【73】 中国、初の有人宇宙船 打ち上げ  −日本の科学技術は?−  (03.10.15)


 中国が、独自の技術で開発した初の有人宇宙飛行船「神舟5号」を、今日午前9時(日本時間午前10時)に、酒泉衛星発射センターから無事打ち上げに成功した…と、米大リーグ野球中継の途中で、NHK BS放送が伝えた。中国人初の有人飛行を実現した宇宙飛行士は、空軍パイロット楊利偉氏。「気分は良好」と第一声を伝えたという。
 これで中国は、世界で第3番目の有人宇宙飛行を達成した国になった。中国の快挙を祝うとともに、日本の科学技術の停滞を嘆く気持ちがどこかにあって、複雑な思いであった。
 意気消沈気味とはいうものの世界第2位の経済的規模を背景に、ハイテク技術は世界に誇るレベルを持つことなどを考えると、米露に続いて3番目に宇宙飛行士を送り出すのは日本であろうとの期待を、近年まで抱いていたのも事実である。それが、衛星を打ち上げるA2ロケットの発射に相次いで失敗し、先日に予定されていた打ち上げも1ヶ月の延期になっている。
 中国の成功を聞いて、彼我の間に厳然とした科学技術力の差があることを知り、愕然としているというのが正直なところだ。しかも、日本の場合、衛星打ち上げですら200億円超もかかり、独仏などヨーロッパ諸国のものも含めて外国のものはその半額程度で成功している事実を見ると、日本の科学技術はどうなっているのかと、暗澹たる思いに駆られる。
 ここにも、子どもたちの学力低下を招いた文部科学行政と、同根の問題が横たわっている。
 ひとつは、高度経済成長を基盤としたより高い生産性を求める努力が、子どもたちや社会の学習意欲を高め、日本の学校教育は世界に誇る学力を修得させてきたのであるが、1987年の竹下内閣(中島源太郎文相)のころから、「過当競争・受験戦争」などの批判の前に、制度としての欠陥を是正することなく、安易に学習内容を軽減することによって問題解決を図ろうとし、その結果、生徒の学力を低下させてしまったことである。
 この処置は、あわせて教師の指導力の低下を招くとともに、改革が目指した「過当競争・受験戦争」の解消や、さらに「非行防止・学校崩壊」の歯止めとしての役割を全く果たしていないことも、大いに反省しなければならない事実であろう。
 もうひとつは、1992年、宮澤喜一内閣(鳩山邦夫文相)当時、小学校1・2年生のカリキュラムから「理科・社会科」の授業をなくし、自然科学・人文科学の芽を育てることを放棄してしまったことである。
 かわりに「生活科」と名づけて、遊びの中に科学する心を育てようというキャッチフレーズばかりが先行する、幼稚園の延長のような授業が行われているが、結果は、理科が好きな生徒の割合が先進国中最低という数字に表れている。学校現場では、1・2年生の担任を疎外することになってしまうことから、理科・社会科の教育研究ができなくなっていて、理科・社会科を、生徒に期待感を持たせて指導できる教師も、激減してしまった。
 日本の科学技術力を停滞…いや減退させた、文部科学省の責任は免れまい(科学技術力だけでなく、学力全体と、日本の常識力・倫理観なども、今の教育は崩壊させている)。第一次小泉内閣(遠山敦子文相)は、総合学習重視の新カリキュラムを実施し、子どもたちの学力低下に拍車をかけている。教育全体の責任は、大きいといわなくてはならない。
 日本はアジアの求心力の核として、その責任を自覚し、大きな役割を果たすべき存在であった。近隣のアジアの諸国は、日本に大きな期待を持っていたのである。今の中国は近隣諸国と国家体制が違うし、かの中華思想はアジア諸国の受け入れるところではない。しかし、経済面で大きな力をつけてきている中国が、科学技術力でも日本を完全に凌駕したとすれば、アジアのリーダーとしての役割を託すしかなくなるのではないだろうか。
 今のままの教育体制では、小学校で99×99までの掛け算を暗誦させ、コンピュータ開発に目覚しい成果を挙げているインドや、基本文型の徹底的な暗誦で小学校の1・2年生が日常英語を話すというインドネシアにも、早晩追い越されてしまうことだろう。
 現状の教育は、当事者自身を含めて、結果責任を負う覚悟が希薄である。社会全体の責任体制があいまいな、護送船団方式の日本には、機関や組織の一員としての個人には責任はないといった驚くべき倫理が存在するが、団体には団体としての、個には個としての責任があることは自明の理であろう。文部科学省はその責任を認めて、早急に教育内容を見直し、結果を出せる実践を行うことが急務である。誤りにこだわる姿は醜い。過ちを改むるに憚ることなかれである。



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