【143】ミャンマーで日本人カメラマン射殺 日本政府の対応は?  2009.09.29


 民主化運動の騒乱が続くミャンマーで、取材中の日本人カメラマンが ミャンマー国軍兵士によって殺害された。


 今日のサンケイウエブは「ミャンマー軍事政権治安部隊による反政府デモ鎮圧を取材していた映像ジャーナリスト、長井健司さん(50)が死亡した件で、長井さんが治安部隊員から至近距離で銃撃されていたことが28日、明らかになった。…略… ヤンゴン中心部でトラックから続々と降り、銃を手に反政府デモ鎮圧に向かう治安部隊員。一斉に逃げる群衆の後方で短パン姿の男性が、部隊員に1〜2メートルの距離から銃撃された。前のめりに倒れ込む男性。あおむけになって数秒、右手のビデオカメラを群衆らに向けた後、こときれた。…略… ミャンマー外務省は「流れ弾に当たった」と発表していた。」と報じている。


 映像を見ると、明らかにミャンマーの兵士が背後の至近距離から長井さんを狙い撃っている。たとえ日本人であることを知らなかったとしても、ミャンマー国軍兵士が、取材活動中の日本人を殺害したのだから、日本政府は断固たる姿勢を示して当然だろう。

 (日本人であることを知らなかったとしても…と書いたが、ミャンマー軍事政権は反政府デモが始まった1週間ほど前から私服兵士をデモ隊に紛れ込ませ、ビデオ撮影などして首謀者・扇動者を特定して、逮捕・拘束しているのだから、日本人ジャーナリストと知りながら国際報道陣への警告として、見せしめに殺害したのかもしれないと考えるのは、うがちすぎた見方だろうか。「日本は抗議や対抗措置をしない国だから」と見透かされている…exclamation & question


 ここ10年ほど、ミャンマーへの経済援助は、世界の国のうちで日本が群を抜いて第1位である。1962年の軍事クーデター以来、45年にわたって人民を抑圧してきた軍事政権を、日本は一貫して援助し続けてきているのである。
 ミャンマーの歴史を簡単に見てみると、14世紀にビルマ人によって建国されたコンバウン朝ビルマが、1826-1886年にかけての英緬戦争に敗れて、イギリス支配下にあったインドの一州に併合されたが、大東亜戦争時、1942年に進駐した日本軍とともにアウンサン将軍(アウンサンスーチー女史の父親、「建国の父」と呼ばれるが1947年に暗殺)が義勇軍を率いて独立戦争を戦い、1943年、バーモウを元首とするビルマ王国を建国した。
 日本の敗戦後、再びイギリスの支配下に置かれたが、1948年、ビルマ連邦として独立。中国軍の侵略を受けるなどして不安定な正常が続いたが、1962年、ネ・ウイン将軍が軍事クーデターを起こして政権を確立した。1990年5月に実施された総選挙で、アウンサンスーチー女史らの国民民主連盟ら民族政党が、軍事政権側は政権の委譲を拒否。以後、数度にわたる民主化要求運動が繰り返されてきたが、軍事政権の強圧的な取り締まりによってその都度数千人の血が流されてきた。スーチー女史の軟禁は、1989年以来続けられている。


 民衆が求める民主化への運動のさなかに、取材活動中の日本人が、ミャンマー国軍兵士によって殺害されたこの出来事に際して、日本政府は、ミャンマー軍事政権が少なくとも納得のいく説明と態度を示さない限り…、さらには、ミャンマーの国民と国際社会が求める民政移管への道筋を開かない限り、まずは即座にこのODAや無償資金協力を中断すべきであろう。


 思い出されるのは、フォークランド紛争。1982年、内政に行き詰まったアルゼンチンのガルチェリ大統領(軍総司令官を兼務)軍事政権は民衆の不満をそらすために、当時イギリスが統治していたフォークランド諸島にアルゼンチン軍兵士を上陸させて占拠する。
 イギリスのマーガレット・サッチャー首相は、「たとえ一人であったとしても、助けを求める自国民が居れば、イギリスはこれを見捨てることはない」という有名な演説を行い、200隻の艦隊を派遣…。3ヵ月後、アルゼンチンは降伏して、フォークランドは今もイギリスの統治下にある。アルゼンチンのガルチェリ大統領は失脚して、アルゼンチンでは民政移管が実現した。


 国民の名誉と生命・財産を守らずして、何の国家か。自国民がミャンマー国軍兵士によって不当に殺害されているのに、何のリアクションも起こすことができない政府に、存在意義はない。「事態をよく調べ、国際社会の動向を見極めて判断」と語る町村官房長官の言葉は、まるで第三者的で「自国民が国軍兵士によって殺害された」という当事者意識が感じられない。
 福田新政権のスタートに課せられた、大きな試金石である。「人の命は地球より重い」…とは、1977年日本赤軍によるダッカでの日航機ハイジャック事件で、犯行グループが高額の身代金と日本で服役中の過激派や爆弾魔などを解放するよう 要求した時に、福田康夫現首相の父で当時の福田赳夫首相が言った言葉として記憶されている方も多いだろうが、情緒的な言葉でテロリストたちを釈放した判断は、国際的な批判を浴びた。福田新首相、まさかオヤジの轍を踏むことはあるまい。



  「日本は、今」 トップページへ