【59】イラク攻撃の意味するもの                  (2003.03.16)

 イラクへの攻撃が緊迫の局面を迎えている。今日16日未明に米英スペインの首脳会議を終えて、ブッシュ大統領は「17日が世界にとって決定的なときになる」と述べ、言外に17日一杯に国連安保理が武力攻撃容認に対する何らかの動きをすることを求めた。もし国連が武力攻撃を認めない場合、アメリカは単独の判断でイラク攻撃の火蓋を切ることになるのだろう。

 実は、火蓋はすでに切られている。米空母5隻はアラビア海・地中海に配備され、南のクゥエート・カタール・バーレーンや北のトルコ・アゼルバイジャンなどには25万人を超える米英の兵力が駐留している。そして、すでにイラク南部ではイラク軍の地対空ミサイルを初めとする軍事インフラに対して爆撃が行われているし、イラク北部のクルド人地区では特殊部隊やCIAが潜入して情報活動を展開している。
 これらは、強大な軍事力を背景とするアメリカのゴリ押しと解釈される向きが多いが、今日までイラクが大量破壊兵器の保有を禁じた国連安保理決議687号に違反し国際秩序を乱してきたことは、仏露独を含めた世界の共通した認識である。シラク仏大統領も「米軍による圧力がなかったら、フセインはより大きな破壊兵器を保持するだろう」と演説で述べている。
 もちろんアメリカが圧倒的な経済と軍事力を振りかざして、自国の判断のみでいつでもどこでも攻撃を行う、一方的な権利を有しているわけではない。ただ現実的な選択として、9.11テロの背景にいるイスラム勢力の親玉フセインが、世界の石油の半分以上の埋蔵量を有するというイラクに、核武装して居座ったりしたら、アメリカの国際戦略はおろか、世界の国々の政治も経済も将来像も、著しく影響を受けることになるだろう。アメリカにとって、その事態を容認することは決してできないことなのである。それが、引き金を引かなくてはならない理由である。
 イラクに石油利権と大きな投資がある露・仏が、アメリカを牽制する動きに出ていることも当然だろう。西側世界の連帯に大きなひずみを見せたことは否めないが、お互いに修復できない亀裂であるという認識はない。むしろアメリカ軍の単独攻撃の方が、効率のよい結果を出すことも事実である。
 戦争することの是非は、ここでは問わない。問うことの意味が見えない。それこそが、このイラク攻撃が投げかけた意義なのではないか。すなわち、国際政治の舞台上では、現実こそが全てであって、倫理とか道義とかは後から付いてくるものだということである。

 もうひとつ、国連はその役割を終えたのではないかとも思う。第2次世界大戦の硝煙の中から生まれた国連は、その運営資金の42%を日米に依存し、総会では全ての国に一票の議決権を持たせながら、その一方に安保理の常任理事国5カ国に拒否権を認めている。しかもイラク・北朝鮮やアフリカの一部の国々の独裁体制をチェックできず、中国のチベットやウイグル地区、ロシアのアフガンやチェチェン介入など、人権が抑圧され、人々が惨殺されている現実に、何らの機能もしないのである。
 それでも無いよりはまし…という理由が国連の存在理由ならば、その有り様を問い直すべきであろう。世界の警察をアメリカの手から移管する裏づけを持つべきだろうし、世界の倫理を主導する信頼ある体制を構築し直すべきだろう。今の国連は、大国の権謀術策の上で踊る、綱引きのショーでしかない。綱引きこそが国際政治のバランス機能だというのなら、引き取った方(議決ではない)の武力攻撃も容認するということになる。そんな国連に、何を期待することができるのだろうか。



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