【51】日朝交渉に思う −両国の将来を開く交渉にするために−     (2002.11.5)


 小泉首相が北朝鮮を訪問してから初の日朝交渉が、マレーシアのクアラルンプールで開催された。日本側は、連日放送される拉致家族の叫びとそれに呼応して高まる世論を背景に、拉致事件の解決を第一義に掲げ、さらに米国との連携のもと、直前に開催されたアジア太平洋経済協力会議(APEC)の特別声明も受けて、核開発の即時断念を強く求めることを前面に出して行われた。
 米朝交渉や南北首脳会談での各種合意を実行しないことなど、北朝鮮は約束を簡単にたがえる前歴があり、この国との交渉は容易ではない。とりわけ今回は核兵器用ウラン濃縮プログラムが自国内において進行中であることを北朝鮮自身が認め、これは1994年の米朝枠組み合意や、核拡散防止条約など四つの国際合意に反していることが判明しての日朝交渉である。
 会談は、近くて遠い国を象徴するかのように、両国からはるかに遠いマレーシアで開催されたが、平成3(1991)年から始まった日朝の国交正常化交渉は、北朝鮮が日本側の拉致問題言及に反発するなどして中断し、今度が12回目になる。
 今回の交渉で北朝鮮に検証可能な核開発の断念を求めることは、日韓米のみならず中国・ロシアも同意している。北朝鮮は、これまで核開発問題を一貫して「米朝の問題」に限定してきたが、日本全土を射程におさめる中距離ミサイル「ノドン」をすでに配備しており、これと結びつく核開発は日本の直接的な脅威となる。
 国際的にも日本にとっても重要な核開発問題であって、世界の耳目を集める交渉である。北朝鮮は、「核問題は米国と協議する」と主張するが、「ノドン」の対象である日本が交渉相手としての資格を有しないわけはない。核開発阻止の国際的合意を背景にして、日本外交の真価が問われる。


 そしてもう一つ、日本にとって決して譲れないのが「拉致問題」である。日朝交渉を伝える現地クアラルンプールの新聞は核開発阻止を伝えるばかりで、拉致問題は一切報じてはいないという。このように国際的にはさほどの意味を持たない問題ではあるが、当事国としての日本にとっては、同胞を拉致されて24年間もその事実はないとされてきたのだから、今日まで放置してきた国や政治家の責任は重く、拉致された本人や家族の気持ちを思えば、納得のいく結論を得なければ収まらない問題である。
 最終的には、生存者の家族を含めた全員の帰還、死亡者の追跡調査、今回判明分以外の拉致の有無、拉致被害者への北朝鮮からの謝罪と保障が、決着の内容となろう。国際テロへの糾弾を初めとして、国際的な犯罪への批判が高まっている現在、国家的な犯罪行為を繰り返してきている北朝鮮への風当たりは強い。完全解決まで、粘り強くかつ毅然として交渉に当たってほしい。
 ところで、今、日本は一時帰国の5人を帰さないことを決定し、日本国内に留めたままにしている。この決定を聞いたとき、仰天した。ずいぶん勝手な決定だと…。
 第一に一時帰国した5人の気持ちや都合はどうなのだろう。家族を北朝鮮に残したまま、2週間ほどの海外出張のつもりで出かけてきたはずである。
このまま帰国しないとなれば、家族は自分達を捨てたと考えるのではないだろうか。この5人の人たちの気持ちや北朝鮮に残してきた家族の気持ちを押し切り、日本側の家族の要望にしたがって政府は5人を返さないと決めたのだろうか。そんな権利が、日本側家族や日本政府にあるのか。
 と思っていたら、パックインジャーナルの河村コメンティターによると、5人の一時帰国者から「帰りたくない」という何らかの意思表示が行われ、それをもとに政府が決断したのだという。北朝鮮に残してきた家族は、いずれ日本に引き取るということで理解を得ようというのであろう。故郷に帰って家族や友人に会い、厳しい環境の北朝鮮へ帰らずに、家族を呼べるものならそれが一番いいと思ったのだろうか。ここで北朝鮮へもどれば、再び日本の土を踏むことはできないのではないかという恐れもあっただろう。
 5人の人たちの気持ちは理解できるが、日本の国としての対応はこれでよしとはし難い。北朝鮮は、一時帰国として5人を日本へ帰すことを認めたのである。日朝交渉の席上、「約束違反だ」とする鄭泰和大使に対して、鈴木勝也大使は「約束違反ではない。状況が変化したのだ」と答えたという。5人の気持ちの変化、日本の家族の願い、世論の動向に加えて、そもそも拉致という違法行為で北朝鮮へ連れ去られたものを原形に復したということで、5人が日本に留まることは人道上も当然という主張である。
 しかし、一時帰国という合意のうえ出国させた北朝鮮への信義はどうする。相手はヤクザみたいなものだから信義を守る必要も何もないというのならば、外交交渉も成立しない。北朝鮮の恫喝が勝つか、日本のゼニが勝つかのレベルである。今は経済が破綻して国が揺らいでいるから、援助に絡めれば何でも言うことを聞く…という立場でものを言うのは、交渉ではあるまい。
 相手の今を認めて、お互いのより良い未来への道を求めるのが、外交交渉である。弱い立場のものを辱(はずかし)めては、こちらの品格が疑われ、将来に恨みを残す。過去の過ちを認めて謝罪した相手に対して、過去が誤っているのだからそれに関わることの新しい約束を認めないと反故にするのは、政治的・人道的・国際的な信義にもとるといわねばなるまい。立場を変えて考えてみれば、日本が朝鮮の人々を強制連行した第二次大戦に関わることは、日本には一切の発言権はないということである。
 過去の否は否として、今はそこから脱却した現在がある。今の相手を認めなくては、交渉は実りのあるものとはなるまい。援助が欲しい北朝鮮を、金と米をちらつかせて跪(ひざまず)かせても、弱いものいじめの結論では将来を開く成果は得られない。
 5人の人たちは、一旦北朝鮮へ返すべきであったと思う。手順を踏んで、国力と交渉力と世界世論をもとに、納得ずくで家族ともども帰国させるべきであった。一旦返せば人質にされるというのは、あまりに自信のない態度である。もし、帰国した5人を取り戻す交渉ができないと言うのならば、家族の日本移住はおろか、拉致問題の根本的な解決など望むべくもない。
 北朝鮮が協力的でないならば、援助も国交もなすべきではないのは確かだ。しかし今、彼我に国力や事情の差は大きい。北朝鮮が日本の主張に聞く耳を持たずと席を立つ状況は最早ない。日本としては、北朝鮮の壊滅的な国家の事情には十分に意を用い、なすべき援助はできるだけのことを尽くすことであろう。そして、拉致問題の解決、核疑惑の解明、戦後問題の処理について、完全解決を図らねばならない。お互いの現在を認め合い、両国の末永い国交と民族同士の信頼が樹立できる交渉を期待している。




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