【13】株価は日本の社会の今を映す鏡             2001.08.31


 東証平均株価が、1万1000円を割り込んだ。新聞は、バブル崩壊後の最安値更新とか、14〜5年前の株価水準に戻ったとかの見出しで、歯止めの掛らない株安の様子を伝えている。
 株価が下落すると、株式市場に活気がなくなり、多くの投資家が値上がりを期待しての株式への投資を控えてしまうといった不景気感が増幅されるが、その他に日本経済へ与える影響を考えてみると、まずは大量の株式を保有する大手銀行の経営体力の低下がある。中間決算期末の9月末まで現在の株価水準が続けば、保有株の含み損拡大と時価会計導入による会計処理によって利益が計上できず、不良債権処理や株主配当が行き詰まるところが出てくるかも知れない。そして、銀行に支えられているゼネコンや流通業界の経営危機も表面化するところもあるだろう。
 だが、この株安は、日本の社会のあるべき姿を映し出しているということを忘れてはならないと思う。バブル崩壊後、日本の政治や経済の仕組みに対して大きな疑問が投げかけられた。何事ももたれあいで、個としての力量を磨こうとしない体質は、一度つまずいたときには這い上がる力を持っていなかったし、横並び的協調体制は、結果の責任をあいまいにしてきた。

 ニュースキャスターの桜井よし子氏はその著書「日本の危機」の中で、『諸外国からの声を総合すれば、「日本の経済力には まだ回復する地力(じりき)がある。ないのは、政治的洞察力である。」』と指摘している。確たる見通しも持たない総理総裁を抱いて、日本の社会は「失われた10年」と形容されるように、実に10年もの長きに渡って迷走を繰り返し、経済大国日本は、「私は歴代最高の借金を残した大蔵大臣として名を残すでしょう」とにこやかに笑う元総理の施策のもと、百兆円にのぼる公的資金を投入して、今、未曾有の失業者があふれている。責任をとるべき立場の者は、政治家を辞するべきだ。銀行の頭取やゼネコンの社長は、全て辞職するべきである。いまだ、一人の引責辞職者も現れないというのだから、この国の責任体制はどうなっているのか。
 株価は常に、社会の世相を映し、あるべき位置を求めて躍動している。財務省や日銀のその場しのぎの介入で、株安が解決されるわけがない。解決されるのは、損失を被った一部の人たちを、一瞬、一息つかせるだけのことである。今まで何度も繰り返してきた小手先の対症療法では、百兆円を投じても解決にならないことは解かっているはずである。ある指摘では、7000円まで落ち込むのではないかという声も聞いた。ここは腰を落ち着けて、日本の社会のしくみを正し、経済の底力を整え直し、人々の意識を改革してこそ、株価は、元気に躍進するわが国の繁栄を映し出す価格をつけることだろう。


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