【54】 西宮冷蔵の廃業                     (2002.12.14)


 「西宮冷蔵」と聞いて、「ああ、あの会社」とすぐに思い浮かべることのできる人が、何人ぐらいいるだろう。雪印食品の輸入牛肉ラベル張替えを告発した、あの会社である。
 その西宮冷蔵が廃業に追い込まれた。
得意先の雪印食品が事件で解散に追い込まれた上、ほかの荷主からも取引停止が相次ぎ、業績が悪化したのが理由、約13億円の負債が見込まれるという。
 正義を行ったものが、その正義ゆえに存在を否定される…。それが世の中というものだよと、もしあなたがそう思うなら、もうあなたは生きていても仕方がない。むしろ、そう考えるあなたの存在が世の中の悪をはびこらせる温床となっていることを考えてみると、居ないほうがいいというべきではないか。
 その意味から言うと、西宮冷蔵の廃業は、日本人みんなの存在が否定されているということだろう。社会の正義や公益を守ることよりも、集団内の私益を優先させることが、世の中の知恵ある生き方だとしたり顔で言うのならば、その人に外務省の体質批判をする資格はない。日本国や国民のためよりも、省内の既得権を優先させる彼らの論理を肯定する訳だからである。
 マスコミの報道姿勢もあきれてしまう。西宮冷蔵を守れずして、何が社会を守る公器か! 西宮冷蔵社長の告発を潰そうとする勢力や動きと対決し、「秘密の暴露は企業倫理に反する」などと公然と取引停止を宣言するものを、社名の公表などをして批判糾弾していくべきではないのか。西宮冷蔵へ荷物を預けようという支援キャンペーンも必要であろう。
 西宮冷蔵の行動を支持して、荷物の預託を申し出る会社が出てこないというのも、日本人として背筋の寒くなる話である。全ての会社は、公表されては困る不正を行っているということか。秘密を暴露されるのは秘守義務違反とかプライバシーの侵害とかでむやみに行われてはいけないけれど、社会正義や公序良俗に反することを公開批判することを恐れる必要はない。ましてや、不正の糾弾を企業倫理に反するなどと言うのは、これも存在する必要の無い…存在することが社会悪である企業であろう。
 告発行為は勇気も必要とし、リスクも覚悟しての行動であった。西宮冷蔵が、会社の存続を賭して不正告発を行ったというこの事実を、私たちは風化させてはならない。不正は許さないという社会の意志を育て上げることが大切であり、不正を恥とする未来の社会を作り上げねばならない。



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