【146】 2008年 停滞混沌・衰退への序章           2008.01.04


 明けまして おめでとうございます。


 今年を展望するキーワードは「停滞混沌 そして衰退へ」だ。なんとも物騒なことだが、今の日本は政治の…政治家の…貧困によって、現状維持は望むべくもあらず、このまま推移すれば、将来は日本崩壊を覚悟しなければならない実情である。内外の現状をしっかりと見つめ、早急にしっかりとした対策を講じなくてはならない。


 国内の状況を見てみよう。現状を打開する政治力を持たない福田政権は行き詰まっている。政府・与党という立場を利して、官僚を使い世論を味方にして政局を運営するべきであるのに、官僚の暴走を許し、世論の離反を招いている。
 例えば公務員改革の挫折に見られるように、政治は停滞どころか後退していて、とても国民の目線に立脚しているとは言い難い。各大臣は省庁の(すなわち官僚の)代弁者で、誰の目から見ても役割を終えている独立法人があるのに、権益を守ろうとする官僚だけに通用する論理でもって、整理統合・廃止を拒否し続けている。その旗振りをしているのが、内閣の調整役である町村官房長官だというのだから、この内閣に期待するのは無理というものだろう。
 『官僚の協力なくしては政治は成り立たないのだから、対立するのでなく、いかに彼らを使うかが政治家の腕の見せどころ』などという欺瞞に満ちた議論がある。官僚は、自らの不利益になっても国益を守るなどといったことは、省庁内の評価を得られないから行うはずはなく、これでは改革は未来永劫行えないことになる。
 官僚の不利益を制して国民の利益を守るのは、政治(家)の役割である。自分たちの利権を守るために政治を停滞させようとする官僚には、それを処罰する立法(法律の制定)をもって処断していくのが、国会(政治家)の責務であろう。
 前に、「政治がだらしないと官僚の不正がはびこる」ことを、清朝末期の宮廷にあった官僚たちの腐敗を例に示した。彼らは、大官から小間使いに至るまで、新王朝の宝物を私することに明け暮れていた。皇帝の側近であった和伸(わしん、ホチエン)が汚職で捕らえられたとき、私財は8億両に達していたといわれる。当時の清朝の歳入は約7千万両だったから、これは国家の歳入の11年分以上という巨額である。政治がその役割を正しく果たさないと、官僚はかくも大罪を働くものなのである。
 もはや機能不全を呈している福田内閣は、7月の洞爺湖サミットを終えた時点で解散総選挙に追い込まれることだろう。先の参院選で民主党に勝たせた民意は、今度は揺り戻すのが普通だが、今の福田政権や政府・与党の体たらくを見せられては、自公政権を選ぶ要素はもはやあるまい。
 この夏、民主党政権が誕生し、政権交代が実現する。自民党政権下での利権や癒着構造は修正される方向への動きを見せることだろうが、混沌たる状態がしばらく以上に続くことは否めない。日本迷走の夏である。


 経済の前途も暗い。トヨタは、2007年、全世界で950万台の生産を達成して、GMを抜き、世界一を達成した。しかし、日が当たっているのは、輸出や海外生産が好調な一部企業だけであり、中小企業のほとんどに見られるように、日本経済は青息吐息…、お先は真っ暗である。
 経団連は、「春闘で賃金値上げを容認する」と好景気感を煽るようにアドバルーンを揚げているが、これも大企業だけの話であって、中小企業は賃上げどころか、存続そのものが問われているのだ。
 地方の没落も深刻である。かつての日本は、国民のほとんどが中流意識という上昇志向を持ち、旺盛な経済力が支えた地方の商工業も元気であった。ところが、中小企業の低迷は地方の景気を衰退させ、購買力を低迷させて商業活動を縮小させてしまった。ここまで疲弊した地方の復活は、至難の業である。ひとつ確実なことは、自助努力しない地方は衰退するばかりだということだ。その意味で、地方政治を司るものの責任は重大だし、良い政治家を選ぶか無能な政治家を選ぶかの差は、夕張や大阪の例を見るまでもなく大きい。
 東証の大発会は、昨年末の終値比616円37銭安の14691円41銭。大発会の株価が下落するのは7年ぶり、下げ幅としては東証発足以来最大となった。僕は、株価が17000円と上昇を続けていた2006年10月,「日本経済の実力から考えれば、適正株価は13000〜14000円」と書いた【参照、最下段】。アメリカのサブプライムローンの危うさなども書いたように、当時から歴然たる懸念材料であった。この住宅バブルがはじければ、世界経済を支配するアメリカでの経済破綻だけに、全世界に与える影響は日本の失われた10年の比ではない。世界が抱える危うさに、こころするべきであろう。
 今日の株価が指し示すように、日本経済の2008年の展望は極めて厳しい。先世代が築いてきた日本経済の底力は強固で、今日明日に瓦解することはないが、このままでは上昇を望むことは出来ない。むしろ、英国病が進み、果てはアルゼンチン化する懸念も考慮せねばなるまい。
 財務省をはじめ、政府・自民党は、国家財政の危機的状況を招いた自らの失策を改めようともしないで、額賀財務大臣、津島自民税調会長、与謝野自民党財政改革研究会会長らは、「2050年には消費税25%に」などといたずらに国民の危機感を煽り、増税路線を突っ走ろうとしている。しかし、今の日本が、現在の行政サービスを維持していのために増税が必要だというのは、根拠のない話である【参照】。第一、国のムダ使いを改めない限り、増税したとしてもまた同じことが規模を大きくして繰り返されるだけだろう。
 太田弘子経企庁長官は、回復基調を堅持する今日の日本経済は、1965年から70年までの57カ月に
わたって景気が拡大した、いわゆる「いざなぎ景気」を越えたと発表しているが、真っ赤な嘘である。あの頃は国民所得も順調に増えて消費が活発化し、家庭にカラーテレビ、クーラー、自動車が急速に普及して、人々は生活の潤いを実感できたのである。それに対して、今日のこの閉塞感はどうだ。好景気を実感できるのは、永田町とその取り巻きだけではないか。
 原油の値上げや地球温暖化への取り組みなど、今後、日本は熱い取り組みを求められることだろうが、迷走する政治ゆえに、経済の底冷えを好転させる材料は極めて乏しい。


