【154】 57歳母親を、二男が殺害 −問われる警察の責任−      2008.05.26

 
 23日午後0時40分ごろ新宿のマンション駐輪場で、派遣社員の長原陽子さん(57)が倒れているのを近所の住民が見つけ110番した。長原さんは後頭部から血を流し既に死亡していた。
 警視庁捜査1課が長原さんの次男(22)から事情を聴いたところ「マンション敷地内で母親を殴り殺害した」と認めたため24日未明、殺人容疑で逮捕した。
 調べでは、次男は以前長原さんと同居していた際、暴力をふるうことが多かった。最近は別々に暮らしており、長原さんは次男に、住んでいる場所を伝えないようにしていたという。現場のマンションには長原さんの長女が住んでおり、長原さんは22日夜に訪ねる予定だった。待ち伏せしていた次男に襲われたとみられる。次男は統合失調症だった。【毎日新聞抜粋】


 以上が、25日の毎日JPが伝えた事件のあらましだが、ここまでならば実母殺害というおぞましさながら、ひとつの事件として片付けられてしまう類(たぐい)のものだ。
 この事件には、新聞が伝えていない重大な問題点がある。すなわち「この母親は、次男に殺されるかもしれないと、今までに9回も警察に相談に行っていた」というのである。
 それでもなお、この母親の命を守れなかったというのは、警察の落ち度ではないのか。これに対する警察のコメントは、「適切に対応した」というものであった。被害者が相談を持ちかけたとおりの殺され方をしていて、それを阻止できなかった警察が「適切に対応した」などと、どこから出てくるセリフなのか。
 警察の職務とは、日本国民の生命・財産を守り、安全な社会を築くことである。犯罪を予防できない警察では、国民はどうして安全を守ればよいのか。警察がその責任を放棄するならば、国民はアメリカのように自己防衛の権利を掲げて、護衛武器の所有を主張するしかない。
 殺されないことには動かない警察を解体して、自らの職責を自覚し、鋭意努力して社会を守る警察を作り上げないことには(仕事をしない社保庁の解体につながる話だ)、悲劇はこれからも繰り返される。桶川ストーカー殺人事件で警察庁幹部が謝罪した教訓が、何ら生かされていないではないか。
 日本の官僚組織の衰退が指摘されているが、警察もまた検挙率の著しい低下が示しているように捜査能力は退化しているし、自らの保身と組織の利益ばかりに目が行き、国民の安全を保持するという責任感は脆弱化している。日本の省庁の改革とともに、警察組織の再生を図ることが強く求められる。


 この項を書いている横で、テレビが、「この母親を殺害した二男は七年前に父親も殺害していることがわかった」と伝えている。警察の不作為な過失が、第二の犯行を生んだということである。


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