【118】安倍内閣スタート ―人事・所信表明・代表質問、ちょっとあいまい― 2006.10.02


 安倍内閣がスタートした。人事、所信表明演説、そして初めての代表質問を経た今、新政権の様子を見てみよう。
 人事は一口に言うと、よく言って、志を同じくするものが力を合わせる「アメリカ型興行一座内閣」、悪くはマスコミ各誌が言うように、党内融和と気心の知れたものを集めた「仲良し内閣」である。


 さて、その人事だが、まず「松岡利勝氏が官邸へ到着」という映像を見て仰天した。松岡は熊本県選出の衆議院議員、旧江藤・亀井派だから現在は伊吹派。当選6回議員だから、そろそろ大臣の声がかかっても不思議ではないのだが、この男、鈴木宗男とつるんで、当時の霞ヶ関の役人たちを大声で怒鳴りまくり、恫喝して回っていたと文芸春秋誌上に報じられた、札付きの男なのである。
 安倍晋三新総理とその周辺が、彼のスキャンダラスな一面を知らなかったとは考えられない。その入閣とは、伊吹派からの入閣要請を飲まざるを得なかったということなのだろう。
 松岡農水相の任命を受けたあとの初の記者会見で、「日本の農政の最大の課題は輸出…、日本の農作物を輸出するのです」と言い出したのには、二度ビックリ…。笑ったのは、その「松岡農水相誕生」を評して、松岡利勝と同派閥に居て気脈を通じる亀井静香が、「彼は農政の神様ですから」と言っていたこと。利権の神様が、同じ穴のムジナを誉めそやしたというところか。
 次に、参院枠も青木参院議員会長の言いなりであったこと。内閣発足前は「参院大臣枠にとらわれない」と明言していたのに、結果は青木氏の発言の通りの「参院枠2ポスト」となった。しかも人選まで要求どおり、若林正俊(衆院3回参院2回)を環境相に、溝手顕正(参院3回)を国家公安委員長に就けている。新鮮味もなく、適材適所の説明もつかない、順番待ち入閣のそしりは免れない。
 また、金融担当相の山本有二、文部科学相の伊吹文明などは、安倍内閣の重要政策を推進する部門だけに注目の集まるところであるが、とてもその道に通じた人選とは言えない。山本有二は金融分野はズブの素人、伊吹文明はこれまで教育とはほとんど縁のない分野を歩いてきていて、入閣後のテレビのインタビューや座談会でも説得力のない抽象的な発言を繰り返すばかりであった。安倍晋三を担いだ再チャレンジ議連を結成して会長に就任した山本、伊吹派を安倍支持でまとめた伊吹に対する、論功行賞であることは明らかだろう。
 そして、冒頭の松岡利勝だけでなく、スキャンダルを抱えた人物の入閣が多かったことも、安倍晋三の周りに集まる政治家には、きな臭い連中が多いということかと心配してしまう。
 女性問題で森内閣の官房長官を失した中川秀直新幹事長はまだ可愛いとしても、伊吹文明は恐喝事件で摘発された商工ローン『日栄』から政治献金を受けていて問題になったし、厚労相になった柳沢伯夫は総会屋と同席しているところを写真誌に載せられ、新経産相の甘利明は地元の政治団体の幹部が政治資金規正法違反で逮捕されているなど、いずれも刑事事件にかかわる問題を抱えている。清新なイメージが支持率の大きな要素である安倍政権としては、これらの事実を政治的思惑を持って暴露されていったら、大きなダメージになるのではないかと危惧するものである。


 この「人事」に対する各方面からの論評を、安倍首相は「政治は結果責任、この内閣の真価は結果で証明します」と切って捨てた。
 それでは、政策の中から看板の教育改革を取り上げて、全国の小中学生の五教科平均点を、10点ずつ上げて証明してほしい。悪意で言っている訳ではない。結果というものを、明確な形で示してこそ責任を果たしたということである。今までの日本社会のように、説明しなければわからない責任の果たし方ではなくて、安倍首相には「点数」という明確な事実で結果責任を明示してほしいと思うのである。
 私は、先日、三重県教育委員会へ提出した文書に、「世は学習塾全盛で、学力をつけたければ塾へ行けという時代です。しかし、費用も、人員も、時間も…、学習塾より潤沢に与えられている公教育が、学力を習得させるという教育の基本の部分ですら、学習塾の後塵を拝しているのはなぜでしょうか」と書いた。ここにこそ、今の日本の公教育が抱える最大の問題があると思うからだ。
 平成15年度の国の歳出の中に「文教及び科学関係費」が占める割合は6兆4712億円で7.9%を占めている。これは、国債費16兆7,981億円(20.5%)、地方交付税交付金等17兆3,988億円(21.3%)、社会保障関係費 18兆9,907億円(23.2%)、公共事業関係費 8兆971億円(9.9%)に続く、第5位の巨額な支出額であり、 防衛関係費 4兆9,530億円(6.1%)を上回る大きさである。しかも、これに地方の予算が上積みされるから、教育関係の公共支出は実に莫大なものとなる。これで、「学力をつけたければ塾へ行け」と言われては、たまったものではない。
 学習塾は、当然、自前だ。大手予備校などは全国展開で、講師数が数百人というところがあるが、小さい塾では、講師が一人で小学生から中学生までの英語と数学…、さらには国語・理科・社会をも教えている。これがまた、結構レベルが高い授業を実施しているのだ。少し大きい塾になると、英語と数学の担当が各2人、国語・理科・社会が英・数との掛け持ちといったところで5〜6人でやっている。このあたりが標準であろう。
 教材も、多くが自前の手作りである。教室は15坪ほどの貸しビルなどに、会議用の机を並べただけの設備だが、多くの教室は活気と規律と意欲に溢れている。ほとんど金もかけていないこんな教室が、学校教育をしのぐ成果を見事に挙げているのである。
 人員について考えてみよう。小中学校の教職員の数は、三重県を例にして見てみると6,077人、生徒数は159789人だから、単純に教師一人当たりの生徒数は14.5人となる(平成18年度三重県教育委員会学校名簿)。参考までに東京都の場合(平成17年度)は、教員数42,668人、生徒数765,608人、教師一人当たりの生徒数は17.9人である(東京都教育委員会 公立学校統計調査報告書)。
 教職員は、教育学部で教員免許を取得したもののうち、都道府県が行なう教員採用試験に合格したものが採用される。しかも、公務員特例法で一般職員よりも高給を保証し、優秀な人材を確保する方策が図られている。
 学習塾の講師といえば、教育学部卒といった資格などは採用の条件でも何でもない。多くは他の企業でリストラされたか挫折した転職組である。午後2時ごろからの出勤で、終業は10〜11時、日付が変わってからの退社も珍しくはない勤務をこなしている。
 講師の半数以上を、アルバイトでまかなっているところも珍しくはない。それでも、しっかりしたカリキュラム・研修・教材・管理を揃えていれば、それなりの成果を挙げている。ひるがえって言えば、学習指導なんて、この程度のことで十分なのである。
 授業時間は、小学校で1日平均5時間、週5日間で25時間ぐらいだろう。中学校ならば週30時間といったところか。
 ところが学習塾では、週に英語・数学を各2時間の計4時間というのが一般的だろう。国語・理科・社会科で各1時間として合計7時間。生徒と接している時間は、学校の3分の1にも満たない。