 海外へ、目を向けてみよう。まず、11月、アメリカに民主党政権が誕生する。今日のアイオワ州民主党党員集会ではオバマ上院議員が、大本命のヒラリー・クリントン上院議員やエドワーズ元上院議員を抑えて緒戦を制したが、最終的に誰が民主党候補になるかは予断を許さないところだ。
 対日戦争を指導したルーズベルト民主党大統領を持ち出すまでもないが、民主党はリベラリズムを党是としていて、今のブッシュ共和党政権のように、日本を過分の友好国として遇することは望めまい。
 誕生する民主党政権は、ブッシュ共和党政権との対立軸を顕著にするためにも、イラクやアフガニスタンへの派兵には慎重な姿勢をとるだろう。日米関係を最も基本的な同盟関係と位置づけることは変わらないが、対中国との融和はますます深く、北朝鮮の核問題も直接交渉を進めるなど、現実的効果的な政策を推進することは確実で、日本はパートナーとしての実力をつけないと、露骨に軽んじられることになるだろう。(今でも、「日米年次改革要望書」のように、一方的な関係と言えないことはないが。)
 中国の台頭を、現実的脅威として捉えることも重要である。平和ボケの日本は、政治家までもが隣国の繁栄を喜ぶのがエチケットといった暢気さであるが、世界史が示すとおり、力をつける隣国は脅威なのである。しかも中国は、古来から中華思想の伝統を持ち、易姓革命を繰り返してきた国である。日本のように万世一系の侵すべからざる聖域を崇拝する思想はなく、滅ぼされるものは天命に背いたからであり、制圧したものは天の意志にかなったからなのである。
 この国との外交は、日本が確固たる国力をつけることは言うまでもないが、言うべきことを繰り返して主張し、相手の意思を確認しながら付き合っていくことである。卑近な例だが、中国へ出張した友人が、「飲食店に入ると、いつも飲んでも食べてもいないものが1つか2つはついている。「食べていない」と抗議すると、店主は「いや、食べた」と言ってくるが、なおも「食べていない」と強く言うと、「じゃぁ、訂正するよ」と正規の請求に直してくる。いつも、いつも、そうなんだ」と言っていた。
 中国の外交は、まずは無理を承知でひと当たりしてくる。相手が抗議してこなければそのままでいいし、抗議してくれば反論し、さらに抗議があれば少しずつ譲歩する…というバターンだ。日本人は無理な要求を恥と考えるが、世界では目的を達成する手段をオブラートに包む行為こそが外交なのである。マキアヴェリの語録、「ほかの誰かを偉くする原因をつくる者は、自滅する」「新たに恩義を受ければ、昔の遺恨が水に流されるなどと思うのは、大きな間違いだ」など…を紐解くまでもあるまい。
 日本はIMF(世界開発銀行)と協力してもアフリカ諸国を支援するため、93年からTICAD(アフリカ開発会議)を開催している。平成5年、第1回東京会議には47カ国の参加を得たが、平成15年の第3回横浜会議への参加国は23カ国に減っている。中国が平成18年11月、北京で開催した「中国・アフリカ協力フォーラム」には48カ国が参加し、うち35か国は元首級が出席した。
 日本は、冷戦終結後に国際社会がアフリカへの関心を失った中でアフリカ支援を始めたわけであるが、近年はアフリカの天然資源をにらんで各国がアフリカ支援に乗り出し、TICADの存在感は希薄になっている。昔の恩義を持ち出しても通用しない。現実とその結果が全ての国際舞台に、日本の相対的地位が低下している状況をいかに回復するか、福田・町村・高村ラインには荷が重過ぎるとしか言いようがない。


 政治・経済・国際と見てきた日本の現状に、明るい材料は見当たらない。加えて、福田政権下で教育改革は停滞し、少子化・地方分権・格差是正…と重要案件は山積しているのに、参議院での逆転を理由に、全てがストップしている。
 2008年、低迷する政治のもと、物価高・生活格差はますます進んで閉塞感が覆うなか、日本は政権交代の夏を迎える。


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