のひとつ「毘沙門堂」に辿り着く。703年、文武天皇の発願で、行基に毘沙門堂 宸殿前庭の枝垂桜よって開かれた古刹は、桜の花にあふれていた。
 狩野益信の筆による、どの角度から見ても鑑賞者が中心位置に来るという宸殿襖絵に舌を巻き、樹齢百数十年、枝張りは30mに及ぶ、前庭の枝垂れ桜に酔い痴れる。疎水べりの桜並木


 仁王門前の急な石段を降りて参道を下ると、川幅はさほど大きくはないけれども、両岸をコンクリートで固め、緑の水を満々と湛えた川をまたぐ。琵琶湖の水をくみ上げ、京都盆地へ流し続けて来た、琵琶湖疏水だ。
 当時の京都市年間予算の十数倍という膨大な費用を投入した大事業は、主任技師として工部大学(現在の東京大学工学部)を卒業したばかりの青年技師田邊朔郎(満21才)を選任して始められた。事業の主唱者である北垣国道京都府知事をはじめ,工事担当者疎水の桜並木2・府市関係者・市民が、京都市の将来を考えて,いかなる困難をも克服して事業を完成させるという決意のもとに続けられたこの難事業は、1890年に完成し、今日まで150万市民の上水道の水源や水力発電のほか,京都市の産業にとって欠くことのできない役割を果たしてきた。
 堤防沿いに植えられた桜並木は、疎水の歴史を物語るかのように大きく成長し、毎年見事な花南禅寺 駐車場横の枝垂れ桜を咲かせている。


 蹴上げを越えて、南禅寺へ向かった。駐車場横の枝垂れ桜が零れんばかりの花をつけている。
 車を預けてから来た道を徒歩で少し戻って、蹴上インクライン(傾斜鉄道)の線路あとを歩いてみた。疎水の完成により琵琶湖と京都の水運が可能になっ蹴上インクラインの桜のトンネル、線路跡を歩くたわけだが、九条山から蹴上にかけては勾配が急であるため、インクラインによって三十石船をそのまま台車に載せて上下させたという。
 線路沿いに多くの桜の木が植えられていて、桜の季節には多くの人が、今は廃止されているその線路あとを歩き、歴史の香りと桜のあでやかさに浸る。
平安神宮の紅枝垂れ

 岡崎公園の地下駐車場へ車を回して、平安神宮の紅枝垂れを訪ねた。この桜の色の紅さは、なまめかしい心のときめきを掻き立てる。
 京平安神宮 紅枝垂れ都の春の風物詩のひとつになっている「紅枝垂れコンサート」は、今年は8日から11日までとのこと。まあ、毎年見るようなものでもないか。


 時計を見ると、もう午後2時。すこしお腹が空いたけれど、時間が惜しいので道端の屋台のたこ焼を買って車の中でパクつき、京都御所へ向かった。京都御所
 確か春の一般公開が今頃だったはずだがと建礼門へ回ってみるも、門扉は固く閉じられたまま。公開は明後7日から5日間と、ここでも文字通りの門前払いであった。今日申し込んで明日また来れば見学できるのだが、今回は少しでもたくさんの京の桜を見るつもりだから、御所の拝観はまた後日に。
 北庭の桜園の枝垂れが見頃。白い枝垂れ桜もあって、紅色の桜の中に清楚な趣きであった。御所北庭の桜園の枝垂れ


 午後3時30分。北山の原谷苑へ行こうと思い立って車に乗ったのだが、周辺の道は狭く駐車場も無いとか聞いたのを思い出し、タクシーに乗り換えた。
 金閣寺を過ぎた頃から、道は結構急な上り坂が続く。運転手さんが「ここの小学校の運動会は、この坂道を毎日往復している原谷の子供たちが、1等2等を独占するんですよ」と笑いながら話してくれた。
7分でも圧倒的な原谷苑の桜 原谷苑は、材木商の村瀬常太郎氏が30年の歳月をかけて桜を育てられたところ。4千坪の苑内の桜は約500本。樹齢50年の紅しだれが100本以上もあり、見ごろを迎えた苑内はまさに天から降り注ぐ桜のシャワーとか。
 入り口のおじさんに「満開?」と聞いたら、ムムッと口ごもって、「ちょっと早いかなぁ」と気の毒そうに答えた。見頃は、あと原谷苑の圧倒的な桜10日か…。
 それでも、苑内は吉野桜、彼岸しだれ、みどり桜、黄桜、御室桜など多品種の桜とともに、雪柳、ぼけ、吉野つつじ、レンギョウなども咲いていて、百花繚乱。7分咲きでも、圧倒的な桜の中を歩く気分であった。


 御所に戻って車に乗り換え、少し早いけれど宿に向かった。八坂神社の南門前「畑中」が、今夜の宿だ。交通便利な場所にありながら、静かなたたずまいを保ち、何よりも気楽なのが良い。年に1〜2度、この宿を訪ねる。
 ざっと風呂に入って、そそくさと食事を済ませた。せっかくの京料理、ゆっくりと味わえばよいのだが、夜はまた界隈の桜を訪ねるつもりなので、落ち着かないのだ祇園白川で目にした芸妓さん