 このように、「費用も人員も時間も…、学習塾より潤沢に保証されている公教育が、学力を習得させるという教育の基本の部分ですら、学習塾の後塵を拝しているのはなぜか」…。それは、教育の制度に致命的な欠陥があるからだ。
 制度について、その欠陥のひとつひとつを考える機会は、長くなるので項を改めるが、ひとえに、結果がどうであってもその責任を問わないという行政(公務員)の意識を改めて、目標・目的を達成しなくては生き残れない民間の厳しさをもちながら、職務に当たる覚悟が必要である。
 教育の結果責任とは何か。乱暴なのを承知で言えば、「生徒の多くがその授業を受けたいといい、生徒の平均点を10点上げる」ことだろう。結果を明確に示さなくては、責任を果たす政治(教育)とはいえまい。
伊吹文部科学相、山谷えり子教育担当補佐官に、期待しても良いのだろうか。(私としては、山谷補佐官にかなり期待しているのだが…。)


 人事のあとは、アジア外交だ。先日の「116 安倍晋総裁誕生」の項に、私は「小泉首相に袖にされ続けてきた中国・韓国は、新総裁誕生の機会を関係改善への契機にしたいと願って、様々なシグナルを発信して来ている。両国の面子も立てながら、靖国参拝、領土・資源問題などについて取り組まねばならないわけであるが、アジア外交の成否はアジア諸国の理解と支持にかかっている。国民と国際世論を常に味方につける配慮を怠らず、多方面にわたる日本外交を続けて欲しい。」と書いた。
 早速、「中国を8日に、韓国を9日に訪問して首脳会談」との報が流れている。ゆめゆめ、「中韓に配慮して、靖国参拝はしない」などとは言わないことだ。人間の生き方と同じように、政治には軸が必要である。「国を守るために命を捧げた英霊に参拝すること」は、国民として当然のことである。経済界のトップにあるほどのものが「国益を考えて参拝中止」などと発言していたが、人間としての理念がない。「靖国参拝は、日本人としては譲れない」とするのが日本が貫かねばならない軸である。そのことをもって、首脳会談をしないというのならば、それは相手の軸との交点が見出せないわけで、いた仕方のないことだろう。中国へも要求するといい、「チベット、新彊ウイグル、内モンゴルを解放しなければ、首脳会談をしない」と…。
 政治というものは、無から有を生じ、出来ないことを出来るようにする方法を見つけ出すことである。中国とインドは政治的にはギグシャクした仲であるが、中国からインドへの企業の進出や投資は、近年、目覚しいものがある(日本が対インド投資が遅れているのが気になるが)。政治的に近隣諸国と付き合う方法のお手本が、ここにあるではないか。


 小泉構造改革を受けて、日本経済の表層部分は息を吹き返したかに見える。しかし、陽が当たっているのは経済諮問会議に顔を並べる、日本経済の舵取りを自認する人々の周辺だけで、中小零細や地方経済の沈殿は、安倍新政権に重く暗い影を落としている。
 うたかたの夢を追うがごとく、株価は17000円をつけた。アメリカの住宅バルブに後押しされた株高に追従する価格なのだろうが、現在の日本経済の実力からすれば13000〜14000円が分相応というところだろう。日本国内も、全体に行き届かない景気の回復感に、行き場のない金が踊っている。アメリカの住宅バブルが弾け、石油価格が高騰してくれば、世界経済の失速は避けられない。
 長年の間、日本経済を支えてきた中小零細のものづくり産業は、まだまだ青色吐息である。小泉改革の影の部分といわれる、これら弱者の底上げや地方の復権は、安倍新政権の前途に重い課題を課することになる。


 政治も、経済も、そして、社会的問題にも、たくさんの宿題を抱えての安倍内閣の船出である。日本の隅々に残る「戦後レジウム」からの脱却を謳う新内閣が、諸課題をひとつひとつ着実に克服し、この国を世界の中の日本へと導くことを期待している。

                                   (文中敬称略)

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