【40】 日本経済に対する責任感のない銀行は、整理機構へ!     (2002.04.27)


 米有力格付け機関スタンダード・アンド・プアーズ(S&P)は、日本の長期国債格付けを「AA」から「AAマイナス」に1段階引き下げた。これによって日本国債の格付けはイタリアの「AA」を下回って、先進国の中では最低水準となった。
 S&Pは、小泉政権が政治と産業の改革を推進すると期待していたところ、「今後数年間、財政赤字は高水準で続くであろうこと」「金融庁は特別検査までを行ったのに、不良債権問題対策は不十分だったこと」「年金問題などの社会政策への取り組みや、産業分野などの規制緩和が不十分で、改革は進んでいない」などの現状であることを、引き下げの理由として挙げている。
 外国から見ても、小泉内閣の改革は進んでいないということだ。内外に問題は山積し、日本経済は今や壊滅状態であるというのに、掛け声ばかりの小泉改革は、例えば解体廃止を約束した石油公団や道路公の処理も、族議員と官僚の抵抗にあって、いつの間にか独立行政法人などといった名前ばかりが変わったものになり、そのままの組織で生き残りを許してしまっている。
 世論の批判をかわそうと、「郵政3事業の民営化」を絶叫したところが、『参入する会社は、全国に10万個以上のポストを設置すること』などと、法整備に無理難題を盛り込まれて、頼みの綱のクロネコヤマトに、「設備投資に莫大な資金がかかりすぎる」と撤退を宣言されてしまった。


 再三の格付け引き下げに対して、無策の財務大臣は「日本の潜在力を正当に評価していない」と言い放つ始末だし、経済通も「日本に対する最大債務者であるアメリカの会社が、何を言うか」(田岡朝日新聞客員)などと能天気に構えている。日本経済を低迷させている張本人の銀行は、不良債権を処理する気持ちもない。
 銀行は公的資金注入の際に不良債権の早期処理を約束したはずである。ところが、不良債権はこの1年で4割も増えていて、昨年3月、17兆8800億円あった大手行の不良債権残高は、今年3月末、24兆円強になっているのだ。今、多額の処理をして大幅な欠損を出し、経営責任を問われることは避けたいというのが銀行経営陣の本音で、いずれ景気がよくなれば、自然に解消されるものだといった対処しかされていないのが実情である。
 日本に銀行制度を築いた松方正義は、『「多数人民ノ共同資本」からなりたつ銀行は、本来、債権者と債務者との間に立って金融の「疏通」を図り、両者間の「商業ノ便益」を考慮すべき立場にある。そのために「実際ノ営業」は確実を期し、充分な社会的信用を得て、社会の建設に寄与しなければならない』と述べている。
 今さら言うまでもなく、金融機関は自由主義経済の要諦である。経済の血液である通貨を動脈に送り出す心臓のような存在であって、個人や企業からの預金を、設備投資や事業資金が必要な企業に貸し出して利益を生む。この金融システムの機能によって経済は発展してきたのである。
 ところが、今や日本の銀行は、国民を犠牲者にする空前の低金利政策で延命保護を受け、その一方で貸し出しは渋りに渋って、無理やり融資を引き揚げている。
 銀行は「貸し渋りはしてない」と主張するが、金融庁が今年1月に発表した金融機関の「預金・貸金動態」を見ると、預金はメガバンクなど7行で約214兆円。これは昨年3月比で約11兆2000億円増(5・51%増)であり、一方、貸出金は約205兆円で9兆3800億円も減っている。数字は、預金は増えているのに貸出金は減っていることを示しているのだから、銀行の貸し渋りは明白である。堅実ではあっても経営基盤の脆弱な中小企業は資金繰りがつかずバタバタ倒れていて、帝国データバンクが発表した昨年度の企業倒産は、17年ぶりに2万件を突破した。
 では、銀行は預金を市中に回さず何に使っているのかというと.政府が発行する赤字国債を買っているのである。これほど大量の国債が出ているのに長期金利が上がらないのは、都銀が国債を買いこんでいるからで、国内銀行の国債投資残高は、01年末で66兆円を超す異常な数値に膨れ上がっている。的確な審査能力のない日本の銀行は、企業の血液ともいうべき融資を行うことなく、リスクの少ない国債を買いあさっているのだ。経済に対する責任の自覚も持たず、企業努力もしない銀行の存在価値はなく、むしろ日本経済にとって銀行の現状は百害あるばかりである。
 もう10年も前にカリフォルニアへ旅行したとき、両替に立ち寄ったバンクオブアメリカの女子行員は、「窓口業務は午後7時まで、ATMは24時間働いています」と言っていた。今、公的資金で生き延びている日本の銀行は、午後3時で窓口を閉め、ATMも午後8時まで。しかも、客が自分の金を自分で操作して出金や送金をしても、100円余の手数料を取る。そして銀行員の平均給与は、同年代の他企業就業者と比べて、今なお高水準である。


