◆ 加茂花菖蒲園 (静岡県掛川市)               2004/6/11【物見遊山66】

 加茂菖蒲園
 東名高速道路を掛川インターで降りて、山の手方向へ約20分。「森の石松」の生誕地として有名な遠州森町に隣接した山すその地に、桃山時代から続く庄屋屋敷「加茂家」の白壁土蔵を背景にして、約1ヘクタールの菖蒲園が広がっている。
 パンフレットによると、加茂家は桃山時代からこの地の庄屋であり、天承17年に浜松城主であった徳川家康からの書状をはじめとして、徳川年間の古文書多数を蔵し、近代史家の間に加茂文書として知られているとい長屋門前の菖蒲畑う。
 慶長9年の検地帳には、この地(遠州佐野郡桑地村)の過半を領する、極めて有力な庄屋であったと記されている。豪農として、掛川藩公認の金融機関としての役割を持つことにもなるが、幕末には掛川藩に対する貸し金がかさみ、明治維新で幕藩体制が解体されたときには、多額の貸し倒れが生じた。
 庄屋時代の加茂家は、国学・和歌などの学問が盛んであり、文人墨客の往来が盛んであった。


 明治以降は代表的な旧家として存在してきたが、戦後の農地改革で約50町歩の耕地を失い、厳しい時代の波にさらされることとなる。
 厄除けとして家々で古くから栽培されてきた花菖蒲は、ここ加茂家でも明治の初め加茂菖蒲園にてに、門前の菖蒲畑を拡張して育成されてきたものであるが、昭和30年代に始めた大規模な花菖蒲園経営によって脚光を浴び、今日ではシーズンに約11万人もの人々が訪れている。ご当主は、日本花菖蒲会会長を努められ、日々、品種改良に力を尽くしておられるとか。今では、日本でも有数の花菖蒲園として知られている。


 今日は、梅雨の季節の最中、でも、とてもよい天気。約1500種100万株の花菖蒲が、遥かに広がる菖蒲畑に、紅・白・紫・黄色の花をつけて咲き乱れる様は見事である。

 「いずれ菖蒲(あやめ)か杜若(かきつばた)」というように、アヤメとカキツバタ、それに花菖蒲加茂菖蒲園は区別するのが難しい。アヤメは漢字では菖蒲と書くからショウブと同じかと思うけれども、アヤメはアヤメ科の多年草。ショウブはサトイモ科で葉に芳香があり端午の節句に菖蒲湯に用いる。ハナショウブはアヤメ科の多年草であるが、ノハナショウブを原種として日本で改良作出された園芸品種の総称。カキツバタもアヤメ科の多年草だが、葉は広剣状で中肋脈がない…と広辞苑にある。しかし、実物を前にしたら見分けることはできそうもない。

加茂菖蒲園
 畑に植えられた花菖蒲はほぼ満開で、見事に開いた花弁を、吹き抜ける風に揺らしていた。
 その風情から、この花は雨に濡れて咲く姿が似合っていると思ってきたが、夏の太陽の下で咲く様子も、陽光に照り映える紫や紅の花の色が目に沁みるように鮮やかだ。
 同じ紫色の花でも、品種によって花びらの模様はさまざまで、さらに黄色や白、紅色などといった色の違いがあるのだから、その色模様は千差万別である。邸内のベコニア園
 畑を一巡して、山すその一段小高いところに建てられている民家跡を覘き、母屋へと戻った。さすがに夏場の太陽に照らされ、汗ばむ暑さであった。
 母屋に入って、冷たいお茶をいただく。火照った体に、のど越しのお茶の冷たさが染み渡った。
 母屋内の一角に設えられた温室に、ベゴニアの花が栽培されていた。何百坪もある部屋一杯に何百もの鉢が並べられ、壁一面にもあざやかな花が咲き乱れている。赤や黄のベゴニアの大輪が、ところ狭しと咲き誇っている様は、花菖蒲の風情と対照的に、豪華絢爛であった。加茂菖蒲園
 

 屋敷内は内部を開放していて、江戸中期のままに保存されている部屋を見学することがでる。土間には臼・杵・みの・笠など昔の農具が置かれていて、茶職人による茶もみ、葛布による織物の実演なども行っている。
 食堂もあって、庄屋時代の料理を楽しむことができる。本膳庄屋料理は、最福寺納豆・味噌玉子・味噌汁・漬物・山菜・山桃・染飯で2500円であるが、無類の魚好きの私はこれから焼津へ出て、まぐろを堪能するつもりである。



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