【23】『アメリカよ、お前って、案外、普通だなぁ』とタリバンが言っている? 11.05


 アフガニスタンでの戦闘が泥沼化しそうである。アメリカ軍はもうちょっと強いと思っていたのだが、タリバンの戦闘意欲と実戦力は予想以上の手強さであったということか。
 日本には織田信長の石山本願寺攻めという古事がある。南無阿弥陀仏を唱えて殉教に燃える一向宗徒が立て籠もる石山寺を、信長は三方の陸と背後の海上を封鎖し、食糧の補給を絶って攻略したのだが、それでも足かけ4年の歳月を要したと聞く。「宗教は無色透明の間はよいが、これが正義を唱えだすと厄介である」とは、アイルランド紀行にあった司馬遼太郎氏の言葉だが、確かにそうなると宗教ほど残虐なものはない
 『イスラム教では、神(アッラー)のために闘う「聖戦(ジハード)」という槻念がある。もともとイスラム教は教祖のムハンマドが異教徒と闘うこと(聖戦)によって確立したものであるから、後世の信徒もそれにならって常時異教徒と闘いつづけ、イスラム教を世界中に広げることが求められている。つまりジハードヘの参加はイスラム教徒の義務なのである(だからサラセン帝国は一挙に広がっていった)。そして、ジハードにおいて死ぬことは殉教者になることで、殉教者として死ぬことは、イスラム教徒にとって最高の功徳となる.イスラム教の聖典である「ハデイース」はジハードについて次のように教えている。
 「たとい一日でもアッラーの道の戦に身を投ずることは、この世とそこにあるすべてのものより良く、(中略)人がアッラーの戦いで朝な夕な歩む一歩の方が、この世とそこにあるすべてのものより良いのだ」「我々のうちで殺される者は天国に入るであろう」「アッラーの御為めに殺された人たちを、決して死んだものと思ってはならない。彼らは立派に神様のお傍で生きておる」「聖戦に匹敵する行為は何であるかお教え下さい。それは見当らない」「天国に入ることになる人は、たといこの地上に何を持っていようと、現世に帰ることを誰一人として望まないが、ただ殉教者だけは別で、彼は神から与えられる恩寵のことを知っているため、現世に戻り、さらに十回も殺されることを切に願うのだ」
 日本人はこんなものを読んでも、「ただの紙の上の教えじゃないか」と思うだけかもしれないが、熱心なイスラム教徒は、これをそのまま命を賭けて信じているのである。彼らの最大の関心事は現世のことではなく、死後天国に行けるかどうかである。殉教は天国へのパスポートだから、現世で生きつづけるより、殉教者になって天国で生きるほうが何倍もいいと信じているのだ。タリバンがなぜ強いかというと、彼らはイスラム神学校出身者の集団で、熱心な信徒以上に、イスラムの教義を強く信じ、死をいとわないどころか、死(殉教)を望んで戦うからである.』(立花 隆 「自爆テロの研究」 文芸春秋11月号)
 アメリカとしては、この戦いをキリスト教対イスラム教の構図にすることと、第二のベトナム戦争にすることだけは何としても避けねばならないが、ここでひるむわけにはいくまい。最初、アメリカの圧倒的(であるはずの)戦力に及び腰であったタリバンも、一般民衆を巻き込むことを恐れて市街地攻撃を避け、山間や洞穴のタリバン陣地に向けてミサイルを撃つだけのアメリカに余裕を見せて、「ビンラディンは渡さない」と言うようになった。

 ここは大国アメリカ…、舐められっ放しでは終われない。イスラム教国家を初めとする世界世論に対して、「テロ撲滅は、キリスト教対イスラム教の戦いではない」ことの理解を得るとともに、同盟支援国の全面協力を取り付けて、圧倒的な戦力の差を見せつけねばなるまい。そして同時に、この争いの根底にあるパレスチナ問題の解決に、正面から取り組み、世界の評価を得ることが必要であろう。


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