【41】瀋陽日本総領事館 北朝鮮住民亡命未遂事件 その1     2002.05.11


 中国瀋陽の日本総領事館に亡命を求める北朝鮮の家族5人が駆け込み、領事館敷地内において中国の武装警官に拘束され連行されるという事件が発生した。

 本来、不可侵であるべきはずの領事館敷地内に武装警官が入り込んで、亡命を求める人を拘束・連行したのである。TVの映像を見られた人は、中国人の武装警官が明らかに領事館の門内に入って、2人の女性と1人の女の子を引きずり出すシーンを目の当たりにされたことだろう。そしてさらに大きな問題は、このあと中国警察の数人が日本領事館の建物の中に踏み入り、館内に逃げ込んでいた2人の男性を縛り上げ連行していることである。
 中国側はこの警官の行動を、「領事機関の公館の不可侵を定めたウィーン条約に違反している」とする日本政府の抗議に対し、同条約が「公館を保護する接受国側の責務を規定している」点を指摘し、「連行は総領事館と館員の安全確保のためで、同条約にも違反していない」とコメントしている。 しかし、日本館員が要請してもいないのに敷地内で亡命希望者を取り押さえ、さらに2人の男性の拘束には建物の中に立ち入り日本館員の制止を聞かずに連行していくという行為は、明らかに日本の主権を侵害している。逆の立場になれば、日本国内の中国大使館に、ロシアへの亡命希望の他国人が駆け込んだのを、日本の警察が踏み込んで逮捕連行してもよいということなのか。世界のどこにあっても、大使館・領事館は、その国の主権が認められる聖域なのである。
 主権侵害に対して、日本政府は断固たる抗議をし、中国の謝罪と、日本の主権下において中国警官に拘留連行された5人の身柄引き渡しを要求しなければならない。

 領事館敷地内で起こった身柄拘束に対して、瀋陽日本総領事館員はこれを不当であるとして排除すべき行動を何もしなかったと指摘されていることについてだが、韓国通信社のニュースは「一部目撃者は、日本総領事館にいったん入った2人を中国武装警察が強制的に連れ去る前に、館関係者と警察側が協議していたと主張している」と報じ、治外法権が認められる所での中国当局の行動の問題性とともに、日本領事館側の対応も「非人道的だ」として、「日韓の外交摩擦に発展する恐れが強い」としている。
 日本は過去に、「命のビザ」と称され、ナチス・ドイツの迫害から逃れるユダヤ人難民に通過査証(ビザ)を自らの判断で発給し、約6000人の生命を救った元リトアニア領事代理の杉原千畝氏など、素晴らしい外交官を輩出している。それが、国家の主権を踏みにじられる事態を目前にして手をこまねいていて、亡命を求めて駆け込んで来た人々を領事館の敷地内で拘束されても保護することができないなど、なんともお粗末である。今回の出来事は、TVで放映されて全世界に流れた。映像は、中国の横暴とともに、立ち尽くす日本の外交官の不甲斐なさを赤裸々に映し出している。外交官には、国を代表する使命感と気迫がなくてはならない。
 戦後50余年、日本人は誇りをどこかへ置き去りにしてきた。理不尽な横暴にもあいまいに笑い、白黒をつけずに物事を処理してきた。独立国として国を守ることよりも、経済の繁栄を優先してきた国であった。辱められても、フトコロさえ痛まなければよしとする卑しさを、恥ずかしいとも思わずに半世紀を過ごしてきた国民であった。瀋陽総領事館の館員たちは、毅然たる気概を忘れてきた民族のなれの果てなのかもしれない。

 日本総領事館でこの事件が起こった8日、すぐ近くのアメリカ総領事館でも北朝鮮住民2名が亡命を求めて駆け込み、9日にも1名が駆け込んでいるが、アメリカ総領事館ではこれらの亡命者を全て保護している。もちろん中国警察が踏み込むことはない。日本総領事館とアメリカ総領事館に対する、中国側の態度の違いは何であろう。
 中国にとって、日本は恫喝しやすい国であり、強硬に出ればすぐに引っ込む、御しやすい国なのである。今日までの日本の外交が、この中国の姿勢をつくってしまったことも、残念ながらある部分で事実だろう。
 歴代首相の靖国神社参拝問題にしても、もともとは社会党訪中団が「靖国参拝をどう思いますか」と提言したことから生じた問題であって、中国側はこれを持ち出せば沸騰する日本の国内世論と右往左往する政府関係者の姿を見て、切り札として有効であることを知り、トウカセン外相は「やめなさい」と日本語で断じ、コウタクミン主席は「絶対に許すことはできない」と怒りをあらわにする。
 東京裁判史観のもと、戦犯とされた人々であったとしても、日本のために命をささげた英霊に対して、国の指導者が鎮魂の参拝を捧げるのは当然ではないのか。夷荻を打ち、他民族を征服殲滅して国を形づくってきた中国の古来の覇王たちに対して、中国人民は敬意を捧げないのか。いや、そんな理屈を並べる以前に、「中国の指導者たちよ。日本の問題に口出しするのはヤメナサイ」と言うべきであろう。
 「君子は、和して同ぜず」と言う。人間として信頼し合ってなお、問題点はうやむやにすることなく、堂々と論じ合うべきだという教えである。古の中国の偉人がこう諭しているのだから、言うべきことは堂々と言うことが肝要である。

 TV映像は、中国の非道を、全世界に報じている。だからこそ、この問題にきちんとした、そして断固とした対応をするかどうか、日本の姿勢を全世界が見つめている。

 追.
 この項を起こしいてる今、午前7時、新たな中国側の反論が入った。「総領事館と館員の安全確保のため」に立ち入ったと言うのでは、何の説明にもならないことに気づいたのか、いわく「中国警官の立ち入りは、副領事の同意のもとに行われた」と。
 日本の副領事が外交官として、亡命を求める人を拘束することに同意を与えるとは考えられないが、中国側が新たに主張する「同意のもと」という立ち入りは、2人の男性の拘束に際して建物に立ち入ったことの正当性を論じたものにすぎない。
 正門を入ったすぐのところで、飛び込んだ2人の女性と女の子を押さえ込み引きずり出した際には、中国武装警官は日本側の誰とも接してはいない…、そんな時間も機会もなかったからである。すなわち、「同意のもと」という中国側の主張は、日本総領事館の敷地内に立ち入り、亡命者を拘束連行したという行為の正当性を裏付けるものではないのである。
 仮に、日本館員の誰かが、ありえないことだが2人の男性の拘束に同意を与えていたとしても、日本総領事館の敷地内に許可なく立ち入り、2人の女性と1人の女の子を押さえ込み引きずり出した無謀さを正当なものであるとする説明にはならない。
 世界に放映されたこの問題に、説明をしなければならない中国の苦心が垣間見られる。しかし、上の反論に整合性はなく、日本の対中国外交にとっても、対等外交へ転換をなすことのできる試金石ではないか。



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