【31】 外務省改革の好機、ガンバレ田中外務大臣!          
2002.01.25


 田中真紀子外務大臣が、「アフガン支援会議へNGOの一部団体が参加できなかったのは、鈴木宗男議員からの圧力があったからだと、野上外務事務次官が言っていた」という旨の発言を、衆院予算委で行なった。これに対して、野上外務事務次官は、「言っていない」と言い、外務省の幹部職員が、田中・野上の会談内容なる文書を作って、『これこの通りで、野上次官は言っていません』と公表したりしている。テープを公表したというのならば、職務規律に触れるかどうかの問題は別としてもまだ説得力があるが、ことが問題になってから作文したものを公表して、この通り言っていないというのでは、何の根拠にもならないことぐらい、どうして解からないのだろう。
 繰り返される外務省のゴタゴタは、全てが外務省疑惑の隠蔽に集約される。この疑惑を解明して、外務省の綱紀を粛正し、省内改革をしようとしている田中外相に対して、疑惑を炙り出されては困る野上次官を頂点とする外務官僚の抵抗という図式である。
 田中外相の個々の事績については、さまざまな議論はあろう。ただ、歴代の外務大臣に比べて、ことさら劣る大臣であるということは決してないし、むしろ、信念を持って、是は是、否は否と明確に言うことのできる大臣であると評価すべきだろう。
 田中外相の外務大臣としての業績を批判する最大の材料は、外務省職員の掌握ができず、外交が滞っているという論議である。この批判は、基本的に成立しない。田中真紀子が改革しようとしているのが外務省職員の綱紀の粛正であり、外交機密費の疑惑解明であり、積年に渡って外務省が培ってきた体質の改善であるのだから、彼らの現在を否定することから始めなければならない問題である。獅子身中の虫を退治するのだから、虫の抵抗は必至である。
 その点を考えれば、今日まで、妥協せず、うやむやにせず、初志を貫き、自民党の中にもあからさまな妨害をする抵抗議員を抱えながら、「アメリカのNMD(ミサイル防衛)計画は、よく考える必要がある」という発言は欧州各国を初め世界の国々に支持されてきたし、さらに、今までの歴代外務大臣が口にも出せなかった、沖縄米軍の地位協定をアメリカに掛け合い、パウエル国務長官にその見直しを約束させてきた外交姿勢は立派であろう。地位協定の改正なくして、対米対等外交はない。抵抗姿勢をあからさまにし、省内の既得権益を死守しようとしている官僚に取り巻かれながらも、今日までの田中外相の対応は、並みの大臣にはできないことであったと言わねばならないだろう。
 『外務省の構造改革をすすめることのできる大臣は、田中真紀子をおいてほかにいない。77億円もの領収書の要らない機密費(国民の血税である)を野放しにしてきた大臣・内閣は今まで何をしてきたのか。報告する必要もない金ならば、不正が生じるのは必然である。この体制にメスを入れる意欲を持ち、それを断行できるのは、田中真紀子だけである。

 うち、21億円が官邸機密費として内閣官房に横流しされ、野党対策などに使われてきた。これにメスを入れようとしているのだから、福田官房長官をはじめ首相官邸サイドが真紀子大臣の首を取ろうとする理由がここにあるが、真紀子はこれに立ち向かっている。』とは、先に紹介した渡辺正二郎氏の著書の中の一説だが、田中外相の置かれている状況は、こうした困難さの中なのである。
 外務省を能動的に機能させようとするならば、幹部人事を外務大臣主導で行なうことが必要だろう。事務次官・官房長・審議官・主要国の大使の首を、全てすげ替えることが、外務省を掌握する一番の手段である。できそうもないことのように思われるが、そもそも省内の人事権は大臣にあるわけだし、大臣が代わればその手足となって国務を遂行するメンバーは、必要部分をその大臣が任命する形を恒常的なものとすればよいのである。今回、首が飛ぶ次官や官房長は、次の大臣にはその手腕が認められれば、是非にと就任を請われて復職することになる。この際、官邸機密費疑惑が云々されている官邸サイドから口をはさむのは、自らの立場を鑑みて自粛するべきであろう。

 少なくとも、外務省幹部が今のメンバーではその言動は見苦しく、外務省疑惑の完全解明も期待できないし、外交業務が機能しないことも明らかだ。責任を明確にして、人事の刷新を図ることが必要であろう。


 同時に、今回の騒動の元となった、鈴木宗男議員の圧力はあったのかどうかを、明らかにしなければならない。今回のアフガン支援だけにとどまらず、鈴木宗男議員のNGOやOGAへの関与は、多額の支援金がらみでさまざまに取り沙汰されている。対ケニヤや北方領土への政府援助に絡むキナ臭い話を全てまな板の上にならべて明らかに答えることが、自らのためにも最良の方策である。「日本一汚い政治家」とまで言われた揶揄に対して、潔白を示すことが、政治家としての将来に必要なことであろう。
 この際だから、鈴木宗男議員の関与、野上事務次官の発言の真偽について、清廉な調査メンバーを組織し、この問題を取り巻くたくさんの第三者も現存することだし、それらの人々の証言を丹念に拾い上げて事実を究明し、誰もが納得する結論を示してもらいたい。ことは言った言わないの痴話げんかのようであるが、この問題の究明は、きちんとした形で結論を出すことができれば、やりたい放題の政界や外務省の浄化改革につながる好機とすることができる懸案である。
 大島自民党国対委員長も、田中外相に注意などと言っていると、取り返しのつかない歴史上の汚名を残すことになる。小泉首相の昨今の動向も、守旧勢力との妥協を繰り返すばかりで、威勢のいい口調と少し乖離が見える。抵抗勢力の恫喝には、「君たちには、自民党を割る覚悟はあるのか」と決意の程を示すことだ。特に、外務省改革にかかわると、とたんにトークダウンするのは気がかりである。具体的な改革事項になると、腰が引ける習癖が顕在化しているということか。そろそろ、一つの成果を挙げないと、国民は飽き始めている。
 臭いものに蓋をして、また諸悪を生き延びさせていては、国民の信頼はいつまでたっても得られない。ゆめゆめ国事多難な折りから、穏便に…などと言わないように!



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