イスラエル対パレスチナの果てしない戦闘も、このむなしさの延長上にあるのではないか。論理も、信頼も、全ての努力が、一発の爆発の前に吹っ飛んでしまう。
人間は、誰もがその心の奥底に、己の邪魔になる他の存在を許さない…目の前のものを抹殺して排除しようとする、本能的な営みを有している。正義のために、国のために、家族のために…、そして、自分のために!
人は、究極の問題解決の方法として、暴力という手段しか持ち合えないのではないか。その性(さが)を包み隠すために、社会のルールを決めて法をつくり、教育を普遍のものとして神を崇めてきた。しかし、欧米列強の帝国主義支配までさかのぼることをせずとも、今日においてさえ、アフガンやイラクでの戦争、ロシアのチェチェン制圧、中国のチベット・新疆ウイグル区への弾圧など、理由はさまざまに説明されるとしても、問題解決に対する力の行使が現実なのである。
有史以前、人類は高い文明を築いていたけれど、社会の問題をも暴力によってしか解決できない人類は、世界が滅亡する争いを繰り広げ、ついには自らを滅ぼしてしまったのではないか…といえば、グラハム・ハンコック「神々の指紋」の世界だが、ナスカの地上絵・ピラミッド群とスフィンクス・ストーン・ヘンジ・カッパドキアの地下都市・イースター島のモアイなどなど、現代文明では説明できないミステリアスなものは多い。そのロマンの追求は他稿に譲るとして、今日のわれわれも、いつの日にかこの自らの暴力ゆえに滅んでしまうのではないか。
武力、恫喝、術策をもって、社会の平和や安定を維持しようとする営みの、なんと空しくやりきれないことか。それでも、その努力を続けなければならないのも、人類が背負った性(さが)というものなのだろう。
今日も、イラクではアメリカ兵が死亡し、どこかの街角では小遣い銭欲しさの少年による引ったくりが繰り返されている。
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