 食後の京茶もそこそこに、八坂神社を抜けて、白川ほとりの石畳通りを歩いてみた。桜の並木が続く名所で、「祇園白川」と呼ばれ祇園白川 ている一帯だ。
 早い宴会がはねたのだろうか、川べりのお茶屋さんから舞妓さんが出てきて、桜の下を歩いていく。町を往く彼女たちは、凛として清々しい。
 立ち並ぶ店々やぼんぼりに明かりがともると、京の町は夜のいでたちへと装いを変える。ほのかな明かりに浮かぶ桜の花は、ひときわあでやかで優しい。
 角の甘味屋の前に行列ができていて、15〜6人ほどの人たちが順番を待っている。何とかいう雑誌に紹介されたことと、京都の古い民家のような店のたたずまいも雰囲気があって、人気が出たのだという。ものを食べるのに並ぶという感覚は、私にはちょっと理解できないが、並んでいる人の顔には「何が何でも食べなきゃ」という決意と好奇心がみなぎっている。


  「清水へ 祇園をよぎる 桜月夜、今宵会う人 みな美しき」 与謝野晶子

ご存知! 円山公園の枝垂れ桜
 四条通りをぶらぶら歩いて、円山公園へ引き返した。やっぱり京都の夜桜は、円山の枝垂桜を見なければ納まらない。たくさんの人並みでごった返す公園の中、ライトの明かりに浮かぶ桜は、今年もあふれんばかりの華やかさだ。
 見上げれば、今宵は満月…。一点の曇りもない真ん丸の月が、満開の桜の花の彼方に輝き、薄桃色の花の色との対比が妙であ祇園「畑中」った。
 歴史を語る神社仏閣にあっても、人々が行き交う町角に咲いていても、京都の桜はどこかあでやかである。京都という町をつくる人々の心と丹精が、桜の姿を整え、背景にふさわしいいでたちを整えてきたのだろう。
 10時を少し回ったころ、宿へ戻った。漬物を添えた夜食を用意してくれてあるのも嬉しい。今度はゆっくりと湯に浸ったあと、床に入って持参した本を読み始めたのだが、ページをめくるほどもなく、いつしか寝入ってしまっていた。


  「かにかくに 祇園は恋し 寝るときも 枕の下を 水の流るる」 吉井 勇

                   
清水寺 五重塔
 明けて6日。今日も快晴、暖かな良い天気、花見日和である。宿を出て、まず清水寺へ向かった。
清水の舞台から奥の院を望む 清水の坂は、人波でごった返している。舞台からの眺望は、足元に広がる桜の花が雲海のよう。


花の雲 鐘は八坂か 清水か」盗作


 知恩院から八坂へ、東山の界隈を散策しようかとちょっと迷ったのだが、思い切って西へ向かい、嵐山を訪ねることにした展望台からの保津川峡
 嵐山の近辺は車が混雑して渋滞…。そのまま嵐山ドライブウエイに入って、周囲の景観を眺めることにした。展望台から見下ろす保津川渓谷は、花にあふれて華やかな暖かさに満ち溢れている。
 取って返して渋滞に耐え、駐車場に車を入れて渡月橋を渡る。桂川の両岸も、小倉山の山肌も、辺り一帯が薄桃色に染まり、桜花爛漫…春一色だ。
 対岸の右花盛り 嵐山手中州に、たけのこ料理を出す店があって、のぞくと座敷が空いているという。ちょっと疲れてもいたし、上がり込んで休憩がてら昼花また花の嵐山食をとることにした。窓のひさしのところまで、花をいっぱいにつけた桜の木の枝が伸びてきて、花影を揺らす。
 昼食を済ませてから、あたりを散策…。花また花の嵐山である。



 竜安寺 石庭と枝垂れ桜もうあまり時間もなかったのだが、龍安寺に寄ってみた。石庭の白砂の庭にかかる、色濃い枝垂れ桜の美しさを思い出したのである。
 幽玄の極地の砂と石の庭に、心浮き立つ桜の花が降りかかるようにのぞく様は、さながら安珍清姫の世界か、十六夜清心か…。色即是空、空即是空、…。伽藍を出て、広大な鏡容池のほとりの桜を愛でつつ下山…。

夕暮れの宝ヶ池

 ちょっとコーヒーで休憩して、午後6時前。お寺なんかはみんな閉まってしまった。あと、桜の名所といえば…、そうだ、宝が池だ。
 夕方の宝ヶ池は、湖面に夕焼けが映えて、一帯の春景色が夕暮れの中に沈んでいく。


 帰り道、京都市内は混雑しているだろうから、ここから高野川に沿って北へ上り、途中峠を越えて比叡の山の北から琵琶湖西岸の堅田へ出て、琵琶湖大橋を渡って帰ることにする。
 暖かく晴れ渡り、京都の春を満喫した2日間であった。一生のうちで、あと何回、この絢爛たる桜の花を見ることができるだろうか。そう思うと一本の桜の木にも、枝先の一輪ずつにも、愛惜の思いがひとしお募る。行く春を惜しむ気持ちも、この10年来、年々歳々強くなるような気がする。
 この年の桜…、こころして見なければならない。



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