【55】 この国を再建するものは                     2002.12.31


 今年を締めくくる項としては下世話な話で恐縮だけれども、チェスターバリーのカシミヤコートを買ってしまった。縫製がしっかりしているせいかそこそこの重量感があって、軽いばかりのカシミヤでないところが良いかなと思ったのである。
 家へ帰って羽織ってみて、中身のそぐわないことに気付いた。若い頃は、美味しいものを食べて良い物を使うことが中身を磨くことだと思ってきたし、事実、少々背伸びすることによって中身を駆り立てることができたような気もする。しかし40・50はハナ垂れ小僧ではあるけれど、そろそろ中身で勝負しなくてはならない年であることも間違いない。それにはチェスターバリーのコートは不要である。むしろ、中身を隠してしまう。中身が立派かどうかは別問題だけれど、要するに中身で勝負するために、そのコートを脱がなくてはならないと思ったのである。
 見た目で評価するのが世間であり、結果しか通用しないのが世の中である。しかし、身の処し方のスタイルは、良くも悪くも自分流を貫くしかない。それが世の中に認められるよう努力するしかないのである。
 今、日本は大きく変化している。政官産癒着の日本的構造は停滞と腐敗を招くだけで、組織の内側に向けてよい顔を振りまいてきた従来の世渡りは、世界の激流に粉砕されて、このていたらくである。
 本物が問われる時代である。自分の力で生き抜くことが求められている。今や日本の国家財政は実質的に破綻していて、もはや国の保護や福祉をあてにすることはできない。名だたる大企業でも銀行でも、国の救済を頼みとすることはできず、実力のないものは淘汰されてゆく運命である。
 国家よ、企業よ、そして国民よ。上辺をつくろう虚飾を脱ぎ捨て、今こそ自らの真の姿で明日を切り開こう。
 わが国の個人資産保有高は世界一で、日本は世界一の債権国である…などといった甘い幻想の数字に躍らされることなく、現実を直視することだ。世界一お金持ちの国民は、世界一高単価の世の中の仕組みの中で、一生働いて100坪の家を持つのが終着点なのである。世界一の債権国の国債は、現在、国家財政の破綻したアルゼンチンと同格の格付けである。それを裏付けるように、国債30兆円以内という小泉内閣の公約は先日の予算案でいとも簡単に破られ、今の日本は国家も地方も借金漬けである。もはや、首相にも知事にもなるものはいまい。このまま赤字国債を垂れ流し続ければ、あと5年で国家や地方の財政は破綻する。その時には預金も株券も生命保険も紙くずと帰する。
 この国を再生する鍵は、栄光の…そしてやましい過去を切り捨てて、清冽なる自己責任の社会体制を打ち建てることである。
 政治においては利権癒着を断ち切り、経済は甘えの構造を変革し、国民は自らの責任において日々の生活を生きる覚悟を持つことだ。全銀行の3分の1を整理して国家破産からV字型に復活した韓国、強力な国家指導で通貨危機から奇跡の回復を遂げたマハティールのシンガポールなどを見ると、彼らにあって日本にないものは、政府の改革のスピードである。わが国では、既得権にしがみつく旧体制が改革を鈍らせ、政治のトップたちは癒着構造をいつまでも断ち切れずにいる。
 未曾有の通貨危機という国家破綻をわずか1年で乗り越えたアジアの各国に比べ、日本は10数年間にわたり比較にならない資産を持ちながら、もがき苦しんで来た。
 この国の体制を変えなくてはならない。そのために、国民よ、自からの意志でカシミヤコートを脱ぎ捨て、自ら考え、自らの口で話し、自らの力で世の中を生き抜こうではないか。この国の将来は、自分達の肩にかかっていることを自覚して。




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