 先日の金融庁による特別検査は、たるみきった銀行に渇を入れ、ウミを出す最後のチャンスであった。「融資先を厳しく査定し、ダメな取引先への引当金の積み増しや、法的整理をさせ、自己資本不足になったら経営トップの責任を問うた上で、公的資金を注入する」という方策が設定されていたはずであった。厳しい検査で不良債権と無責任な経営トップを一括処理すべきであった。
 ところが.現在の金融機関の融資残高は約300兆円あるが、そのうち今回の検査は大手13行が抱える100億円以上の大口融資先149社、約27兆円分のみにつてい行なわれただけである。そして結果は71社、7兆5000億円分について査定区分を下げ、昨年9月末に比べて不良債権額が4兆7000億円増えた(総額は7兆8000億円)という。一説には、「日本の不良債権は100兆円以上」と言われている現在、これで解決にメドがついたというのはあまりにもお粗末過ぎる。
 企業が決算期を迎える3月には、国民年金基金などの資金を60兆円も放出して株式市場に介入し、株価を吊り上げる工作をしている。それまで8000円台であった平均株価は11000円を回復し、含み損を大きく減らして、企業の決算はかろうじて大幅赤字を縮小している。こんな小手先のインチキで、経済の現状を覆い隠していてよいのだろうか。
 柳沢金融担当相は「思い切った処理をしてもらった」と言い、「不良債権は1年以内に半減、3年で最終処理させる」と、聞き飽きた言い訳をまだ繰り返している。
 こんなことをしていては、日本の金融システムが市場からも海外からも信用されなくなるのは当然である。今回の国債の格下げは、この結果を踏まえたものだったのだから、こうした銀行のあり方と日本の金融政策は外国からも何らの評価がなされていないということが判明したといえる。


 こう見てくると、銀行が景気の足を引っ張っているのは明白だ。日銀が未曽有の金融緩和策をとっているのに、市中にカネが出回らず、潰れなくてもいい企業まで潰されている。それでいて、本当に潰れるべきゼネコンや流通が、政府と銀行の思惑によって生き残り、それがさらに景気の足を引っ張るという悪循環を繰り返しているのだ。
 金融庁は責任を持って自らの手で不良債権の実勢調査を徹底的にやるべきである。判明したものは現在価格で強制的に買い上げ、処理機構の権限で買い手を探して処理することである。一時的な避難所としての国民銀行を設置してもよい。
 未曾有の通貨危機に見舞われたアジア諸国が、今日、V字の景気回復を成し遂げてきた要因のひとつは、国家による金融機関の不良債権処理にあった。現在価格では莫大な欠損を計上しなければならない銀行側は、経営責任を厳しく問われなくてはならないし、倒産も覚悟しなければならないかも知れないが、政府が本腰を入れて受け皿を作って、影響を食い止めればよい。その結果、銀行の幾つかが潰れても、真に健全な銀行がこれを引き継いでいけば、経済の基盤は整備され、活力がよみがえる。
 「AAマイナス」が実情である日本経済にとって、責任ある処理を断行することは、それほど猶予期間のある話ではない。口先ばかりの改革を、もう国民は信用しない。和歌山・新潟・徳島の補選・知事選にも、小泉自民党は勝利できまい。日本の現状を、人々は敏感に感じ取っている。



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