【44】韓国チームの健闘を讃えて −FIFAワールドカップ2002− (2002.06.28)


 中津江村のカメルーン騒動から始まったワールドカップサッカー2002も、明後日の決勝ドイツVSブラジル戦で幕を閉じる。日本では、1ヶ月前までベッカムのべの字も知らなかった若者たちが、にわかベッカムファンとなって巷にあふれた。
 特筆すべきは、韓国チームの健闘であろう。一戦一戦にみせた韓国チームの闘争心・粘り・勝利に賭ける執念は、感動的であった。予選リーグでは強豪ポルトガルを破って1位で決勝に進出し、決勝トーナメントでは敗戦必至という大方の予想を覆してイタリア・スペインを次々と撃破し、堂々のベスト4を勝ち取ったのである。今までにワールドカップで1勝もしたことがなかった韓国チームがここまで勝ち進んだのは、もちろん練磨と精進の賜物であったのだろうが、忘れてはならないのは、開催国として勝たねばならないという選手たちの決意であり、それを支えた韓国国民の熱狂的な応援である。
 日本チームの健闘も特筆に価する。予選リーグの第1戦ではベルギーを相手に引き分けて、ワールドカップ初という勝ち点1を記録し、第2戦のロシアでは歴史的な勝利を収めて、H組の第1位で決勝トーナメントへと駒を進めた。その緒戦、トルコに敗れて日本のワールドカップは終わったが、それが順当というものであり、十分にがんばった結果であった。
 ただ、韓国にあって日本にはなかったものがあったことは確かである。韓国チームには「負けてたまるか」という決意がみなぎっていたし、国土を真ッ赤に染める熱狂の応援があった。それが相まって、「不可能を可能にし、限界を超える大きな力」が生まれたのである。
 今の日本には、どこかに忘れてきた熱く強い思いである。私たちは、国を愛し、民族の文化をいつくしみ、同胞が団結することがいかに素晴らしいことかを、もう一度真摯に考える必要があるのではないか。韓国チームの大健闘に、国旗を振って「韓国人であることを誇りに思う」と叫んでいた女の子を育てた土壌を、畏怖するべきではないのか。日韓を比べると、チームの成績だけでなく、国民の取り組みと意識も、韓国に軍配を上げざるを得ないと思うのは、必要の無い思索なのだろうか。



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