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靖国参拝は、小泉首相の基本的スタンス        2001.07.30


 政治の舞台は、参議院選後の具体的な局面に入ってきた。予算の立案や省庁団体の改革など、腰を落ち着けてしかしてなお敏速に対応しなければならない問題が山積しているが、当面、突き当たることは『靖国参拝』の問題である。

 8月15日というその日まであと2週間の日にちしか残されていないこと、創価学会御用政党である公明党からの反対表明は当然として、先般のハノイASEAN外相会議での唐家セン中国外相や東南アジア諸国連合(ASEAN)地域フォーラム(ARF)で会談した韓国の韓昇洙外交通商相から、参拝中止を要請されて論理的な対応ができずに「申し伝えます」と帰ってきた真紀子ちゃんが、ちょっと混乱したか「憲法違反…」とまで言ってしまって自らの立場を主張したこともあり、小泉首相も「相談、熟慮」と含みを持たせた。
 しかし、今、小泉首相が『靖国公式参拝』を後退させたら、国民の失望は明らかである。国民は小泉首相に、判りやすくはっきりとした言葉で喋り、それを果断に実行する人…としての信望を抱いている。先の参院選の際のMSNアンケートでも、国民が第一位に望んでいたことは、景気回復や不良債権の処理などをおさえて、「日本を誇りを持てる国にすること」であった。『靖国参拝』は日本国民の誇りに関わる問題である。だからこそ、国民は、「私は8月15日に靖国神社へ参拝する。国を守るために命を全うしてくれた英霊の御霊に感謝と鎮魂の誠を奉げることに何の恥ずべきことがあるのか」と訴える小泉首相の姿に共感を抱き信を置いたのである。
 多くの国民の気持ちは、「近隣諸国条項とか、A級戦犯合祀の是非とか、極東裁判の正当性とか…いったことはわからないけれど、靖国へ参拝することに何の遠慮があるのか」というのが本当のところであろう。参拝しないというのでは、参拝すれば中国や韓国が自国の国民感情にそぐわないということと、全く同じ問題がわが国に内在するということになる。侵略者日本の国民には当然の忍耐だと、また野党の幹事長は言うだろうか。
 過程を振り返ると、1985(昭60)年の中曽根首相の公式参拝まで、歴代の内閣は8月15日に靖国神社への参拝を続けていた。この年の参拝に対して、マスコミが「中国がそれを気にしている」と突如取り上げ、この年に中国を訪問した社会党訪中団がこれを問題として中国側へ提起し、そういわれればそうかと中国は取り上げたのである。以後、内閣の公式参拝は行われず、中国はことあるごとに歴代内閣を揺さぶる方策として効果のある靖国参拝問題をちらつかせている。過程を見ても、靖国問題は民族の魂の問題でなく、国家間の政治の材料として誕生したのであり、政党の政争の具である。
 だからこそ、国民は、靖国参拝に他国の姿勢ばかりを気にして足を踏み出せずにいる日本政治へ苛立ちと不信感を抱いているのである。1985(昭60)年の閣議決定で内閣の姿勢は確立されているし、1978(昭52)年の三重県津市の地鎮祭訴訟で最高裁が示した合憲判断において、憲法問題もクリアされている。更なる説得の材料が必要ならば小泉内閣の見解を示し、8月15日、内閣総理大臣小泉純一郎は靖国神社の玉砂利を踏まねばならない。



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