【26】 自衛隊の行動基準を明確に             2001.11.27


 米軍などの後方支援のため海自の補給艦「とわだ」がインド洋に向け広島県の呉基地から、救援物資をパキスタン・カラチ港に運ぶ掃海母艦「うらが」と、これらを護衛する護衛艦「さわぎり」も神奈川県の横須賀基地から出航した。
 テロ特措法案などの審議では、「自衛隊野戦病院での医療行為は戦闘行動かどうか、近くにいる他国の部隊を助ける場合、近くとは何メートルか」などといった“神学論争”が目立った。小泉首相は、「そこは常識で考えるべきだ。ある程度は現場にまかせる」として、国会の論戦に終止符を打った。
 「アメリカ軍の居るところが、すなわち戦闘地域ではないのか」といった論争には、田中外相に「あなた、指輪を買いに行かせたのですか」と繰り返す質問同様、何を能天気なことをと聞く方の程度を疑ってしまうが、しかし、政策として自衛隊をどう使うかという運用については、「常識的にやってくれ」というわけにはいかない。政府として、国としての考えを明確に示しておかなくては、自衛隊の行動に迷いが生じる。たとえば、自衛隊の輸送機が、輸送支援のために某国へ派遣されたとき、「危険になれば引き揚げる」ことになっているが、危険の程度に応じて行動を判断する何段階かの基準を設けて、現場における行動を明確なものにしておくことは、軍務の要諦である。また、そうして指揮官や実務を担当する自衛官の負担を軽減してやるのは、政府の役目でもあろう。
 イラン・イラク戦争中の1988年7月、ペルシャ湾で警戒行動していた米海軍のイージス巡洋艦「ビンセンス」が、近づいてきたイラン旅客機を撃墜、乗員乗客290人が死亡した。何度かの警告に旅客機が応答せず、敵対行動とみなされたからだが、ROE(交戦規則)通りに行動したビンセンスの艦長はまったく責任を問われなかった。
 この度の派遣に、隊員のそれぞれはただ黙々と任務を果たすのみと出航していった。自衛隊は今後も、外国へ派遣される機会が増えると思われるが、多少とも危険があるからこそ、自衛隊が行動するわけである。国としての行動基準を政府の責任で作成し、それに基づいた行動の結果責任をすべて政府が負うことが、本来の意味でのシビリアンコントロールであろう。


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