【74】 第43回衆議院議員総選挙 公示               (03.11.01)
  −日本改革の推進力にするために−


 第43回衆議院議員総選挙が公示され、11月9日まで12日間の選挙戦が展開されている。今回の選挙の争点は、マニュフエストを掲げての「小泉改革の継続・推進」か「菅・小沢の連携による政権交代」かが争点とされている。
 小泉改革が実のところ手詰まりであることを考えると、民社党に政権を移して従来の膿を搾り出させるのが、今回の選挙の持つ意味なのかもしれない。こう言うと無責任のようであるが、今回の選挙のマニフェストを読んでみても、自民党(小泉首相)と民主党との主張に大きな差は認められなくなっている。ということは、政権を交代させても施策面で根幹にかかわる違いはないということである。
 自民党に(小泉首相)とつけたのは、これが自民党のマニュフェストだというものがない…言い換えれば自民党のマニュフェストは複数あるということだ。 自民党公約2003  自民党12の約束  自民党重点施策<2004> 等がそれで、今回の選挙に掲げるものは「小泉宣言 -自民党公約2003-」としている。選挙後は、あれは小泉の個人的な約束で、ホントはこちらだと別のもの出してくるつもりだろうか。「自民党マニュフェスト」と表題して一本化できないところが、さまざまの利権やしがらみが交錯する自民党の体質であって、この選挙に際して「郵政民営化は小泉が勝手に言っていること。そんなことは絶対にさせません」と堂々と演説している自民党公認候補も居る。
 国全体としての規模で見れば、遅々としてではあるけれども小泉改革は確かに進んでいる。もう少しこの改革を見守ることも意味のあることだろうと思うし、多くの有権者は緩やかな変革を願うのが常であるから、今回の選挙結果は政権交代には至らずに『民主党、肉薄』だろうと思う。ただ、野党と国民を舐めきっている自民党の襟を正させる材料が必要である。あいまいなマニュフェストで選挙に臨もうという姿勢に、自民党議員のおごりが見える。
 だから、自民党のマニュフェストに掲げる事項は具体的表示が乏しい。自民党公約2003では、文末を『検討する、見直す、進める、委員会を開く』で結んでいて、何をいつまでどのくらい…どうやって改革するのかを明記していない。道路公団を2004年、郵政公社を2007年に民営化するとしているが、173の特殊法人の処置には言及していない。「天下りはできるだけ制限し…」では、本当にやる気があるのかと疑われる。多くの問題は、検討する、委員会を開設する…までが、自民党の公約なのだ、
 これに対して、民主党のマニュフェストは細かいところまで記されている。例えば、防衛の項目で、自民党が『防衛力の整備・強化を図り、「防衛省」を実現し、国民の安全確保に万全な体制で臨む』とするのに対し、民主党は『[1]陸上自衛隊の削減、[2]テロなどに対処する特殊部隊導入強化、[3]予備自衛官の拡充、[4]機甲師団の廃止、戦車、火砲の20%縮減、[5]陸海空3自衛隊の統合運用強化、[6]軍事技術のハイテク化・IT化、[7]ミサイル防衛力の向上―などを5年以内に実現する』と挙げている。
 小沢一郎は、1993年に出版した著書「日本改造計画」で、すでに政党による政策の選挙(マニフェスト選挙)や全国を300の「市」に(市町村合併)と提言している。「世界貿易機構」の構想のもと、日本の再生を脱官僚主導の政治・新教師聖職論などで訴え、海部内閣の幹事長として「湾岸戦争に自衛隊の派遣」を主張した、彼の政治にも期待したいと思う。今の時代、頑強な抵抗を打破し、改革を成し遂げていく『豪腕』が必要である。安部晋三では、比較にもならない。


 三重県1区では、これまで自民党の川崎二郎に対して、自由党から中井 恰が出馬して、選挙戦を展開してきた。二人とも二世議員であることも不満の材料だが、自分の言葉で政治を語らないことにも物足らなさを感じていた。独自の日本と三重県のビジョンを持たない点である。
 以前は中井が自由党の議員で、当選しても国政に直接関与しない立場にあったことも、選挙をしらけさせていた原因であるが、今回は民主党からの立候補だから、政権交代の役割を担う候補である。
 双方とも、比例に重複立候補している点では、覚悟にも迫力にも欠ける。小選挙区で落選した候補が比例で当選してくるというのは、全く解せない選挙制度であるが、この批判を受けた先般の法改正では「小選挙区で一定の得票数を得られなかった候補者の、比例区での当選を禁止する」という条文になっている。「一定の得票数を得られなかった」とは法定得票数のことで、有効投票数の6分の1だから、全くの泡沫候補でない限り救済されないことはない。法案の骨抜きの典型を見ることができる。
 小選挙区で落ちて比例で復活してきた議員を『ゾンビ議員』という。そういえば、川崎二郎が郵政大臣になったのは、ゾンビの時期ではなかったか。今回も川崎・中井の両候補は小選挙区で落ちても比例で拾われるのだから、有権者からしてみれば選挙戦を戦う意味がない。本人達は、ゾンビと呼ばれないための戦いではあろうけれども。


 先日、娘が出かけるので、劇団四季の先行予約申し込みをしておいてくれと頼まれ、半日、コンピュータの申し込み画面を開け続けたのだが、「只今、混雑しています。しばらくたってから…」とのメッセージばかりが続いた。夜、帰宅した娘がアクセスすると、6ヶ月に及ぶ期間中の真ん中前30席×20列(だから、30×20×6ヶ月×30日=108000席)は、1日で全て売り切れ満席であった。
 「なんと平和な日本、政権交代はないね」と話したものだが、こう考えてくると、「政権交代」がこの選挙の持つ意味であることが見えてくる。泥沼の利権の中でがんじがらめになっている自民党政治に、政治・省庁・経済・産業の構造改革を断行しなければならない日本再生は無理ということなのだろう。
 菅・小沢が政治をはじめとするこの国の改革をなしえることができるのか、どこまで通用するのかは未知数だけれども、国民を舐めている自民党に代えて、新生日本への一歩を託する構えを見せ、自民党の喉もとに突きつける必要はありそうである。そうすることが日本の改革を進める推進力になることは間違いない。



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