【145】 日本に政治はあるのか  無策どころか、逆行…       2007.12.18


 政治の使命とは何か、国民への奉仕である。政治家の要諦とは何か、リーダーシップであろう。


 今日、「ガソリン価格、12月に155円」と報じられた。平成17年11月…130円、18年11月…137円、19年10月…144円(㈱パワーグリーン社調べ)と来て、12月には155円になるというのである。国民生活の血液とも言うべきガソリン価格の高騰に対し、政府はまるで他人事である。
 金融投機で動くWTI価格(West Texas Intermediate 価格)が高騰を引っ張り、需給で決まる中東価格までが異常な高値をつけているという構図だ。投機マネーが原油価格を押し上げていた間にも、2005年イギリス・グレンイーグルズ、2006年ロシア・サンクトペテルブルク、2007年ドイツ・ハイリンゲンダムとG8サミットは開催されているが、原油高騰に対する抑制策を議題に取り上げる動きはなく、石油大手に対する配慮は見せるものの、世界の人々のサイドに立っての対策は省みられることはなかった。G8が力を合わせれば先物取引の原油価格を引き下げ、投機筋の目論見を粉砕することぐらい、容易であっただろうに…。
 冒頭に示したように、日本国内においても、ガソリン価格の高騰に対する政府の対応は皆無である。対外貿易に影響する為替相場には即座に介入するのに、国民生活に重大な影響を及ぼすガソリン価格の抑制になんらの手も打たないというのは、無為無策のそしりを免れまい。


 … と、11月30日に記したのだが、過日、『福田政権に期待するものはない。しばらくは傍観を決め込む』と書いたので(【142】福田政権スタート)、そのまま放っておいたところ、先日、「ガソリン高騰に対応策。北海道の低所得者に灯油購入の補助」という報道を見て吹き出してしまった。
 これが日本の国の政治か、町村役場の対策と変わらないではないか。


 参議院の過半数を野党勢力に占められていることを理由にして、福田内閣の無能ぶりはどうしたことだろう。
 テロ特措法は、民主党が反対している以上、参議院で審議切れとして衆議院に差し戻し、そこで可決するしか方法はない。会期の再延長をして粛々と時間の経過を待てばよいだけのことだが、しかし、その間にも、テロ特措法の正当性や必要性を国民に訴え、よりその理解を得る広報努力をしなければならない。なのにその成立を支持するという世論は30数%で、ここ数ヶ月間動いていないのは、政府の説得が効果を上げていないということである。
 社保庁の抵抗を受けて、福田内閣の星(?)枡添厚労相が苦悩している。安倍前内閣以来、1年以内に5000万件の宙に浮いた年金を特定することを公約してきたのだが、PC上で名寄せするソフトは以前からあって、データを入力すれば不定の記録を特定することは瞬時に行える。データさえ揃っていれば1年なんてかかる代物ではなかったのだが、しかし、入力するデータがもともとボロボロであったことを年金官僚は知っていて、当時の社保庁青柳親房運営部長は「つかまりようのない記録を幾らいじっても意味はないと、私どもはもともと思っていた」と監視委員会の聴聞に対して述べている。当時の安倍首相から枡添現厚労相に至る「1年以内に全てを明らかにする」との宣言を、意味のないものとせせら笑っていたのである。


 政治が無能だと、官僚の腐敗が進む。清朝全盛期と言われる乾隆帝の治世でも、その晩年には賄賂政治が横行して、苗族の反乱や白蓮教徒の反乱などが起こり、鎖国や思想抑制・禁書などの弾圧が行われた。特に、側近として権勢をふるった和珅(ホチエン)は、失脚した際に没収された私財総額は8億両を越えていたいう。当時の清朝の歳入は7千万両ほどであったから、これは実に国家の歳入の10年分にあたる。ブルボン朝最盛期の王で「朕(我)は国家なり」(L'État, c'est moi)と宣言し、「太陽王」(Roi-Soleil)と呼ばれたフランスのルイ14世の私有財産は2千万両といわれるから、その40倍に相当する。政治がだらしないと、官僚という動物はいかに無法を働くかということの象徴であろう。


 今もわが国には、防衛省・厚労省をはじめ、官庁・官僚の不祥事が多発している。地に堕ちた大蔵省は財務省と金融省に解体され、日本に外交はないとまで言われている外務省、学力低下を招いて恥じない文科省、おびただしい倒産件数や地方経済の低迷を招きながらなおいざなぎ景気を抜いて日本経済は上昇しているなどとウソの観測を掲げている通産省や経企庁…など、日本には信頼に足る行政はなく、なかんずくそれを導く政治もない。
 官公庁のあり方を糺す「公務員改革」に対しても、渡辺担当大臣の独立法人の整理統合の呼びかけに対して各省庁はゼロ回答を繰り返し、政治家(各大臣)は省庁の権益を守る代弁者と成り下がっていて、改革への意識は地に堕ちている。再考を促す渡辺大臣の呼びかけに、町村官房長官は、「やりすぎだ」と苦言を呈する始末である。
 福田-町村ラインが主導する内閣の正体を露呈したということだろう。もはや、この内閣に、日本の再生を期待することはできない。(はじめから、期待していなかったって…。)
 

 では、日本再生への道筋はどうすればよいのだろう。改革への強い意志を持つ総理大臣を立てて、そのリーダーシップの元、責任体制を明確にして、具体的な政治課題を一つ一つ実行していくことである。
 政策立案実行部隊は、意欲のある政治家と関係官僚がチームを組んでこれに当たることとし、総理大臣が管轄する組織として権限を保障するとともに、結果責任も厳しく問うものとしなければならない。
 その意味で、小泉再登板もありうることだし、民主党の岡田・前原らが指導者としての力をつけてきて、政界を編成していくことに期待したいと思う。
 もう、今の「終わった者たち内閣・与党執行部」は、役割を終えている。いや、あと、自民党政権の幕引きとしての役目を残しているか。



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