【12】外務省の公金不正支出疑惑解明は、外部調査機関の手で  2001.08.26


 次ぎから次へと出てくる公金不正支出そして横領…。ここまで来ると体質と言うべきで、組織全体が公金を私用に流用することを当然と考えているということなのだろう。
 特に海外勤務の場合は24時間が公務のような感覚があろうし、そこの出先機関全体は身内だからお互いに甘くなろうというもの。何年かして日本へ帰り外務省勤めとなり、また海外に出てまた帰ってきて…と繰り返すうちに、公金を私的に不正使用する組織の体質になってしまっていたのだ。
 今回逮捕された課長補佐は、『何で俺だけ!』と驚いたことだろうし、周囲は『運が悪い奴だ』と自分の首を撫でたことだろう。次官・審議官・局長といった上層部も知らないということはない。自分たちも通ってきた道であるはずだ。

 さて、外務省だけに頻発する公金不正支出だが、多くの省庁の内で外務省だけに生じた不祥事であろうか。もちろん国民は、他の省庁にないわけはないと思っている。

 フジモリ元大統領のペルーで、先日、急用でアメリカへの飛行機に乗ろうとした人が、空港のカウンター職員に満席だと言われ、キャンセルを待ってロビーで夜を明かしたがまだ空席がないと言うので、何がしかの札束をパスポートにはさんで「もう一度調べてくれ」と頼むと、「ちょうど今、空いた」と言ったとか。飛行機に乗り込むと、中はガラガラだったと呆れていた。

 不正が日常的に蔓延している社会は、非生産的・非効率そして正義が行われないことが当たり前の社会である。徳川300年の閉鎖的社会であった日本では、見て見ぬ振りが大人の了見であった時代が確かに存在した。しかし今日、東洋の島国の横並び的協調体制は国際的に通用しなくなったことは明らかだし、特権や利権を一部のものの当然の権益と見過ごすことは、国民の質そのものが問われている、国家的な恥辱であることに気づいている。
 正義を行うことに恥じる社会であってはならない。何が正義であり、何が主張すべき道理であるのかを考え、国民は、自らの声を高らかにあげねばならない。まだ、その抗議の声をどのように上げたらいいのかに戸惑っているけれども…。
 省庁の不正を正す疑惑の解明は、政治に信頼をつなぎとめるためにも、独立した権限をもつ検察官のチームを組織し、これに当たらせるべきである。この機関に外務省をはじめとして中央官庁の業務を調査させ、疑惑も不正もなければそれはそれで結構であるが、身内の疑惑解明で機密費の流用はありませんでしたというのでは、国民は納得しない。専従の検察官の捜査と報告を望みたい。
 ばれたものは運が悪いという社会では、正直者はバカをみることになる。国家としての後進性が嘆かれる。不正は必ず正され、正義が行われることが当然である社会をつくることが、国づくりの基本である。



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