【152】 オリンピック聖火、長野を走る              2008.04.26


 平和の祭典「オリンピックの聖火」が、80人の警官に守られて、長野市を駆けている。沿道には圧倒的な五星紅旗の赤い波がうねり、怒号が飛び交う。見るに耐えない、聖火リレーの姿である。
 チベットは古代からの独立国であったが、清の支配を受けたものの、その後はまた独立国家としてダライ・ラマを活仏と仰ぎ、何千年もの静かな祈りと暮らしを続けてきた。1950年、そのチベット高原へ、武装した人民解放軍が軍靴の音を響かせ、武器を持たないチベット族の人々を力ずくで制圧していった。おびただしい破壊と虐殺が行われ、紅軍の機銃の的になって破壊されたチベット寺院は700箇所以上、命を失ったチベットの僧侶や市民は少なく見積もっても数万人と言われている。
 以来、チベットは中華人民共和国西方管理局の統治下におかれ、自治区とは名ばかりの管理統制が行われてきた。民生は抑圧され、東部の開発に比べてどこまでも貧困にあえぐ人々は、自治権の確立や中共からの独立を求めて、たびたび実力行使を行ってきた。1955年の騒乱では10数万人の難民が発生するなど、圧倒的な武力を持って鎮圧に乗り出す人民解放軍の前に、多くの人々が命を奪われ、祖国を追われてきた。
 1986年に起こった暴動を鎮圧したのは、当時西部管理局長としてチベット管理の責任者であった胡錦濤であり、ケ小平にその手際を認められた彼は、この事件を契機として中央政界への登竜門を開くこととなるのである。
 そして、今年3月、またもやチベットに自治・独立を掲げて市民や僧侶が蜂起した。武装警察、解放軍が出動しての鎮圧に、チベット側の発表では140人、中共側は14人が死亡したという。この死亡者の差の大きさが物語るように、中共は報道規制を敷いて、外国記者団の入国や自由な取材を認めていない。


 北京オリンピックの聖火は、アテネでの採火式会場に「チベットの人々の人権を守れ」を叫んで『国境なき記者団』のメンバーが乱入したのを皮切りに、ロンドン・パリ・ロスアンゼルスなどでの行進に、さまざまな抗議行動が繰り返されている。
 これらの抗議に対し、中共政府は「オリンピックを阻止しようとする、ダライ・ラマの指図による妨害」とコメントしているが、国民政府と中国共産党が政権を争った時代から、中華人民共和国の歴史は1600万人の処刑・粛清と語り継がれるように、血で血を洗う抗争の歴史であったことは内外に良く知られている事実である。よしんば、それは建国の痛みに伴う惨事であったと百歩を譲るとしても、民主化を求める人たちを戦車で踏み潰していった天安門事件、信仰の自由を認めない法輪功事件など、中共の人権弾圧は目に余るものがある。今も、地方の農民たちは理不尽な共産党独裁の元で金銭経済の自由は保障されず、ほとんど現金収入のない極貧状態で放置されたままであり、富を横領独占する地方役人(共産党幹部)を告訴しようとすれば、日本の江戸時代さながらの「直訴打ち首」のような裁きが待ち受けているのである。
 

 聖火リレーへの抗議・妨害は、中共が内在する前近代的な人権問題が顕在化したことを、素直に中共政府も認めて、しかるべき対応策をとるべきであろう。それを、「長野で聖火リレーが無事行われるかどうかは、ひとえに日本政府の対応にかかっているのであって、中共はこれを注意深く見守っている」などという傲慢なコメントを発していては、自力での解決は望めない。
 日本政府も、「中共の人権政策は間違っているから改めるべきだ。言論・報道の自由も保障して、外国メディアに開放して欲しい」と、欧米諸国と歩を一にして申し入れるべきである。協力すべきはして、言うことは断固言う…というのが、国際社会でのあるべき外交というものである。


 8月…、厳戒態勢の中で、真夏の祭典が開催される。参加する選手に何事もなく、平穏裡に推移することを望むものであるが、それには中共の抱える問題は余りにも大きすぎる。



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