【159】 国歌斉唱 ・ 国旗掲揚                  2008.08.16


 北京オリンピックがたけなわで、連日、熱戦の模様が伝えられています。日本人選手の活躍も目覚しく、北島選手の2冠2連覇、評価は分かれるかもしれませんが柔道の内柴・谷本・上野・石井の「金」、今日も女子レスリングで吉田沙保里が優勝しました。やはり、日本の選手が登場すると応援しますし、勝つと一緒になって喜んでいます。


 優勝者の栄誉を称える表彰式には、国歌が吹奏され、国旗が掲揚されますが、表彰台に登った選手はもちろん、役員も会場の観客もみんなが起立して、どこの国のものであっても、流れる国歌、掲揚される国旗に敬意を表します。
 国歌や国旗とは、国家の歴史・文化・存在を象徴し、国民の意思を集約したものです。だからこそ、国歌・国旗に対する尊敬の念は世界共通のものです。それぞれの国民は自国の国歌や国旗が、先人のあくなき努力の結晶としてここに存在することを知っているからこそ、脱帽・起立して仰ぎ見るのです。
 それぞれの国家の歴史は決して平坦ではなく、血塗られた時代もあったことでしょうし、訂正し糊塗せざるを得ない事象も1度や2度ではなかったと思います。しかしそれでも、世界の人々は自国の国歌に思いを込め、国旗に民族の誇りを投影させて、団結の証…生きることへのよすが…としてきたのです。


 日本では、今年3月、大阪の公立中学校の卒業式で、国歌斉唱の際に起立していた卒業生が170人中わずか1人、3年の担任・副担任計11人のうち副担任2人だけだった(座っていた9人は斉唱もしなかった)という事例が報告されています。
 日本という国に、誇りを持つなという教育なのでしょうか。侵略戦争を行った日本の象徴であった国歌と国旗には、敬意を表す必要はないと…。
 僕は、学校の先生にはたくさんの知り合いがあって、教育界の実情や教師の置かれている状況などについては、通常以上に理解をしているつもりです。多くの教師の教育に対する真摯な努力や子供たちに対する思いには、感動すら覚えることが多々あります。
 ただ、歴史認識については、戦後の教育を唯々諾々と受け継いでいるだけで、彼らは勉強不足です。もはや、東京裁判の違法性は世界の常識なのですから、東京裁判史観に基づいた戦後教育の誤りを、今、糺さなければなりません。心ある人たちは、学習会・勉強会を立ち上げて、誇りある日本の歩んできた道を見つめ直し、子供たちに語るべきでしょう。
 日教組…、この集団だけは許容の範囲を超えています。もう、30年も前から、僕は日教組の偏向と独善性を指摘し続けてきました。彼らの狂乱によって、日本の教育はいかに歪められてきたことか。今こそ国民は、国歌斉唱・国旗掲揚に起立するなと教えるこの集団の狂気と正対し、その偏向を正していく必要があります。


 高校野球でも国際大会でも、日本人は、自国の国歌国旗に対しても…、他国の国歌国旗に対しても…、直立し敬礼するという義務感に欠けているところがあると思われます。外国では、幼い子供も率先して立ち上がり、国歌を斉唱して、キラキラする目で国旗を見上げています。日本の子供たちは、多くが国歌「君が代」を歌えないと聞きました。学校で教えないからです。
 自分の国を敬愛できない国民を育ててどうするのですか。中韓のように、愛国心を育てるために、他国を誹謗中傷しろとは言いません。それは卑怯で、恥ずべき行為だと教えるべきです。
 そのうえで、日本は大和民族が長い年月をかけて、農耕稲作社会を築き、日本語を醸成して高い文化を創出しながらも、幾多の混乱と統一と誤謬と是正を繰り返してきました。そして今、高度な科学技術文明を構築し、世界の先進国のひとつとして、平和な国際社会をつくるために努力していることを教えるべきです。
 少なくとも子供たちに、日本の優れた点を(もちろん欠点も率直に)語り、日本人に生まれたことを喜ぶことを味わわせるべきだと思います。欠点を率直に語ったとしても、今の日本は誇りに思える国であることは、誰にも異論のないところであろうとも思います。偏向教育を施さない限り…。



  「日本は、今」 トップページへ