【56】 初夢所感  2003年、日本の政治・経済がなすべきこと   (2003.1.7)

2002年、日本にとって良かったことを思い出すのは難しい。強いてあげるならば、ワールドカップサッカーの日韓共同開催で、歴史的にギグシャクしていたこの隣国との相互理解が少し良くなったことと、年末、2人のノーベル賞受賞者が出たことか。ニュートリノの小柴氏は世界にその名の知られた学者だが、島津製作所の田中耕一氏は市井の人である。国内で彼の業績を讃えた事実がないのも、日本の研究体制というか、学会事情を物語っていた。
 2003年はといえば、これまた見事なほど良い材料はない。政治の手詰まりは小泉純一郎のあとに首相候補がいないということに象徴されているし、経済はアメリカの景気向上頼みで、自力上昇の力はない。経済首脳と言われる人たちの年頭所感を聞いても、どこか他人任せで、誰からもどこからも施策といえるようなものの提言はない。自分達の手で経済を再生するのだという気概も方法もなく、責任感もないという印象であった。

それでは、2003年、日本はどうすればよいのだろうか。


 小泉内閣の課題である改革を目に見える形で断行することが第一義であろうが、国政に緊張感を持たせる政局の要諦は、民主党と自由党の連合である。両党が政策をつき合わせて議論を尽くし、野党連合を構築して小沢一郎を首相候補に立て、国民に日本のビジョンを示して小泉自民党に抗する一大勢力を創り上げることであろう。なぜ小沢一郎か。国民に対して説得力のある政策を示しえる野党の首相候補は、彼以外にいないからである。
 政策で争わずに、実体を言わないイメージで勝負しようというのならば、北川正恭三重県知事を担いでもよいのかも知れない。改革の旗手としての彼のイメージは、地方自治が破綻する2008・9年ごろまでならば、カードとして使えるだろう。それ以降はまた彼の持ち前の行動力で局面を切り開いていくことを期待するとして、首相候補にするならば国会に議席を持たねばならないが、東京のどこかに彼の選挙区を用意するか、あるいは自民党守旧派の誰か…江藤隆美(宮崎2区、本人は引退して息子が出るそうだ)亀井静香(広島6区)野中広努(京都4区)古賀 誠(福岡7区)あたりの選挙区から、対立候補として打って出るというのはどうだろうか!
 「今の政局ならば、麻生が首相でも大勝」と自民党に言わしめる野党は、大同団結して小泉自民党に緊張感を持たせるような状況を創り出さねばならない。自由党が核となって、民主党の旧社会党左派を切り捨て、代わりに自民党のリベラルと一緒になって新党をつくることができれば、公明党が入っている現在の三党体制よりも信頼できる体制をつくることができるのではないか。


 経済は、竹中改革路線を強力に推し進めることである。日本経済の10年以上に及ぶ低迷の原因が日本の利権癒着構造にあることは繰り返して指摘してきたところで、それゆえに改革は遅々として進まず、まさに「改革なくして景気回復なし」の意味はここにある。
 この10年間の低迷期に、経済政策や財界活動・企業の経営トップに関わってきた人々は、その責を負って潔く身を引くべきであろう。橋本内閣から森内閣にいたる首相・蔵相・大蔵省局長以上などの政官界関係者、財界首脳と現在公的資金注入の銀行・債務免除を受けた企業の経営者は、引責辞任するべきだ。

 経済問題は、裏付けの数字や資料を提示して話を進めないと、自民党の爺さんのように「私らは命をかけているのですから」といった精神論や抽象論になってしまうので、時間のないときにはあまり深入りしたくないのだが、例えば、現在の銀行の自己資本比率は、先払いした税金の還付分を向こう5年間分まで組み入れて計算していて、UFJ(11.04%)みずほ(10.56%)三井住友(10.46%)三菱東京(10.30%)と一応の合格点をつけているけれども、これを米国並みの1年分に短縮するという竹中試案を適用すると、UFJ(5.61%)みずほ(5.54%)三井住友(4.37%)三菱東京(6.72%)と低迷し、海外で金融活動を行う基準の8%を軒並み割り込む。
 「途中でルールを変えて、評価されては心外だ」と銀行首脳は抵抗するが、外国の銀行はこの基準をクリアして企業活動をしているのだから、彼我の体質や力の差は歴然としている。かつては、世界の大銀行リストの上位に名を連ねていた日本の銀行が、バブルの中で判断を誤り、今、低迷する日本経済の根源となっているのだ。責任を問われるのは当然であろう。
 これまで10年を超える期間、日本は対症療法を繰り返し、100兆円を超える資金を投入して、なおその病根を除去できていない。昨年末に成立した予算を見ても、小泉内閣の基本的な公約であった国債30兆円枠を守ることができない状況に追い詰められていて、過去最悪の借金依存予算となっている。
 長引く不況に、またぞろ景気浮揚策推進論が頭をもたげてきた。景気が良くなれば株価などが上がって不良債権は目減りし、インフレとなるから消費が拡大する…。だから「景気回復なくして、改革なし」が正しいという意見を、多くの経済専門家までが言い始めている。そう言って100兆円をドブに捨てて10年を費やしたことを、すっかり忘れたのか。あるいは、知らぬ顔を決めこんでいるのか。

