明けまして おめでとうございます
その1 2002.1.1 3.45


今年の目標


@ 憲法改正
 現憲法は、敗戦直後に占領軍によって提示されたもので、その状況からして国民の総意に基づくものとは言えない。また、制定されてから57年を経ている今、その内容を再検討し、改めるべきものは改めるのが当然である。「平和憲法」の名のもと、手をつけるべきでない不磨の大典とする考え方は、そろそろ訂正するべき次期に来ているというべきだろう。
 当然ながら、戦後の日本に影を落としてきた戦後史観を改め、日本に正しい歴史を取り戻すことは、わがライフワークとして進めていきたいと思う。
A 小泉改革の遂行
 族議員や利権集団による阻止、地位や既得権を守ろうとする官僚機構の抵抗、そして、道半ばの今を評価することによって、存在意義を示そうとする評論家や学者の無責任な結論によって、改革が挫折することが気がかりである。
 改革の成功=国民の幸せ…という方程式は成立しないことも知っておくべきだろう。長い歴史のスパンではこの等式は恒等式に間違いないのだろうが、今を評価すればそれは成立しない。
B 三重県・津市の教育プログラムの作成
 学力低下必至の新指導要領が、今年4月から実施される。例えば理科は従来の年間135時間の授業時間数が70時間になる。算数(数学)・国語・社会などもこれに然りである。
 文部科学省は、新設される総合学習の時間にも草花を育てたり動物を飼ったりするというのだが、楽しい体験を主目的とする総合学習に、学問としての教科指導ができるわけがない。
 児童生徒の学力低下を招かない唯一の道は、県市町村が学習すべき事項・内容・方法・教材を基本的に提示する、教育プログラムを作成するしかない。そのための研究体制…かねてから提案してきたことだが、「三重県教育研究会」を組織していくことが必要である。
C 企業秘密
D 北部スコットランドの田舎に眠る、神が造りたもうたいくつかの珠玉のリンクスコースで、ゆっくりゴルフをしたい。
 以上、ささやかな今年の目標である。




明けまして おめでとうございます。  その2    2002.1.1 20.55
 新しい年にあたって ー 自己責任の覚悟を持ち、凛として生きよう −


 予定では、今ごろは世界最大の客船「ボイジャー・オブ・ザ・シーズ」に乗って、カリブ海で新年を迎え、大海原を舞う海鳥たちを眺めているはずだったのだが、ちょっと…風邪を引いてしまって、ストーブで焼くスルメを噛みながら、テレビを眺めている。クルーズの予約時点では、風邪は引いてなかったろう…というのは、現実的でスルドすぎる指摘である。


 新しい年を迎えた喜びの中に、何か不安と憎悪に似た怒りを内在させて、平成14年が明けた。貿易センタービルの崩壊に象徴される、民族・東西・文明の間に積み重ねられた怒りと憎悪は、人間が生きていくうえで宿命的に背負わなくてはならない業(ごう)のようなものであろう。人は、知恵のりんごを齧った瞬間から、業を背負って生きねばならない定めである。
 そして同時に、人は知るべきである。人間の命は、犬猫や鳥・虫たちの命と、何ら変わることない価値しかないことを! むしろ、動物たちは同種の間で争うことはあっても、殺し合うことはないから、人間の命は人間同士で殺し合うその分、軽いと言うべきかも知れない。人は万物の霊長である…とは人間が勝手に定めた独善であり、人の命は地球より重い…とは政治の方便以外の何ものでもないことを、もはや人々は知っているだろう。アフリカのサファリで、腹を空かせたライオンの前に立つまでもなく、パレスチナやアフガニスタンでポケットに手を突っ込んで歩いているだけで、我が命のなんと軽いことかを実感できる。
 人の命の尊さが否定され、社会の安全や安定は保証されることなく、世界の姿も定まらないこの時代、人はどのように生きればよいのであろうか。自己責任の時代である。自らの生きる道を自ら開き、その結果に対しては厳とした責任をとる生き方を確立しなければならない。
 世界では、中東問題を初めとする民族間の抗争が激化し、ユーロ経済圏の成立のように良い悪いは別にしてセクトナショナリズムが進行するだろう。そして、「すべてのイスラムは銃を取りジハードに立て」と、宗教すらを対立の材料とする。
 転じてわが国内の状況は、利権エゴの抵抗によって遅々として進まない改革、まだまだ増える倒産と失業…。護送船団方式、共同責任は時代遅れ。ペイオフと言われなくても、自分のことは自分で守る時代なのである。
 考えてみれば、それが人間本来の姿であった。人は、より多くの人がより安定して暮らせるようにと、さまざまなルールを作ってきた。しかし、ほとんど全てのルールは、人間を幸せにはしなくて、それに気づいた人間は、時に、ルネッサンスや革命・戦争を起こしてまでも、「レッセ・フェール・エ・レッセ・パッセ」と、保護より放任を求めたのであった。
 その時代よりも国家は進んで、国民を守りその将来の安定を提供することに国家としての義務を負うようになっていることは確かで、福祉の推進は近代国家の象徴であるが、改革を進めねばならないこの時代を生きようとするとき、人は心に「刃」を持たねばならない。刃を奮って人生を闘い開く覚悟が求められるとともに、刃を心に乗せて忍ぶこともまた求められる。
 だが、名人達人は耐え忍ぶことを忍耐と思ってはいない。ヘボなプロゴルファーはシャッターの音に憤慨するが、大阪上本町ガード下の屋台では、オバチャンも客も電車の轟音など平っちゃらである。


 世の大人たちよ、真に自らの信じる道を、自信を持って歩こうではないか。自らの信念を語ろうではないか。物言わぬことは、信じるものがないことと同じである。
 青少年諸君、学問することの大事さに目覚めよ。目の前にあるもの何にでも全力で取り組み、その中から自分が信じられるものをつかめ。真実は教えられるものでなく、自分で見つけ手にするしか得られない。
 時の歩みは、残酷なほど正確で平等である。巡り来た平成14年、新しい人間社会のあり方を求めながら、私たちは、毅然とした自己責任の覚悟を持ち、凛として生き抜かねばならない。


 日本は今 トップページへ