【6】改革の実現に向けて  −その第一歩は、人々の覚悟か−   2001.01.15


 参議院選挙が告示されて、29日の投票日まで17日間の選挙戦の最中である。今回の選挙は巷間指摘されている通り、小泉政権が迎えるはじめての国政選挙であるが、注目したいことは、「痛みを伴なう」と宣言して改革の是非を問う選挙であるという点だ。
 痛みとは何か…、その内容を小泉改革ではまだ明確に示してはいないが、さまざまな状況の中で考えられることは、「銀行の不良債権処理によって引き起こされる企業倒産と失業者の増大」は避けて通れないという痛みだろう。もちろん、それによってわが国の景気はより悪くなることも覚悟せねばならない。
 この国の人々は、今、国の力が落ちてきていることを知っているし、このままでは自分たちの将来が困難な状況にあることに気づいている。だから、少々の我慢をするとしても、社会の仕組みを変えて、かつての栄光の時代を取り戻し、繁栄の日本を再構築したいと願っている。日本がどん底に落ちる前に、まだ少しは余力が残っているときに行わなければならない、急がれる改革である。
 だが、今日のこの国を構成している人々のほとんどは、第2次世界大戦後にものごころついた人たちである。戦後の日本の再建にとって、最も大切であったことは、経済の繁栄や科学技術の発達でなく、人々の心の拠りどころを確かにすることでなかったのではないか…と今更ながら思うところだが、戦後社会に育った人々の心は、総じて脆弱である。この日本に、痛みに耐えて行う改革が受け入れられるのか。痛みに耐えることを、スポーツの練習と同程度に考えているのではないか。
 今回の改革にとって第一義的に必要なことは、この国の人々の心をまず改革することなのだろう。優しいだけの人権主義、社会的弱者という甘え、利益誘導型の社会構造…などを見つめなおし、痛みに耐えられる…峻厳な精神構造を構築することこそ、改革の実現への第一歩である。



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