【10】 小泉首相が靖国神社へ参拝することの論理      
2001.08.08


 論語に、「君子は和して同ぜず、小人は同して和せず」という言葉がある。繰り返すまでもないが、『君子は、相手を認めて心からの信頼を持ちながら、問題点や相違点は堂々と論議しあう。小人は、論議を避けてあいまいにうわべで付き合い、しかし心から信頼しあうことはない』といった意味である。
 靖国問題に対する、今日までのわが国の対応はまさにこれであった。問題点から目をそむけてその場を過ごし、いつまでもその問題を内在させて、しかも、そのことを堂々と論議すること(靖国参拝の正当性を主張すること)を、いたずらに争い事を起こそうとしているとか国益を損なうなどといった、問題の本質と全く異なる次元の論理をもって否定しようとしてきた。これまでの議論には、国の根幹に関わる問題に立ち向かおうとする責務の自覚がない。

 1972年9月、中国の招きにより訪中した田中角栄総理大臣、大平正芳外務大臣と、中華人民共和国国務院総理周恩来との会談により宣せられた「日中共同声明」において、両国の国交は正常に開かれ、日本国政府及び中華人民共和国政府は、主権及び領土保全の相互尊重、相互不可侵、内政に対する相互不干渉、平等及び互恵並びに平和共存の諸原則の基礎の上に両国間の恒久的な平和友好関係を確立発展させることを高らかに謳っている。
 そして、会談の席上、中国側が突如持ち出してきた戦時補償に対しても、それはサンフランシスコ条約で決着していること、また当時の中国を代表した蒋介石政府が「以徳報暴」と述べて保障要求を放棄したとして(実は、戦時保障をはるかに上回る大陸の日本資産を没収したことをもって十分としたのであるが)、周恩来首相などの中国側も以後は経済協力の枠の中でこの問題を考えていくことで合意している(現在すでに3兆円を越える対中支援金が支出されている)。
 国家間の償いは講和・平和条約締結を以って決着とするのが国際間の道理であって、世界の理解も得られることである。そして、日中両国間には、1978年10月に「日中平和友好条約」が、「両国政府及び両国民の間の友好関係が新しい基礎の上に大きな発展を遂げていることを満足の意をもつて回顧し」つつ締結された。日中間の戦後処理は終了していると言わねばならない。


 歴代の総理大臣の靖国神社参拝は、吉田茂5回、岸信介2回、池田勇人4回、佐藤栄作11回、田中角栄5回で、いずれも公式参拝である。続いて三木武夫3回、福田赳夫4回、大平正芳3回、鈴木善幸8回、中曽根康弘10回の参拝をしているが、福田・大平は私人として参拝、鈴木善幸は公人か私人か明言を避けたという。
 靖国神社参拝が外交問題化し、近隣諸国なかんずく中華人民共和国からの抗議が発せられるようになったのは、昭和60年8月15日の中曽根総理の参拝に対して、過日も記したが、突如マスコミが取り上げ、この年の社会党訪中団が中共に対して問題提起を行った以降である。もちろん昭和60年以前の靖国参拝には、一片の抗議もなされてはいない。

 靖国参拝問題が中国国民の魂に触れる問題であれば、中国は歴代総理の参拝に対して、もっと早い時期から抗議の声を上げねばならない。「日中友好平和条約」を締結した田中角栄は5回の公式参拝を行っているが、周恩来が抗議したこともなく、平和条約は何の障害もなく彼の手で締結されている。中共が靖国神社参拝に対して、何の問題意識も持っていなかった証左であろう。唐家セン外相が、「ヤメナサイ」と声を荒立てたこの抗議は、外交政策上の方便であり、中国国民の魂の叫びでなかったことが理解できる。


 次に、A級戦犯の問題であるが、極東軍事裁判が戦勝国が敗戦国を裁く裁判であったことは過日述べた。当時の日本が置かれた状況を見てみると、満州国の経営などをめぐって国際連盟を脱退した日本に対してアメリカは対日石油禁輸政策をとり、石油資源の6割をアメリカからの輸入に頼っていた日本は危機に陥る。インドネシアなどに植民地を持っていたオランダに、東南アジアの石油を入れてもらうよう依頼するが断られ、A(アメリカ)B(イギリス)C(中国)D(オランダ)包囲網をもって日本の経済封鎖を図る列強に、日本はいよいよ危機感を募らせる。
 この時期、アメリカのハル国務長官から日本に突きつけられた「ハルノート」の条項は、当のハル長官自身も「到底、呑める内容ではないものであった」と述懐しているほど強硬なものであった。すなわち「シナ及びインドシナからの軍事力の全面撤退、汪兆銘政権の否定」など、当時の日本の既得権を全て放棄せよという、日本政府が到底承認できない要求をして、全面屈服かそれとも戦争かの決断を迫ったものであったことは、現在の歴史研究家が一様に認めるところである。
 その状況の中で、日本国とその国民にとって最良の道はいずれであるのか…、国政を預かるものとして苦渋の決断が開戦であったことは、はたして人類の正義に照らして、未来永劫に背負わなければならない絶対悪であるのか。国際法に照らして、死をもっても拭いきれない業であるのか。
 戦争は、国家あるいは団体間の利害対立の解決手段である。無抵抗な相手に対して一方的な暴力行為をもって制圧殺戮することは絶対悪のそしりを免れまいが、政治があり経済があり紛争があるところ、その解決の一つの手段として戦争があることは否定できない歴史の事実である。
 開戦の当事者が全てA級戦犯だとしたら、アメリカ独立戦争も、インディアン掃討作戦も、ましてや欧米列強の植民地支配のための戦いなどを進めた当事者は、全てA級以上の戦犯でなければならない。ぎりぎりのところまで戦争を避ける努力をし、選択肢が尽きて開戦への道を辿った、極東軍事裁判のA級戦犯は、歴史のある局面において一方的な裁判によって裁かれた人たちであって、人類普遍の正義に照らして絶対悪ではなく、言わば歴史の被害者であるというべきだろう。


 民間の経済活動においても、中国や韓国の人を相手の交渉には、まず、「先の戦争では親戚の者が大勢死んでいまして…」という話から始まると聞いた。靖国参拝は国益(経済的利益のために民族の魂を切り売りするようで、嫌な言葉である)を損ねるという声もあるが、日本はこの問題に決着をつけねばいつまでも戦争犯罪人の影を引きずらねばならず、大きな国益を損なうことになる。
 日本は、先の戦争における諸問題に、勇気をもって毅然とした態度で向かい合い解決しなければならない。その中の大きなそして避けて通ることの出来ない問題が、この靖国参拝なのである。


 21世紀に、わが国に決定的な影響を及ぼす国は、米国と中国である。これらの国に、へつらって行う外交は、もう卒業しなければいけない。特に中国は、今後は発展するアジアの核となる国である。そしてもう一つ、この国は武器としての核を保有し、現在の日本にとって十分に軍事的脅威である。
 今、日本にとって重要なことは、一衣帯水のこの国と互いに相手を認め尊敬し合う対等な付き合いをし、言うべきことは言い、相互理解のもと緊密な外交関係を構築することである。
 靖国参拝に、何の異論も出ない付き合いを実現させてこそ、日中の外交はスタートするというべきだろう。




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