◆ 近江牛と近江商人のふるさと「近江八幡」          2004.11.12【物見遊山71】


 朝からの雨…。予定していた津CCでの誕生日月例会をパスして、もう一度寝るかと思っていたら、「ゴルフがなくなったので、暇で何ともしゃぁない」と同級生の尾崎からの電話。「じゃあ、どこかへ出かけるか」ということで、10時半過ぎから、当てもなく鈴鹿峠を越えて西へ向かった。
 今週の月曜日(8日)に京都を訪問し、東山界隈を覗いてみたけれど、永観堂の山門は青々とした木々の中に静まり返っていて、京都の紅葉はまだまだ…。葉先が少し色づいた程度で、このページへ報告することは何もなかったから、まだ京都へ行っても仕方がない。
 琵琶湖の東岸を北へ走りながら、時計を見ると12時30分を少し回ったところ。この地を訪れると 時々立ち寄る「毛利志満」で、お昼を食べようということになった。
 「毛利志満」は、近江八幡屈指の近江牛専門店。日本各地から、観光バスで客が詰め掛ける。明治の中ごろ東京に牛鍋店を出したのが始まりといい、鉄道が開通するまでは徒歩で東京まで牛肉を運んでいたとか。
 近江牛のルーツは但馬産の黒毛和種。我が三重県の松阪牛と同じ牛種だが、松阪牛に比べて肉の繊維や霜降りのきめが細かく、その味わいの最大の特徴は「口の中でとろけるまろやかさ」だと言われる。実際のところ、近江牛の生肉は常温で脂が溶けてしまうほど柔らかいのだそうだ。
 「おいしい牛肉は、霜降りよりも『甘み』なんですよ。これは7割が血統、2割が育て方、あとは牧場の気候風土で決まります。特に水は重要ですね。よく、近江牛はなぜおいしいのかと聞かれるんですが、特に挙げるとすれば、水に恵まれているから、ということでしょうか」と、ここ「毛利志満」の社長、森嶋治雄さんが語っておられたのを、どこかで呼んだ覚えがある。
 先代社長が考案したという「石焼」は、厚手の牛肉を2cmほどの短冊状に切って、十分に熱した石の上で焼く。フライパンで焼くのとは違って表面が硬くならず、肉が柔らかいままで中まで火が通る。表面に焼き色がついたところでさっと裏返し、レアの状態で石から降ろす。ポン酢につけて、肉を口に入れると、まずその柔らかさに驚く。さして、その肉汁の豊富さに驚き、その甘みに驚く。
 焼肉を、表面に焦げ目がつくほどに焼くのがいるが、肉の食べ方を知らない最たるものだ。肉は、表面が色づく程度に焼けば十分で、肉汁が滴り、中は肉色が残っているぐらいが、柔らか味・旨味は最高だ。焼き過ぎて、肉汁を出し切り焦げている肉は、硬くパサパサで紙を食べているようなものである。
 石焼(極上6300円)のほかにもう1品注文したのが、牛鉄火巻と牛トロ握りを味わえる「牛トロ盛り合わせ」(2000円)。今までは、「トロはマグロの方がおいしいや」と思っていたが、毛利志満の牛トロは柔らかく甘い。マグロよりあっさりとして、劣らず美味しい。

              日牟礼神社 
 食事の後は、応神天皇・神功皇后・比売大神を祭ると伝えられる「日牟礼神社」にお参りし、その隣の「たねや」に寄ってコーヒーを飲んだ。
 「たねや」は明治5年創業の和菓子処。手作り最中「ふくみ天秤」をはじめ、「栗菓子・芋菓子・羊羹」な「たねや」の旧館 日牟礼茶屋どを季節感豊かな品々にしつらえている。また、数年前に新館「日牟礼ビレッジ」を建てて、洋菓子作りに乗り出し、バームクーヘンが大人気であるとか。かつて、近江商人が全国にその販路を広げて行ったように、昭和59年、東京日本橋三越に第1号店を開店させて以来、全国に支店・営業所・販売コーナーを展開し、現在グループの総売り上げは130億円を達成している。


 近江八幡は、1585(天正13)年、豊臣秀吉の甥 秀次が八幡城を築き、その城下町として開か八幡堀の港「八幡浦」れてきた。内堀を兼ねて整備された運河は街中をめぐり、琵琶湖に続く水運に利用されて、商都近江八幡の物流に、大きな役割を果たしてきた。
 ちょうど雨の合間…、堀沿いを少し歩いてみた。ところどころに船着場や商家の倉庫に通じる荷揚げ場、舟溜まり(八幡浦)などがあって、往時の隆盛がしのばれる。
 道筋には、名物の麩(丁字麩)や蒟蒻(赤コンニャク)を売る店があって、観光客でにぎわっている。秋はたけなわ…。でも、ここも紅葉はまだまだだ!


物見遊山 トップページへ