今、国民は痛みに耐える覚悟はできているのだ。大銀行が潰れて株価が5000円になっても、ゼネコンが倒産して失業率が7%を超えても、3年後に日本経済が立ち直るならば、その間を耐える覚悟はできている。ただ、5年の長きには、日本経済そのものが耐え切れない。銀行は機能をうしない、大小を問わず倒産する企業が続出して、国家は調整管理能力を喪失する。だから改革を急ぐ必要がある。
 現在の国民経済の動向を見ると、政府が小手先の策を弄して消費を喚起しても、人々は財布の紐を硬く締めて将来に備えている。潰すものは潰せ、膿は全て出し去れ。その間、自分の生活は自分で守るから…と、国民は強烈なメッセージを出し続けているのである。この国の五流の政治家はそれを読めずに、すでに潰れている大銀行・大企業に死に金を注ぎ込み、なお国民の不安をあおっているのだ。

 竹中改革を強力に進めることが、この国の経済を蘇生させる道である。昨年11月発売の文芸春秋に10人の経済学者・評論家の30数ページにのぼる大激論が載っていたが、どこに結論があるのかわからなかった。実は、結論などなかったのである。責任のない学者や評論家の暇つぶしに付き合ってしまったむなしさだけが残った。それぞれが自説を繰り返すだけで、反対意見を論駁できる確固たる理論もないし、「こうしろ、俺は命を賭ける!」とか、「このままいけば、3月に株価は6000円台。外れたら大学を辞任する!」と言うものは一人もいない。言ったことに責任はなく、言いっ放しだ。
 竹中氏の改革は支持できる内容である。「大銀行といえども、潰す対象から除外しない」「公的資金導入の銀行の頭取は、退職金を支払わずに辞任してもらう」など、至極当然のことで、この国のマスコミは素早く反応した株価の下落を見て「責任ある立場のものの発言としては、軽率すぎる」などと、与党関係者の言をそのまま論調にしているが、竹中発言の内容は正論であって、国民の側からしても、潰すものは潰す・責任は取らせるというのでなくては納得できない。
 潰した銀行は、一時的に国家管理とすればよい。責任体制を明確にして、国が選任した新経営陣に任せることだ。韓国は全金融機関の半分近くを整理して奇跡のV復活を遂げ、英国病に悩んだイギリスは11社あった証券会社の9社を潰してウインブルドン現象といわれながらロンドン金融市場の活況を取り戻した。
 改革を恐れてはなるまい。政治的妥協は目的達成方法としては必要であっても、改革のスピードを鈍らせることを許してはならない。スピードのないところに、改革はないからである。そして何よりも、この国の国家財政は5年後には破綻する。銀行の取り付け騒ぎから、預金も債権も保険も全てが紙切れとなる。テレビが映し出したロシアやアルゼンチンの姿が、現実となるのである。改革の実現を、もうそれほど長くは待っていられないのである。

国家百年の計、教育改革も逆行している。国の将来を設計する少子化対策も、子どもを産めない社会にしている。若者の刹那的な行動はどうだ。戦後の民主日本といわれる時代に育ったこの国の人々は、社会的な信条を持っていない。人情、公徳心、連帯感、孝養、愛国心…などなど、考えなければならない問題は多く、この国の再生に課題は山積している。
 しかし、年賀状も続かないといった人間的絆のもろい大人もいる中で、「年に一回のこと、ハガキでは語り尽くせませんので、手紙にしました」と、今春社会へ巣立つ22歳から便箋4枚に思いのたけを綴った年賀封書が届いた。この国の将来も捨てたものではないと思った。



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