【120】奈良市職員の勤務問題が語る、2つの問題点           2006.10.29
      ― 監督者の責任問題 と 同和問題―


 病気を理由に5年間で8日しか出勤しなかった奈良市環境清美部収集課の42歳の男性職員について、藤原昭市長は27日午後会見し、この職員を懲戒免職に処するとともに、自らとこの5年間の上司ら26人も管理責任を問い、処分したと発表した。市長は、減給10分の2(6か月)の処分としている。


 この問題は、@5年間に8日しか出勤しないのに給与の90%が支払われていたという、公務員の勤務と管理についての問題、A職員が部落解放同盟奈良県連合会の役員だったことから、職員に対する対応が甘くなったという、同和行政についての問題という、2面を考えてみたい。


 まず、「5年間に8日しか出勤しないのに給与の90%が支払われていた」という実態には、冗談じゃない…という怒りと、何でそんなことが可能なんだ…という驚き、そして、さすがはお役所…という諦めを感じた。
 世の中の仕組みの中で、ビルゲイツからアパートの大家さんまで、収入を得るシステムを完成したものが高収入を得ることは理解できる。しかし、公務員として勤務するものが、ほとんど労働実績もないのに、フルタイム働いている他の職員と同じ報酬を得ていたというのでは世の中の理解は得られない。私企業の給与としての報酬ならば儲けの配分として構わないのだが、公務員の給与は言うまでもなく税金であって、正当と思えない利得が供与されていては、糾弾・追求され、再発防止に向けての取り組みを要求されて当然である。
 当事者の奈良市は当然だが、他の公官庁・地方自治体でもこれを他山の石として、綱紀の粛正と体制の見直しに努めてほしい。勤務・給与などのあり方については、人選をも第3者に委ねての検討委員会をつくり、OBや議員年金をも含めて、望ましいあり方を探ることだ。
 個々の検討事項については多岐に渡り過ぎるのでここでは触れないことにするが、監督者の責任は思い。「5年間に8日しか出勤せず、しかも、市役所内を闊歩していた」という行動を、知らなかったとは言うまい。5年間休んでいる職員はどうしているのか、当然ながら掌握する必要がある。
 市当局の対応が、「法に照らして、やむをえない処理」「法規的には、何ら問題はない」と答えていたのも、救いようのない感覚である。問題行動は認識していたわけだから、それを放置した責任、是正しようとしてこなかった責任は厳しく問われなければならない。それを「不正が行なわれるのは法整備が十分でないから。法に違反しないことは、容認される」と考えているのならば、彼らに改革の期待を抱いても無駄であろう。だから、第3者機関の設置が必要なのである。
 管理者の意識と責任を厳しく問うていかなくては、公務員の不正は糺せない。不祥事や怠慢は、当事者と同等の責任が、その管理者にあることを明確にしなければならない。


 「職員が部落解放同盟奈良県連合会の役員だったことから、職員に対する対応が甘くなった」という説明は、同和問題の弊害と根深さを物語っている。
 私は学習塾を開いていた頃、入学する生徒を篩(ふる)いにかけていたわけでもないので、いわゆる未解放部落と呼ばれる地区の子どもたちもたくさん在籍していた。子どもたちは意識することなく明るく交わり、私はそのお父さんお母さんと親しくお付き合いもしてきた。子どもたちに接するときも未解放部落に住む子どもであることを意識したことはないし、宿題を忘れてきたりしたら深夜まで残し、教室の約束を守れないものは「気合棒」で頭を張り飛ばしていた。今も年賀状などの遣り取りをしている子ども(今は40ぐらいになっている)も多く、その付き合いに変化はない。
 部落問題とは、本人自身の問題である。就職・結婚などに厳然とした差別があることは現実だが、片親だとか、帰化人だとか、在日だとかいった人たちと同じで、結局は自分自身の問題なのである。
 我が市の教育委員会にも「同和対策室」があって、幾多の精鋭が投入され、為す術もなく玉砕してきた。同和対策室には学校現場で活躍する教師が選りすぐられて派遣され、教科研究や学校運営面の損失は甚大なものがあることも指摘しておきたい。私は「同和問題は学校の先生がするべき仕事ではないし、手に負える仕事ではない」と繰り返し言ったのだけれど、行政の鬼っ子に立ち向かう生贄として、彼らは「人権」の美名のもと、教育エリートの誇りを賭けて同和の門をくぐっていった。
 結果、挫折を味わうか、胃潰瘍になって腹を切るか、… いずれにせよ心と体に手痛い傷を受けて虚脱して学校へと戻り、「長いものには巻かれろ」の生き方を身につけて、以後の教員生活を過ごすのである。
 私自身も、日本史の彼方に穢れ思想があり、封建時代の人民支配に被差別階層をつくってきた経緯など、差別をなくするための勉強もしてきたつもりである。学習のおかげか、持ち前の正義感のせいか、私自身に差別に対する意識は全くなくて、友人が娘の結婚相手の身元調査をするというので、「外国人を連れてきてもおかしくない時代に、部落出身者じゃないかなんて調査は、錯誤もはなはだしい。差別意識を持つ自分を恥じろ」と言って、「お前も部落か」と言われたりした。私はそれを否定する必要もないので、何のコメントもしなかったけれど、世の中に差別意識のあることを見せつけられた一幕であった。
 調べていくうちに、部落問題は今や利権闘争であることがわかった。もともと解放運動は、人々の意識の中の差別がいかに根拠のないものであって、差別することは自分の人格を貶めることを自覚させていくのが目的であったはずである。部落問題は、人々の心に働きかけることが、運動の方法であったはずだ。
 それが、解放同盟「朝田派」の暗躍などがクローズアップされた時代、解放運動とは集団による恐喝的な団体交渉、暴力的な利権闘争であった。1922年、全国水平社が結成されてから80余年、今、全解連、神解連の結成などを経て、運動の形は自省的に変化し、不公正乱脈な同和行政の是正、窓口の一本化の打破、そして、同和行政の目的・目標の理論的解明、二十一世紀の展望の提示などが図られようとしている。
 しかしなお、大阪市の「芦原病院」への不正補助金問題、「飛鳥会」の市の委託事業をめぐる横領事件、大阪・八尾市の本部派支部役員による「行政への恐喝」、京都市では職員の不祥事・逮捕者の続発、そして今回の奈良市職員の「不正勤務」などの問題を見ると、解放運動はやはり暴力的・恐喝的な不正体質を滲ませていて、市民の理解を得てはいないと思わざるを得ない。
 現代において、社会の制度の中で、未解放部落居住者を差別するものは、もうなくなっている。人々の心の中の残像は、これらの解放団体が繰り広げる利権体質に対する嫌悪である。同和の渦中にある人が、同和を盾にして恩恵にあずかろうという体質を払拭しない限り、世の中の人々の心の中から同和問題がなくなることはないだろう。すなわち、部落問題は、彼ら自身の問題なのである。
 その問題は幻想だといっているのではない。存在することは事実であるけれど、もはや社会制度としての差別はない。人々の心に残る差別意識をなくするためには、差別は恥ずべき行為であることを啓蒙していくとともに、当事者たちが社会的に自立することが不可欠なのである。かつての日本には朝鮮人差別の思想が確かにあったけれど、もう近代国家として自立した韓国を卑下する思想はない。同じように、未解放といわれる人々の奮起・自立なくして、部落問題の解決はない。


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